第2節 父と罠と、彼女の秘密。

 水晶にルネが映っている。

 ルネのそばにはソルが立っており、テーブルを挟んだ対面には見たこともない男が座っていた。

 五十代くらいの初老の男で、どことなくルネの面影がある。

 ルネの父親だろうか。


 そこはリビングのような広い部屋だった。

 豪邸であることが分かるくらい立派な場所で、ルネは大きなテーブルに座っていた。

 ここがルネの実家だろう。

 ソルに連れられて、帰りたくなかった実家に戻ってきたのだと気づく。


「それで、私に用って何よ」


「婚姻を結んでもらう」


「はぁ!? 婚姻って……結婚ってこと!?」


「そうだ」


 目を見開いて立ち上がろうとするルネを男が制する。


「なんで私がどこの誰とも知らない奴と結婚なんか……! するわけないでしょ!」


 ルネの言葉に男はしばらくじっとルネを見つめたあと、やがて呆れたようにため息を吐いた。

 その表情には、どこか侮蔑めいたものが感じられる。


「呪いに掛かって田舎に引きこもってるそうだな。情けない話だ。とても私の娘とは思えんな」


「あんたのことなんか父親だと思ってない。便宜上そう呼んでるだけよ。あんたが母様にした仕打ちを……私は忘れてないんだから!」


「そんなくだらないことをまだ引きずっているのか」


「くだらないって……あんたねぇ」


 ルネの顔がカッと燃え上がる。

 しかしルネの父は動じることなくルネを見つめていた。


「我々は神の血筋を引く一族だ。私たちには正当な血を残す義務がある。お前の母親もそれを理解していた」


 神の血筋って何だ。

 聞き慣れない言葉が出てきた。


「何が義務よ! あんたは母様を裏切って、他に女を作った! 母様はずっと一人だった! その癖に、よくそんな馬鹿なことを言えたものね!」


「お前の母はそれすらもすべて理解していた。私が背負ったものはそれだけ重い。お前が我々夫婦の何を理解していた? 私とあれがどのような盟約を交わしていたかも、お前はまるで知らないだろう」


「このくそオヤジ、よくも好き放題言ってくれるわね……!」


 ルネは怒りに満たされ立ち上がる。

 だがルネの父が「座りなさい」と言うと、ルネは力が抜けたようにその場に座り込んだ。

 予期せぬことに、ルネは目を丸くする。


「な、何これ……体の自由がきかない!」


「お前がこの館に入った瞬間から魔法を掛けておいた。私の言葉には絶対服従してもらう」


「魔法の気配なんて全くしなかった……」


 するとルネの父が憐れむような笑みを浮かべた。


「お前ごとき娘に遅れを取るとでも思ったか? この私が」


 ルネは助けを求めるように顔でソルを見つめる。

 しかしソルはバツが悪そうにそっと顔を逸らせた。


「姉さん……黙って父さんの話を聞きなよ。父さんの言うことを聞いたら間違いはないんだ」


「聞く必要なんてない! 私は結婚なんてしないし、私はあそこに……ストロークホームズで、道也と、あいつらと暮らすんだから!」


「やれやれ、まだお店ごっこをするのか。名家の自覚がないとは恐ろしいものだな」


 ルネの父はそっと肩をすくめた。


「本来ならばお前のような愚図な娘は家族の縁を切ってしまってもよいのだがな」


「それで良い! 願ったり叶ったりよ!」


「だが、そうはいかん。お前は仮にも私の血を受け継いでいる。我が一族が守り抜いてきた……神の血筋をな」


 まただ。

 また神の血筋という言葉が出てきた。


「お前には名家の長女として責務を果たしてもらう。そのためにわざわざ結婚相手を用意したのだ。入ってこい」


 コンコンとノックをした後、ガチャリとドアが開いた。

 そこに立っていたのは、薄笑いを浮かべたキツネ目の男だった。

 顔立ちの整った、人相の柔らかそうな人物だ。

 だがどうしてだろう。


「なんかいけ好かん顔しとるな。うっさんくさい顔や」


 ピリカが僕の言葉を代弁する。

 僕も同じ気持ちだった。

 この男からは、嫌な気配を感じる。


 僕たちが話している間も、どんどん状況は進行してしまう。

 ルネは現れた男を真正面から睨みつけていた。


「誰よあんた」


「お前の結婚相手だ。ホグウィード、これが娘のルネだ。お前の将来の妻だ」


「はじめまして、ルネ様。どうぞよろしく。とてもお美しい方なので驚きました。そんな方を妻に迎えられること、嬉しく思います」


「誰があんたなんかと結婚なんてするもんですか!」


「ずいぶん元気が良いお方ですね」


「今のうちだけだ。ホグウィード、少し黙らせてやってくれ」


「わかりました」


 ホグウィードと呼ばれた男はそっと目を見開くと、ルネに近づき、顎をクイと持ち上げる。

 ルネは体に力が入らないらしく、されるがままになっていた。

 すると不意に、ホグウィードのその眼光が怪しく輝いた。


 その紅い瞳を見た途端、ルネの目から光が失われ、力がカクンと抜けていく。

 まるで操られた人形のようだった。


「……ようやく大人しくなったな」


 ルネの父は静かにコーヒーを口に運ぶ。


「本当によろしいのですか? あなたにとっては大切な愛娘でしょう。その結婚を、このような方法で進めてしまっても」


「こいつはそうでもしなければ言うことを聞かんのでな。それにお前にとっても、その方が都合が良いのだろう?」


 ホグウィードは黙って笑みを浮かべる。

 肯定を意味しているのだとわかった。


「婚姻の呪縛で結べば流石にこのじゃじゃ馬も諦めるだろう」


「楽しみですね。太陽と夜の神の血が混ざるとどうなるのか」


「我々にとって、いや……この世界にとって新たな神の誕生となるだろうな」


 ルネの父はそっとソルの方を見る。


「ルネの呪いの解析はどうだ」


「まだ時間がかかりそうです、父様」


「結婚式の日までには解呪してやれ。花嫁がウサギでは話にならんからな」


「わかりました」


 頷いたソルは、正気を失ったルネを見てどこか寂しそうな顔をしていた。


「馬鹿な姉さん。逆らわなければ、こんなことにならずに済んだのに」


 そうして映像は消えた。

 僕とピリカは顔を見合わせる。


「なんやったんや……今の」


「ルネの様子だったみたいだけど。過去って感じじゃないよね、どう見ても」


「会話の内容からも、リンドバーグに帰った店長の様子を映し出してたんやろな。それにしても、何であんな映像流れたんや」


「ルネが何かしたとか? 身の危険を感じて、助けを求めてきたとか」


「ありえるかもな。多分、さっきの映像はリアルタイムとはちゃうやろ。数日前のことっぽかったし、自分が何らかの理由で連絡ができひん時に様子を伝えるようになってたんかもしれへんな」


 恐らく、ルネは前々から保険でこうした仕掛けを仕込んでいたのだろう。

 自分がいつか実家に呼び戻されることを予期していたのかもしれない。

 だとすれば、ルネは今かなり危ない状況にいるということになる。


「太陽と夜の神の血が混ざるって言ってたけど、どういうことだろう」


「多分太陽の神って言ったらアテネやし、夜神っちゅうとヤミのことやろうけどな。神の血筋って言ってたし、なんかきな臭いな……」


 考えてみれば、僕たちはルネのことをそれほど知らないのだ。

 彼女が魔法の名家であり、実家とは仲が悪く、母親は死別しているということしかわからない。

 何か、深い事情がある気がした。


「ピリカ、僕、ルネを助けに行くよ」


「何言うてんねん」


「止めないで欲しい」


「止めるわけ無いやろ」


 ピリカはニヤリと笑った。


「ウチも行くで。何やめっちゃすごい謎の臭いがするやん。二人で店長取り戻そうや。んで色々教えてもらお」


「うん、そうだね」


 やっぱり僕たちはこうでなければいけない。

 立ち止まっているなんて、らしくなかった。

 今まで行き当たりばったりだけど、もがきながらも行動してきたから何とかなってきたんだ。


「やろう、ピリカ」


 こうして僕たちは、リンドバーグに行く決意をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る