第6節 混浴風呂と、裸のお付き合い。

 夢でも見ているのかと思った。

 だがどうやら夢ではないらしい。


 華奢な方に濡れたうなじ。

 服を着ている時には分からなかったほっそりとした体系。

 手で隠された胸元からは隠しきれない膨らみが垣間見える。


 目の前にいるのは夢でも幻でもない。

 どう見ても全裸のルネだ。


 今まで分からなかった彼女の美しい肢体に、一瞬見とれてしまう。

 まるで美術館で美しい石像を見たかのような感覚がした。


「みみみ、道也ぁ!? あんた何でここに居るのよ」


 しかしその感覚はすぐにルネがお湯の中に身を隠すことで現実に戻される。


「ルネだって、どうしてここに……」


「わ、私は露天風呂があるって言うから気になってきただけよ!」


「僕はルネを探して外に出たら冷えたから!」


「いいからあんたあっち向きなさいよ!」


 言われて慌てて後ろを振り向く。

 これは良くない。最悪だ。


「ごめん、まさか混浴風呂とは思わなくて。ルネが入ってるのも気づかなったし」


「別に本当に怒ってるわけじゃないわよ……」


 拗ねたような声が返ってくる。

 気まずい沈黙が僕らの間に流れた。

 と言うより、ルネが入っていると知ってしまった以上、ここに留まるわけにはいかない。


「悪いから僕、先に上がってるよ。ルネはゆっくりしてて」


 そう言って立ち上がろうとすると「待ちなさいよ」と呼び止められた。


「あんたまだ入ったばっかなんでしょ。良いわよ、そのままで。一緒に入りましょ」


「大丈夫なの?」


「こっち向かなきゃね。たまには従業員との裸の付き合いもしなきゃ」


 そんな経営者聞いたこともないが、このまま去ってしまうのは確かに気まずい。

 ここは彼女の言う通りにするのが得策だろう。


 お湯に浸かりしばらく二人して黙り込む。

 身体が火照って感じるのは、温泉のせいだけではない。


「道也、ありがとね」


「えっ?」


 不意にお礼を言われ困惑する。

 何の話だ。


「あんたがいなかったらあの店、たぶん上手く行ってなかった」


「僕こそ、ルネがいなかったら多分野垂れ死んでたよ」


「ふふ、そうかもね」


「ちょっとは否定してよ」


 緊張した空気が少し緩まる。

 穏やかな雰囲気が満ちるのが分かった。


「私ね、あんたと居ると平気になるの」


「平気って、何が?」


「怖くないの。何かをするのが。支えてもらってる感じがして」


 意外な言葉が飛び出てきた。


「ルネも怖いことってあるの? いっつも物怖じしないように見えるけど」


「あれは、あんたが居るからよ。失敗してもなんとかしてくれるって思えるから無茶が出来た」


「そっか……」


 彼女の言葉が嬉しくて、何だか笑みがこぼれる。


 ルネはいつも無茶苦茶だ。

 でもその無茶が、僕をここまで連れてきてくれた。

 彼女はいつも、僕の手を引いて走ってくれる。

 それがどこか光に見えた。


 ルネと僕は、お互いに支えになっていたんだと思う。

 ウタコさんとサクラさんがそうであったように。


「ねぇ、道也。こっち向きなさいよ」


「えっ? でも大丈夫なの?」


「背中向けあってたら味気ないでしょ」


「う、うん……」


 恐る恐る振り返ると、いつの間にかルネは身体にタオルを巻いていた。

 目を丸くする僕を見てケタケタと彼女は笑う。


「残念でした! ルネ様の美しい美ボディが見えると思ってドキドキした?」


「そんな訳無いだろ!」


 本当は結構ドキドキしていたが、そんなことを言えばどんなマウントをとられるか分からない。

 ここはあえて黙っておくことにした。


 なんとなく肩を並べて縁に背中を預ける形になる。

 すると黙りこくってたルネがチラチラこちらを見ていた。

 なんだろう。


「あんたその…結構すごいのね」


「すごい?」


 えっ? まさか見えた?

 いや、ちゃんと腰にタオルは巻いているはずだ、見えるはずがない。

 もしかして魔法で見たのか?

 思考が混乱する。


「その……身体」


「あぁ、身体か」


 ほっと安堵する。

 僕は何となく自分の腕を見てみた。

 確かに同世代の男子に比べると、結構身体は引き締まっているかもしれない。


「一応こう見えても鬼の末裔だからね」


「鬼の人ってみんなそうなの?」


「今となっては分からないけど、父さんも似たような感じだったと思う。特に努力した訳ではないけど、太りにくくて痩せにくい体質なんだ。だから体が勝手に絞れていくっていうか」


「ふぅん、そうなんだ……」


 ルネはそっと僕の腕を取り、筋肉の感触を確かめている。

 正直裸の女子に触れられるのは心臓に悪い。

 慣れてきたのか、ちょっと行動が積極的に見えた。


「羨ましいわね。太ることとか気にしなくてもいいだなんて」


「その分、色々大変だったけどね」


 鬼になると力の制御が上手くいかない。

 今でこそかなり出来るようになったが、幼少の頃は大変だった。

 少し本気を出せば大人よりも早く走れてしまうし、高く飛べてしまう。


「じいちゃんと暮らしてからは、絶対に鬼の力は表に出してはいけないって強く言われたっけ」


「まるで呪いね」


「呪い?」


「あんたのおじいさんを悪く言うつもりはないけど、子供のころに言われた言葉ってずっとまとわりつくから」


 ルネは何かを思い出したかのように寂しそうな表情を浮かべる。

 彼女も昔、何かあったのかもしれない。


「あんたのおじいさんがするべきだったのは、孫の行動を封じるんじゃなくて、力を上手く使えるよう訓練することだったんじゃないの?」


「そんなに上手くいくかな」


「だって実際、この世界であんたは誰も傷つけてないじゃない。鬼として暮らしても、ちゃんと人と生きていけてる。自分では気づいていないみたいだけど、あんたは誰と暮らしても一緒に生きていける奴よ。一緒に暮らしてる私が言うんだから間違いないわ」


「そっか……そうかもしれないね」


 彼女の言葉は温かい。

 歯に衣を着せないからこそ、ルネの言葉は嘘偽りなく、まっすぐ心に染みてくるんだ。


「ルネの子供の頃ってどんな感じだったの」


「私? そうね……」


 ルネはしばらく考えると、いつものドヤ顔を浮かべた。


「天才だったわね。魔法を自在に使いこなす。神童だったわ。間違いなく」


「自分で言うのか……」


「でもその分、自由はなかったわね。以前、ウチは魔法の名家だって言ったの覚えてる? お前は偉大な魔法使いの血を引く娘としてふさわしくあれって、何度も言われたわ。遊ぶことも許されなくて、毎日家に籠もるよう言われてた」


 先程の彼女の表情を思い出す。

 きっとルネも、子どもの頃に父親から色々言われていたのかも知れない。


「ルネはその言いつけを守ってたの?」


「守るように見える?」


 フフン、と彼女はいつもの不敵な笑みを浮かべる。


「部屋に自分の幻影を魔法で生み出してこっそり遊びに行ったりしてたわ。お陰ですっかり問題児扱いだったけど。私、こう見えてもタダじゃやられないタイプなのよね」


「でも結局バレたんでしょ?」


「な、なんで分かるのよ!」


「だってルネだし……」


 名家で生まれ育ち、厳格に育てられたルネ。

 厳しい家庭環境だったにもかかわらず、彼女は自由を失わなかった。

 それがルネの持つ強さなのかもしれない。


 ――その自由さに、ずっと憧れてた。


 いつか言われたルネの義弟のソルの言葉が蘇る。

 きっとルネの明るさは、ソルにとっても光そのものだったんだ。


「ルネはあんまり名家らしくないね。良い意味でだけど。家の名に縛られてる感じしないし」


「堅苦しいの嫌なのよね、昔から。だから両親とも折り合いが悪いってわけ。私の味方は、死んだ母様だけだったわ」


「なるほどね」


「ま、そんな昔話はどうでもいいのよ。だって今の私は自由なんだから」


 ルネはそっと空を仰ぎ見る。

 釣られて僕も目を向けた。


 月明かりに照らされた美しい宵の空に、星が浮かび上がっている。

 こんなに月が明るいのに星が見えるだなんて。

 これも魔法世界の賜物なのだろうか。


「私、あんたといるとどこまでも行ける気がするわ。だから着いてきなさい、道也。そしたら世界の果てまで連れて行って上げる」


「ほどほどにしてよ」


 僕はふっと笑みを浮かべる。


「でも、楽しみにしてる」


 ルネと何となく目が会い、そのまま見つめ合った。

 彼女のピンク色の唇が眼の前にある。

 普段は意識しないはずなのに、妙に心臓が高鳴った。


 気づかないうちにずいぶん距離が近くなっていた。

 肩が引っ付いている。

 どちらともなく顔が近づいた。

 お互いの息すら掛かりそうなほど。


「道也……」


「ルネ……」


 もう少しでどうにかなりそうだったその時。

 不意にルネは立ち上がった。


「そ、そろそろ上がるわね! のぼせちゃったみたい」


 しかし慌てて立ち上がったせいか、ルネのタオルがはらりとほどけた。

 彼女の肢体があられもなく僕の眼の前に現れる。


「ああぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 その叫び声はブルーアクアの夜空によく響いた。

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