第5節 マホロバと過去と、黒い噂。

「ルネの元同期?」


 ざわ、ビルから隙間風が吹く。

 吹きつけた風は、彼女の長く美しい髪をなびかせた。


 僕とピリカはお互いの考えを読むように目を見合わせた。

 そうとは気づかずアオイと名乗る女性は頷く。


「ルネが魔法省で働いていた時の同期です。あなたたち、ルネのお知り合いなんですよね?」


「知り合いっていうか、僕たちはルネの経営してるお店の店員で――」


「同じ家で生活してる同居人やねん」


「ルネがお店? やっぱりあの噂は本当だったんだ……」


「噂って?」


「ルネが呪いに掛かって魔法省を追放されたと」


「それって噂って言うか……」


「事実やな」


「所内では割と有名な話なんです。ルネは有名人でしたから」


 アオイさんは視線を落とす。


「彼女は魔法省のエースで、私の同期で……ライバルでした」


「ライバル?」


「私とルネは同期として切磋琢磨し合う仲でした。と言っても、ほとんどは一方的にルネが絡んでくるだけでしたけど」


「あぁ……なるほど」


「容易に想像つくなぁ」


 あのプライドが高くて負けず嫌いなルネがライバル視するほどの人だ。

 このアオイさんと言う人も、さぞかし卓越した魔法の技術を持っているのだろう。


「それで、どうして僕たちに声を?」


「もしかして、店長について何か知ってるんか?」


 それは、行く宛もないリンドバーグで得た初めての取っ掛かりだった。


「エントランスであなたたちの話し声が聞こえたので、ひょっとしたらって思って。詳しい話をしたいんですが――」


 アオイさんはキョロキョロと辺りを見渡す。

 街のど真ん中にて三人が輪になっていることもあり、こちらを物珍しげに見ている人も少なくない。


「場所を変えましょう。そろそろ退勤する魔法省の職員が出てきています。良い店があるんです。着いてきてください」


 さっそうと歩き出すアオイさんの背中に引っ張られるように僕たちは数歩後ろを歩く。

 するとピリカが僕の服の裾を控え目に引っ張った。


「なぁ、ホンマについて行ってええんか? 罠とちゃうやろな?」


 ピリカが警戒するのも無理はない。

 先ほどダスカに会った時、何だか妙に魔法省の空気が張り詰めている気がしたからだ。

 特に警備からは警戒されているような印象を受けた。


 ダスカは直接口にはしなかったが、ルネの知り合いである僕たちはマークされているのかもしれない。

 だからこのまま何処かに連れて行かれて拘束されるという可能性も大いにあるのだ。

 あの時はダスカが帰らせてくれたが、今度はどうなるかわからない。


「でも、どの道行く当てもないし、最悪僕が鬼の力でなんとかするよ。ポロもいるしね」


 僕が言うと、リュックの中に隠れていたポロが「わんっ!」と元気な声を上げた。

 だがピリカの表情は浮かない。


「そんな上手いこと行ったら良いけどなぁ」


「どうしたんです? そんなところで立ち止まって」


「あ、すぐ行きます」


 アオイさんに連れられ大通りから路地へと入る。

 ビルとビルの隙間を縫うようにどんどん奥へ。

 辺りも暗くなり徐々に怪しい雰囲気が満ちてきた。


「こっちです」


 アオイさんはどこかのビルへと繋がる階段を降りていく。

 外側から地下へと入り込める作りになっているらしい。


「なぁ道也、やめとこうや。どう見てもヤバそうやん」


「ここまで来て引き返せないよ」


「もしウチが死ぬことあったら一生恨んだるからな」


「……嫌なこと言わないでよ」


 ブツブツ言いながら階段を降りると、そこには薄暗く光る看板が置かれていた。

『マホロバ』と書かれている。

 怪しい雰囲気にも見えたが、どうやらただのバーのようだ。


 木製のドアをアオイさんが開くと、チリンチリンと聞き覚えのある鈴の音が響いた。

 その音は何だか酷く僕たちを安堵させてくれる。

 理由は明白だった。


「ウチの店と同じ鈴やな」


「……だね」


 アオイさんはドアを開けたままこっちを見つめる。

 入るように促しているのだ。


「中にどうぞ。リュックの中のワンちゃんも連れて入って大丈夫ですよ」


「……バレてた」


 ポロをリュックから出し、抱きかかえながら店の中に入った。

 カウンターにいるマスターらしき男性に奥の個室っぽいソファ席へ座るよう誘導される。

 ヒゲの生えたマスターは、恐らくドワーフだろう。


 他にお客さんはいないようだった。

 ポロを出しても良いと言ったのはそのためか。


 店内は魔法のランプで光が灯されており、暖色の光に満ちていた。

 砂時計や水晶、月と太陽が描かれた本、魔法の杖にカラフルなシリンダー。

 見たこともない変わった形の小物がいくつも置かれている。


「ここは私とルネの行きつけのお店なんです。魔法の小物を沢山扱ってるバーで、仕事帰りによくここで二人一緒に飲みました」


「……なるほど」


 未成年が飲酒なんて元の世界では問題になりそうだがここではそうでもないらしい。

 以前ブルーアクアに行った時、ルネが妙にお酒に慣れている理由が分かった気がした。

 そして彼女が魔法の小物を好きな理由も。


 店内を見渡していると、目の前にそっとメニューを差し出された。

 先ほど見かけたバーのマスターだった。


「アオイちゃん、久しぶりだね。今日はルネは一緒じゃないのかい?」


「ルネはいないですけど、代わりにルネの友達を連れてきました」


「へぇ、ルネの友達?」


 マスターはチラリとこちらを見る。

 目が合い、「どうも」と僕たちは軽く会釈した。


「ルネの友達はアオイちゃんだけだと思ってたよ」


「店長ってやっぱりそんな感じやねんなぁ……」


「あの性格だからね」


 普段から不遜で高飛車なルネである。

 初対面の人間に物怖じしないのが彼女の良さでもあるが、大体の人間はイラッとすることだろう。

 友達は確かに少ないのかもしれない。


 適当なカクテルを注文すると、マスターがカウンターに戻っていく。

 ようやく一息つくことができたというところか。

 僕たちがそっと安堵していると、アオイさんは「ごめんなさい」と頭を下げた。


「急に連れてきてしまって驚かせましたよね。このお店、かなり奥深くにあるから」


「拘束されるかもって身構えてました」


「違ったみたいで安心したけどな」


「あそこだと誰に何を聞かれているか分からないから仕方なかったんです。お二人とも結構目立ってたので、ここなら安心して話せるかなって」


「それで、どうして僕たちを連れてきてくれたんですか?」


「店長について何か知ってるんか?」


 僕たちが尋ねると、アオイさんは何だか浮かない表情をした。

 どうしたのだろう。


「実は今、魔法省で少し噂が流れてて。あなたたちなら何か知ってるかもしれないって思ったんです」


「噂?」


「ルネが結婚するために実家に戻ったという噂です」


 僕とピリカは驚いてそっと息を呑む。

 僕たちの表情を肯定と捉えたのか「やっぱり、そうなんですね」と彼女は言った。


「少し前からおかしいと思ってたんです。魔法省のエースだったルネが私に何の相談も無しに突然仕事を辞めて、呪いに掛かったからクビになったなんて話も流れてきて。実家を出たって聞いていたのに、突然戻って来たかと思ったら、今度は婚約だなんて」


「んで気になってたところにうちらが来たっちゅう訳か」


 ピリカの言葉にアオイさんは静かに頷く。


「何かルネがトラブルに巻き込まれたんじゃないかって心配になってしまって……」


 僕がそっとピリカに目配せすると、彼女はこちらの考えを読んだかのように頷いた。

 話せ、ということだろう。


「アオイさんにつかぬことをお聞きしますけど、ホグウィードっていう人はご存知ですか?」


 僕が尋ねると、アオイさんはキョトンと目を丸くした。


「知っていますけど……どうしてあなたがその名前を?」


「実は僕たち、ルネの部屋で奇妙なものを見たんです」


 そこで僕は、かいつまんで今までの経緯をアオイさんに伝えた。


 ルネが誰かにうさぎになる呪いを掛けられてストロークホームスを出たこと。

 ストロークホームスでルネが開いた魔法店で僕たちが出会ったこと。

 ルネの部屋にあった水晶で、奇妙な光景を見たということ。

 ルネが罠にハマって無理やり結婚させられかけているということ。


 話を黙って聞いていたアオイさんは「まさか、そんなことが……」と顔を青くしていた。


「たぶんお二人が部屋で見たという水晶の映像は、遠見の水晶によるものだと思います」


「遠見の水晶?」


「あそこにもあります」


 僕が尋ねると、アオイさんはカウンターの向こう側を指さした。

 指された方を見ると、確かにルネの部屋にあったものとよく似た水晶がインテリアとして置かれている。


「心が繋がった人の様子を届けてくれると言われているもので、昔ルネと市場まで買いに探し回りました」


「その水晶が、たまたま部屋に入った僕たちに反応した?」


「恐らく……それでルネの危険を報せてくれたのかも」


「ホグウィードって誰なんや?」


「……魔法省の幹部候補と言われている男です」


「魔法省の幹部候補? アオイさんの上司とかですか?」


「部署が違うんです。私たちが所属するのは魔法省統治局。ホグウィードが所属するのは魔法省公安局です。魔法省の中でも実践経験に優れ、武闘派の人間が多数存在します」


「そして」とアオイさんは言葉をつなぐ。


「ルネの義弟であるソルも魔法省公安局に所属しています」


 つまり、ホグウィードはソルの上司ということか。


「でも店長はホグウィードのこと知らんようやったな。幹部候補やったらさすがに存在くらい知ってるやろ。魔法省がどれだけ大きいんか分からへんけど、上司の顔も名前も全く知らんとかある?」


「知らないのは無理もありません。ホグウィードは最近公安局に入ってきた人間ですから。それも、ルネの父親の紹介で」


「ルネの父親の?」


「しかもホグウィードはあのソルっちゅう小僧の遠縁なんやろ?」


「そんなこと言ってた気がするね」


「きな臭いなぁ」


 ルネの一族は高名な魔法使いの家系だ。

 ソルやダスカが魔法省勤めであることから考えても、ルネの父親はかなりの影響力を持っているのだろう。


 でも、いくら影響力があると言っても、いきなり斡旋した人間が組織に入って上役になんてなれるものなのだろうか。


 ルネが魔法省をクビになったのはストロークホームスに来る少し前。

 今から半年程前の出来事なのは確かだ。

 コネで入った人間がそんな短期間で組織の幹部になるのはちょっと想像がつかない。

 魔法省は厳格な組織のようだからなおさらだ。


 アオイさんはそっと顔を伏せる。


「実際……今の魔法省は少しおかしくなっています。不自然な人事異動や組織の再編が相次いでいて、ホグウィードが入ってきたのもその流れの一貫でした」


「魔法省ってすごい組織なんですよね? いくらコネがあるとは言え、そんな簡単に入り込めたりするものなんですか? しかも役職までついて」


「何が起こっているのかは正直、私もわかりません。ただ、何だか良くないことが起こっている気がします」


 彼女は静かに呟くと、僕とピリカの顔を真正面から捉えた。


「私はルネを助けたい。会ったばかりでこんなことを頼むのはどうかと思うんですが……お二人さえ良ければ手伝ってもらえませんか?」


 アオイさんの声は切実で、嘘や芝居をしているようにはとても見えない。

 僕はピリカと顔を見合わせると、お互いニッと笑みを浮かべて頷いた。


「もちろんです」


「ウチらそのためにここに来たしな」


 僕たちの言葉に、それまでミステリアスな雰囲気をまとっていた彼女は初めて笑みを浮かべた。

 心からの笑みを。


「ありがとう……」

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