第4話  橘秋乃の秘密と弱点

 司たちが被験者となった実験は、頭の各所に電極がつけられ、ひたすら計算問題を解くというものだった。電極は吸盤で固定され、脳内の様子を測定するという。

 

「ふん、まさに俺のためにあるようなバイトだな」


 計算をこなしながら、司はひとりごちた。

 集中力の維持、及び単純作業の継続は司の得意分野なのだ。幼少の頃よりジェンガでは負けなし、暇なときには部屋中にドミノを並べて遊び、ジグソーパズルも嗜む男である。

 ちなみに実家暮らしの頃は、ドミノは必ず夏美に倒され、ジグソーパズルは夏美がピースを紛失するせいで完成に至ったことはなかった。

 ストレスをためずに趣味に没頭できるのは、一人暮らしの効能と言える。


 回答を打ち込むキーボードの音だけが、実験室に響き続け、一時間半ほどが経った頃、


「はい、一旦休憩してください」


 先輩の合図で司と秋乃は指を止める。


「つっかれた~!」


 伸びをする秋乃に、司は鼻を鳴らした。


「ふん、軟弱な風呂屋の娘め。この程度で音を上げるなら帰るがいい! 本当の地獄は、ここから始まるのだからな……」

「いや、あなたもこの実験初めてよね?」


 思ったよりもバイトがちょろいので、調子に乗っている司である。


「よければ、貴様の分の問題も俺が解いておいてやろうか? 遠慮をするな。疲れたのだろう?」

「あたしのバイト代が減るから嫌です」

「ちっ……」


 一銭でも多く得ようという目論見は、あえなく潰えた。


「貴様、なぜこのアルバイトに応募したのだ?」

「え? そりゃ、つばちゃんに誘われたからだけど。……折井くんもでしょ?」

「いや、その通りなのだが」


 先輩が席を外しているのを確認する。


「このバイト、割がいいとは言えんからな。なんとなくだが、貴様のようなきゃぴきゃぴした女子大生はリゾートバイトなんかでがっつり稼ぐのではと思って」

「妙な偏見が混じってる上、随分ぼんやりした疑問ですね!」


 肩を落とす秋乃である。


「まあ、事情があるっていうのは当たってるかな」

「ふむ」

「あんまり長いこと拘束されるバイトはね、苦手なんですよぅ~」

「集中力がもたないのか?」

「ま~、概ねそんな感じですねぇ」


 あざとく笑う秋乃に、司は鼻を鳴らすにとどめた。

 司は遠慮のない質だが、非常識ではない。プライバシーの概念くらいは理解している。

 休憩が終わり、実験が再開される。

 集中して問題を解いていく司だったが、もうすぐ終了時刻になろうという時、トラブルが起こった。


「あれっ? 故障か?」


 との声に顔を上げると、先輩が計測機器をしきりに叩いているのが見えた。

 備品であろう精密機器を叩いていいのか? と疑問に思う司だが、まあ自分には関係のない事だ。計算に戻ろうとしたところ、


「ごめん! 一旦、ストップ! 手を止めてください!」


 雇用主の指示では仕方がない。

 司は大人しく、作業を中断した。


「ごめん、ちょっと教授に代わりの機材用意してもらうから! ほんとちょっとだけ待ってて! ほんのちょっとだから!」


 そう慌てた様子で言い放った先輩は、コードで転びそうになりながら部屋を飛び出していってしまった。


「そそっかしいことだな……」


 一度中止して正確なデータが取れるのか? データが使えないからと、バイト代を渋られたりはしないだろうか。


 そんな司の心配は、五分が過ぎ、十分が過ぎ、二十分が過ぎた頃、別のものに変質した。


 五限目に中国語の講義があるのだ。このままだと遅刻してしまう。一年生時に落としてしまった科目であり、あの講義だけは迂闊にサボることができない。これ以上単位を落とせば卒業がおぼつかなくなり、それはストレスの増加に繋がる。

 絶対に避けたいところだった。

 人差し指で、机をトントン叩く司である。


「まったく、先輩はどこをほっつき歩いているのだ。こちらにだって予定があるというのに。なあ、風呂屋の娘?」

「……」

「こうした待ち時間がストレスを生むのだ。待機時間分も時給換算してバイト代に加えてもらおう。なあ、風呂屋の娘?」

「……」


 どさり、と音がした。

 振り向くと、明らかにぐったりとした秋乃が床に仰向けに倒れている。


「おい! どうした!」


 慌てて駆け寄る司。


「意識はあるか?」

「ふぁい……」


 意外と平気そうな返事である。とりあえずはホッとしつつ、


「じゃあ、どこか痛むのか?」

「いいぇ」

「そうか。とにかく待ってろ。今すぐに」


 119番を押そうとする司の手を、秋乃が制止する。


「……救急車は呼ばないでください」

「そういわれてもだな!」

「……違いますよぉ。病気とかじゃないんですよぉ」

「違うって、貴様……。じゃあ貧血か? 寝不足か? 深酒したのか?」


 ちなみに後半二つは、司自身のことである。

 黙って首を振る秋乃。司は悩んだ。

 倒れた人間の言う事など信用していいものだろうか。ここは無理にでも病院へ運んでおくべきでは? 大丈夫でない人間ほど、大丈夫と口にするものだ。

 やはりここは、119を押すべきか。


 その時、である。

 あのセリフが司の脳内にこだました。

 先刻、真っ赤になって秋乃が口にしたセリフである。


『あ、あたしは、』


『……お風呂に入らないと死んじゃうの!』




「まさか……」


 一瞬頭をよぎった可能性に、司は首を横に振る。

 しかし、却下するには……。


「おい、風呂屋の娘」

「ふぁい」

「事情を説明する元気はあるか?」

「……ありましぇん」

「いけそうだな」

 

 秋乃の発言を無視して、司が尋ねる。


「貴様は今どういう状態だ? ……いいか、噓をつくなよ。嘘をつけば、迷わず救急車を呼ぶからな」

「……」


 司の要求に、しばらく逡巡していた秋乃だったが、やがて意を決したように呟いた。


「あたしはただのお風呂好きなんじゃないんです……」


 どうにでもなれとやけくそで。


「お風呂ジャンキーなんですよっ!!!!!」

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