第31話 それぞれの岐路

 入ってきた男を見た加奈は、小さな悲鳴をあげ、反射的に後ろを向くと小さく丸まった。

 先日の男とは違う若い男だったからだ。


「あれ、驚かした、僕」

 加奈は状況が呑み込めなくて、声が出せないままだった。

「そうか、君、何も聞かされていないのかな。うーん、じゃあ少し話をしようか、夜は長いし。取りあえずこっちを向いてくれるかな」


 なんていうんだろう、外国映画なんかで、お風呂から出てきた人が来ているタオルみたいな生地でできている服、を着た男性はベッドに座った。

「君なんて呼べばいいの? 俺は、うーん、あきらでいいや」

「加奈です」


「花魁って知ってるかい? 吉原の、あ、ここは京都だから島原って言った方がいいか」

 遊女の一番上の階級、加奈の知識はそんなものだ。

「うん、体は売っていたんだけど、安売りしてたわけじゃないんだよ。で、加奈ちゃんはそれに選ばれたの。ほかにも君の相手はいるはずだけど、僕も含めて、お金は払っていない。自分で言うのは嫌だけど、選ばれた人だけが君を抱けるんだ」

 なんて言えばいいのかわからないかった。喜べばいいのか、それとも結局売春婦じゃないかと思えばいいのか。


「本当は君を最初に抱きたかったけれど、僕にはそこまでの力はないから。加奈ちゃんの最初の相手の人、気付かなかった? というより知らないか。すごい人なんだよ」

「じゃあ、あきらさんは? 二番目だからやっぱりすごい人なんですか」


 あきらのほんわかとした話し方に、つい引き込まれてしまった。最初は若いと思ったけれど、それは比較の問題で、三十は過ぎているかもしれない。

「ごめんね、違う。最初以外はくじ引き」

 そう言って、あきらは笑ったが本当はどうなのかはわからない。


「ということでよろしくお願いします」

 あきらは律儀に頭を下げると、加奈の浴衣の帯を解いた。

 唇が唇に触れた。この前は緊張で何も思わなかったが、今日はそうではなかった。侵入してきたあきらの舌に、ちゃんと答えることができた。


 結局、高校を卒業するまでそんな生活が続いた。相手をした客はそれでも五十人くらいかもしれない。それでもいろいろな性癖の人がいて、加奈は多くの技術を覚えこまされた。


 まあ、その後はいろいろあって、急に何もかも嫌になってこの旅に出た。

 もう人生やめちゃおうかと思ったんだけど、なんか不思議、君と会ったらもう一度やり直そうかなって。


 加奈さんはそういうと笑った。

 京都駅から近鉄に乗る彼女とはそこで別れたけれど、なんか不思議な旅になった。助けられなかった久美さんの代わりに、加奈さんを助けたってこと?


 ま、この話は史乃先輩には言えないな、亮はお土産を手に東海道線の各停に乗った。

 ちなみに旅に出るきっかけになった三枚の写真は、なぜかどこかに行ってしまいその後二度と見つからなかった。


 年が変わると同時にいろいろな話が押し寄せてきた。

 中学が分離する話だけでなく、国道一七一号線があらたに拡げられることもあってアパートが立ち退きになることになった。


 亮はこれを機会に史乃先輩のそばに引っ越そうと母親に提案したら、あっさり却下された。

「母さん、高校の先生やることになった、大阪の私立高校なんだけど」

「え、母さん先生の」

「理科の免許あるよ、さーちゃんできたから働かなかったけど」


 二か月ほど前、街で偶然に大学の先輩とであった。懐かしさもあって飲みにいったら、私学の理事長兼校長になったと聞かされた。その人は父さんの同級生だったけど、海外に行ってたとのことで父さんのことも知らなかったという。


「大阪のマンション、もう見つけてあるから」

「マンションってその人のその……。つまり」

「ばーか、いったい何考えてるの、その人って女性だよ」

「なんだ、おどかすなよ、まったく」


 その人は、親のあとをついで理事と校長になったらしい。ちょうど欠員ができたことと自分の右腕が欲しかったという。それで母さんを自分の学校に誘ったらしい。母さんとしても、いつまでも保険の外交をするつもりはなかったこともあって、二つ返事で引き受けた。


「で、いつ引っ越しするの」

 案の定、史乃先輩には泣きそうな顔をされた。

「三年から、史乃先輩の卒業式はでる」

「よかった、すぐにでもいなくなるのかと思ったじゃない。じゃ演奏はしてくれるんだ」


「引っ越しても大阪だから、すぐ会えるし。それより先輩は高校どこに行くの」

 京都の府立高校は各中学から進学できる高校一つしかない。つまり公立ならO高校に決まっていた。亮は私立に行くのと聞いたつもりだった。


「市立H高校音楽科、知ってる?」

「聖護院にある?」

「うん」

「じゃあ、引っ越さなくても同じ高校じゃなかったんだ」

「まあ、会える距離だからいいかなって」

京都市立のその高校は全国でただ一つ公立高校でありながら、音楽の専科がある。難関だとは思うけれど、なぜか史乃先輩なら大丈夫という気がした。


「今みたいに毎日はあえなくなるね」

「うん、だから、今のうちにいっぱいしよ」

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おんな好き 京都編 ひぐらし なく @higurashinaku

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