第7話 #全裸は、なかなか回収できないもので

 ようやく”輸送”を終えた司は、自宅の玄関で倒れ伏していた。


「さ、さあ、風呂屋の娘よ、到着したぞ……。心置きなく風呂に入るがいい!」

「ふぬぐぐぐ……」


 身体に力が入らないのか、ウミウシのように床を這いずる秋乃。

 それでも正確に風呂の方向へ進んでいく。

 疲れ果て腕も上がらない司は介助を諦め、学問的好奇心を満たすべく秋乃の動きを観察した。

 意識も定かでないだろうに、なぜ風呂の方向が分かるのか?

 お風呂ジャンキーたる彼女には、空気に含まれる水分量から水場を感知する能力が備わっているのではあるまいか。

 司はそう予想したが、単純に間取りが自室と同じなので、意識がもうろうとしていても迷わないというだけである。

 しばらく観察を続けていたが、途中から這いずりつつ服を脱ぎ出したので、慌てて部屋から出る。ドアを背にしゃがみ込んで、ため息を漏らした。


 義務は果たした。

 五限の授業をぶっちする形になってしまったし、変態にも間違えられるし、めちゃくちゃ大変だったが、とりあえずやるべき事はやった。

 

 「適度な」充実感を得るという当初の目的に見合うかどうかは微妙だが。

 軽い人命救助だと思えば。

 まあ、こんな日があってもいいだろう。


「ふん、俺としたことがつまらぬことに時間を使ってしまったものよ!」


 忘れぬうちに、夏美のやつにプリンを奢ってやらねばなるまい。

 



 久々の達成感に上機嫌となった司は、夕食に金を使う気になった。どのみち女子がシャワーを浴びている横では、落ち着いて食事などできないのだ。

 行きつけの中華料理店『飛車角落ち』で、五百円のワンタン麵を注文する。ボリュームこそ少ないものの、あっさりしたスープとぷりぷりのワンタンがよく絡んで、司のお気に入りのメニューである。


「ワ~ンワン、タンタンッ! ワ~ンワン、タンタンッ!」


 口ずさみながら、熱々の麵を堪能していると、スマホが震えた。舌打ちして、画面をタップする。


「はい、折井ですが」

『は~い、こちら春風でっす!』

「なんだ貴様か。俺はいまレンゲの上のワンタンの皮を軽く割り、ほどよく肉汁とスープを混ぜ合わせるという繊細な作業に没頭しているのだ。くだらん用件で邪魔をするなら許さんぞ!」

『へー、大変だね。そんな折井くんに問題です。……わたし今、どこにいると思いますか?』

「うん? いつになく唐突だな。……家じゃないのか? 酒屋とか?」

『ぶっぶー! せーかいは……、』



『お前の後ろだァ!!!』


 

 司が振り向けば、ガラス窓の向こうに仁王立ちする津葉芽の姿があった。仁王立ちというのは、辞書的には「堂々として力強く立ち姿」のことだが、現在の津葉芽は原義の意味で仁王のごとく、犬歯をむき出しにしたお怒りの形相を浮かべていた。

 店主に軽く挨拶し、つかつかと店内に足を踏み入れた津葉芽は、黙って司の真後ろに立つと、


「折井くん、てめぇ! バイト途中で放り出しやがったな、この野郎!」


 容赦ないヘッドロックである。


「てめえのせいで、先輩に対する借りが増えてしもうたやろがい! どう落とし前つけてくれるんじゃワレ!」

「おい! 締まっている! 締まっているぞ春風!」

 

 二人のもみ合いを微笑まし気に見つめる店主から一言。


「津葉芽ちゃん、ここにちょうど熱々の中華鍋があるけど、よかったら使うかい?」

「どうもありがとうございます親父さん。じゃあお言葉に甘えて」

「まて、中華鍋で何をする気だ!」

「そうだねぇ、折井くんの髪の毛にパーマをあててあげようかな。ついでに脳みそも加熱すれば、馬鹿も治って一石二鳥だと思うから」


 司の口から泡が出てきたのを確認して、津葉芽はヘッドロックを解除する。

 どっかりと席に腰を下ろし、


「親父さん、テイクアウト餃子二人前。払いは折井くん持ちで」

「俺の周りの女子どもは、俺に金を使わせることしか考えていない。まったくもってけしからん」

「女の子に奢れるくらいの甲斐性は、身に付けとけってことじゃない?」


 さらりと流して、


「二つ聞きたいことがある」

「ふん、言うだけ言ってみるがいい」

「だから、どうして偉そうなのさ」


 指を一本立てる津葉芽。


「一つ目。なんでバイトサボったのさ」

「サボってはいない。時間通りに集合した」

「それは知ってる。でも、途中で居なくなったでしょうが」


 事情を説明しようとすれば、「お風呂ジャンキー」のことに触れざるえない。

 春風は秋乃のことをどのくらい知っているのか分からない以上、迂闊に喋ってしまうのはまずい。そして、半裸の女子大生を自宅まで運搬した挙句、現在自室の風呂に入れていると説明をするのは、何かがまずいような気がする。

 具体的に「何が」とは言わないが。


「予定時間を大幅に超過していたからな。約束を守らぬ雇用主に拘束されるいわれはない」

「いや、それでも一言断ってよ。一応、社会常識だと思うけどなぁ」

「常識なんぞに縛られる俺ではない」

「常識は無視してもいいけど、私への義理くらいは守ろうぜ」

「むうう……」

 

 津葉芽の先輩とやらには微塵も負い目を感じていない司だが、津葉芽への義理立てと言われれば話は別だ。秋乃の一件のショックが大きすぎて、連絡を失念したのは明確に司の落ち度であり、謝らなければいけないと思う。

 しかし、「何に気を取られて連絡を失念していたか」を説明するのは、先述の通り避けるべきで……。


 そんな司の逡巡を飛び越えるように、津葉芽は続けた。


「もう一人、一緒に実験を受けた子がいたでしょ?」

「うん⁈」


 司の返事が裏返る。


「な、なんと言ったかな、俺はよく覚えていないが、橘とかいうのが居たな確か」

「そうそう。橘秋乃ちゃん。折井くんが人の名前を覚えるなんて珍しいね」

「は⁈ そんなことはないぞ? 侮るでない、俺だって人の名前くらい覚える!」

「妙にムキになるね、今日の折井くん」


 目が泳ぎっぱなしの司。

 根が単純過ぎるほど単純な男なので、隠し事が大の苦手なのである。


「で、その秋乃ちゃんが折井くんと同じで何も言わずに帰っちゃったみたいなんだよね~。あの子がどうしたか、折井くん知らない?」 

「な、何のことだか分からないぞ? 俺は知らない、知らないのだ!」


 さっきから不自然だとは思っていたが、ここまで露骨に反応されれば確信にも変わろうというもの。大体の察しはついたものの、挙動不審な司が可愛かったので、津葉芽はちょっと揶揄ってみることにした。

 

「折井くん、秋乃ちゃんがどうしたのか、知ってるんだね」

「知らない!」

「本当には知ってるんじゃないの?」

「だから知らないと言っている!」

「体に聞いてあげようか? ほれほれ」

「や、やめろ! キャアア!」

 

 中華鍋で叩かれそうになった司が悲鳴を上げた。

 リアクションに満足した津葉芽は鍋を下ろし、


「ふふ、秋乃ちゃん、お風呂ジャンキーのこと、折井くんにも喋ったんだね」

「あ、なんだ。貴様も知っているのか」

「まーね~。秋乃ちゃん、私の親友だし」


 肩の荷が下りたというように、深く息を吐く司。


「じゃあ、洗いざらい話すとする」


 集合場所での口論、実験の延長でタイムリミットを迎えた秋乃が渋々事情を説明してくれたこと、そして、自宅への運搬。


「そして、さっき風呂屋の娘が脱衣所に入っていったのを見届けて、俺はここにやってきたのだ」

「大変だったねぇ」


 しみじみと共感をくれる津葉芽。しかし、彼女はふと真顔になると、


「ん? 折井くん、その『さっき』っていつのこと?」

「やつが脱衣所に消えていってからか?」


 

 『飛車角落ち』は司の自宅からはやや距離があり、徒歩で二十分ほどかかる。

 先程まで店内は混み合っており、注文してから料理が出てくるまで二十分。

 司は猫舌なうえ食べるのが遅いので、さらに二十分が経過している。


「一時間ほど前だな」


 なんとはなしに答えた司は、津葉芽のひっぱたかれた。


「何をするのだ!」

「あ、ごめん、折井君はたぶん悪くない」


 でも、と津葉芽は続ける。


「早く、折井くんのアパートに行こう。場合によっては、緊急事態になってるかもしれないから」

「どういうことだ?」


 尋ねる司に秋乃が答えた。


「えっとね、お風呂ジャンキーは入りたくなるだけじゃないの」


「お風呂から出られなくもなるんだよ」


 と。


 


 

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