第8節 散歩と故郷と、ぎこちない二人。
四人と一匹でブルーアクアの街を回った。
昨日はちゃんと回ることが出来なかったからか、ピリカは妙に嬉しそうだ。
明るい時間帯だからか、昨日よりも街にいる人魚の数は多かった。
海を泳ぎ、歌を歌い、水着姿のまま歩いている人魚もいる。
今って真冬だよな。
思わず季節を錯覚しそうになった。
「女性ばっかりですね」
「人魚は女性しか産まないの。だからこの街にいるのは、女の人が多くてね」
「……それって、犯罪とかは大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ。いざとなれば海に逃げ込めるし、ちゃんと治安を守ってくれる人もいるから。完全に人魚だけっていうわけでもないの」
「なるほど。ここにいる人は、全員顔見知りなんですか?」
「流石にそれはないわ。あ、でも――」
ウタコさんが不意に手を振ると、海を泳いでいた人魚が手を振り返してくる。
相手はこちらに近づいてくると、水面から顔を出した。
「ウタコ! いつ帰ったの?」
「今日!」
「こっちにはいつまでいるの?」
「明日には帰るわ」
「なぁんだ、次帰って来る時は教えてよね!」
「うん、またね」
残念そうに人魚が泳ぎ去っていく。
その様子を見送ったウタコさんは「昔の友達なの」とウインクした。
「こんな寒い時期の海を泳いで寒くないのかな……」
「この辺りは温泉が混ざって比較的水温が暖かいの。それに人魚は水への耐性が強いから」
「へぇ」
ここは本当にウタコさんの故郷なのだな。
こころなしか、ブルーアクアについて語る彼女の姿はストロークホームスにいる時よりも活き活きして見えた。
「僕、ずっとウタコさんのこと謎めいた人だって思ってました」
「ただの元人魚よ」
人魚、というだけで僕からしたら『ただの』ではないのだが。
当の本人からすれば、そんなものなのかも知れない。
「久々に帰省したんだったら実家には帰らないんですか?」
「私の家はもうないの。両親は早くに死んでしまって、私は一人で暮らしていたから」
初耳だった。
ウタコさんも僕も同じような境遇の持ち主だったのか。
何となく、彼女がストロークホームスで行き場のない人たちに優しい理由が分かった気がした。
「すいません、辛いこと聞いてしまって」
「ううん、もうずっと前の話だから。気にしないで。それに、一人でも辛くはなかったの。ちゃんと支えてくれる人がいたから」
「それって……ひょっとしてサクラさんですか?」
僕の質問にウタコさんは頷く。
「サクラは私にとって大切な幼馴染みで、妹みたいな存在だったの」
「素敵な関係ですね」
「うん。私にとってこの街は大切な故郷。景色もキレイで、居心地も良くて、暖かくて。でも、そんな街にいることが少し怖かった」
「怖い?」
予想外の言葉に僕は眉をひそめる。
ウタコさんは海の彼方へ目を向けていた。
「ここは私にとってあまりに居心地が良すぎたの。だから、何も疑問を抱かないまま一生を終えてしまうんじゃないかって、それが怖かった」
「ウタコさんがストロークホームスに来たのは、それが理由なんですか?」
彼女は答えない。
代わりに、すこしさみしげに笑った。
何を言えばよいか分からず迷っていると「道也ぁ!」とピリカの叫び声が聞こえてくる。
「こっち来てみぃや! 人魚の塩饅頭やて!」
「人魚酒もあるぜ! ウタコさん、今夜これで飲みましょう!」
やれやれ、すっかり盛り上がっているな。
するとウタコさんがクスクスと笑った。
「賑やかね。私たちも行きましょうか。せっかくの旅行なんだもの。今は楽しまなくちゃ」
「……そうですね」
透明な海を泳ぐ人魚たちの姿を楽しみながら、僕らはブルーアクアを歩いて回った。
至るところから湯気が上がるブルーアクアには、無料で入れる足湯や、温泉にあるような小さな土産物店などが至る場所にあった。
年末らしく旅行客で賑わっており、現実世界と同じような温泉まんじゅうや、プリンや、たくさんの食べ物が溢れている。
街が一丸になって温泉街を盛り上げているようなイメージだった。
だからこそ、このブルーアクアには人が集まるのだろう。
「ほー! 人魚が踊っとるで!」
海を泳ぐ人魚を見てピリカが声を上げる。
確かに、人魚が見事な隊列で海の中を泳いでいた。
「あれは何をやっているんですか?」
「海の水をかき混ぜているのね。今夜に備えて温泉の成分が海に行き渡るようにしてるんだと思う」
「今夜に備えてって、何かあるんですか?」
「そっか、道也くんたちは知らないわよね。えっと、今日はね――」
そこで何か思いついたようにウタコさんはニッコリと笑みを浮かべる。
「うん、決めた。これは内緒で」
「えぇ? そこまで行ったら言ってぇや。殺生やわ」
文句を言うピリカに「ごめんなさい」とウタコさんはいたずらっぽく舌を出す。
「今言っちゃうと面白くないと思って。どっちみち、今日の夜には見られるものだから」
「うん?」
僕とピリカとルボスさんは顔を見合わせた。
一通り街を見回って旅館へと戻ってくる。
その頃にはすっかり日が傾いていた。
「あぁ、結構おもろかったなぁ」
ピリカがのんびりと玄関口で伸びをする。
すると僕の肩の上に乗っていたルネがピョンと飛び降りた。
どこかへ行ったかと思うと、やがて物陰から人間の姿になって戻ってくる。
呪いが解ける時間らしい。
「ルネ、おはよう」
声を掛けると、ルネはプイと唇を尖らせてそっぽを向いた。
「……おはよ」
怒ってはないようだがどこかぎこちない。
昼間散々人の上に乗っていたのに、目も合わせてくれない。
人間に戻って、途端に昨晩のことが思い出されたのかもしれない。
「あのさ、ルネ――」
「あ、ごめん。私部屋に忘れ物しちゃった。んじゃ」
ルネはくるりと踵を返すと、逃げるように小走りで去ってしまった。
その様子を見ていたピリカが、つんと僕を肘で突く。
「何や、自分らケンカでもしとるんか」
「いや、そうじゃないけど…….」
あの様子のルネを見ると、この状態はしばらく続きそうな気がした。
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