第4節 お風呂とお酒と、昔の話。

「あぁ、気持ちいいわね」


「最高やなぁ。店長、結構こうしてみると結構スタイルええんちゃう?」


「でしょ? こう見えても私、天才美少女なのよね」


「……褒めて損したわ」


「何でよ!」


 茶番が聞こえてくる。

 部屋に居た僕はコーヒーをそっと口に運んだ。


「ちょっと道也、こっち覗いてないでしょうね!」


「見ないよ!」


「店長、さっきから何回確認するんや。もはやフリになってんで」


「はぁ!? どどど、どうしてそうなるのよ!」


「道也ぁ、ウチは覗いてもええで!」


「ピリカは何が狙いなの?」


 やれやれ、落ち着いてコーヒーも飲めないな。

 これ以上この茶番に付き合ってはいられない。

 僕はそっとため息を吐くと、部屋からウッドデッキへと出た。


 ウッドデッキに出ると、ほとんど宵色に染まった空の下、静かな波音がする透明な海が広がっていた。

 水の底まで見えそうなほど澄んだ海の水は、沈みかけた夕日で茜色に染まっている。

 太陽の光を反射した水面は、キラキラと輝いていた。


 珊瑚が見え、白い砂が底に敷き詰められている。

 遠浅の海なのだと今更気がついた。


「キレイだな……」


 先程の電車の中から、海の底に色んな建物が沈んでいたのが見えたのを思い出す。

 かつてここは神々が戦争を起こした場所なんだっけ。


 この世界を創造したという三柱の神々の戦争。

 いつかストロークホームスの教会で聞かせてもらった話だ。

 その話が本当なら、ここは神話の舞台となった場所ということになる。


 本当なのかどうかはわからない。

 だが、この世界だったら神様が実在していてもおかしくないような気がする。



 ――お願い、滅びの未来を食い止めて。



 創造主アテネが僕に告げた言葉。

 あの言葉の意味を、未だに僕は知らない。

 でも、この美しい世界が壊れてしまうのだとしたら。

 それは嫌だなと心から思った。


「はぁ、難しいこと考えるのやめよう……」


 旅先に来てまで考えることではない。

 普段は忙殺されているから、こうしてふと思考する余地が生まれるとつい考えてしまうのだ。

 我ながら面倒な性分だと思う。


 それにこうして旅行をするのも久しぶりだ。

 最後に行ったのは、幼い頃に両親に連れられた家族旅行か。

 ブルーアクアとは全然違うけれど、どこかの地方の温泉だったのは記憶にある。


 雪が美しい街で、そこら中で湯気が上がっていて。

 オレンジ色の光が溢れ、夜に建物がポッカリと浮かび上がっていたんだ。

 降り積もった雪の中を走った記憶がある。


「懐かしいな……」


 両親が死んでからは旅行なんて行ったことがなかった。

 じいちゃんは外に出るのを嫌う人だったし、僕も感化されてすっかり塞ぎ込んでいたからだ。

 だから大人になって、こうして誰かとどこかに行く機会があるなんて思ってもみなかった。


「いやぁ、ええお湯やったわ」


 しばらく物思いに耽っていると、お風呂から上がったピリカとルネが姿を見せた。

 ちゃっかり浴衣に着替えている。

 やっぱり元の世界の旅館とほとんど変わらないんだな、なんてことを考えた。


 お風呂上がりのルネは、何だかいつもと違って妙に色っぽく見えた。

 浴衣が肌蹴ていて目線のやり場に困った。


「……何よ」


「別に……」


 目が合い、思わず目をそらす。

 ルネも身体を隠すように浴衣の着崩れを直した。


 ほとんど家族のようなものだと思っていたから、ルネに『女性』を感じてしまって何だか気まずい。

 そんな僕をピリカがツンツンと肘でつついた。


「何や道也。ウチのお風呂上がり見て照れてんのか? いつも家で見てるやんけ、照れんなや」


「いや、それは大丈夫かな……」


「何でやねん! 欲情しろや!」


「それはそれでどうなの?」


 するとこんこんと部屋の戸がノックされ、スッとサクラさんが姿を現す。


「お食事、出来ましたよ」


 ◯


 食事は広間で取るらしく、母屋へと案内された。

 広間に入ると、懐かしいい草の香りが鼻腔をくすぐる。

 畳が敷かれて居るのだ。


 座布団が敷かれた座椅子にルネ、僕、ピリカの順で座る。

 僕たちが席につくと、やがて食事が運ばれてきた。


 運ばれてきたのは魚料理だ。

 煮付けや吸い物、焼き物にお刺身なんかがある。

 口にするとかなり元の世界の和食に味が似ており感動した。


「美味っ! これ美味っ! めっちゃ美味しいわね!」


「ルネ、もっとゆっくり食べたら?」


 僕が言うとルネはギロリとこちらを睨む。


「あんたこそ気取ってないで意地汚く食いなさいよ。そんなんだから根暗なのよ」


「どう言う理論だよ」


 するとピリカが隣から僕の皿を覗き込んでくる。


「道也、あんまり食進んでへんみたいやんか」


「いや、人魚なのにお魚食べるんだなって思って」


 共食いみたいに思えて、想像するとあまり食が進まないのだ。


「人魚と言っても、生物学的には人間ですから」


 いつの間にかそばに居たサクラさんがお茶を入れてくれた。


「私たち人魚は、元々人間なんですよ。足も乾いたらほら、この通り」


 彼女はそう言って足を軽く叩く。


「普通の人間と大差ないでしょう?」


「そうですね」


「こう言う体質だから陸に上がるとどんどん人に近づいてしまうんです。私のこの頬の鱗も、たぶん陸に上がればどんどん薄くなると思いますよ」


「へぇ……」


 そこでふと気づく。


「ひょっとして、ウタコさんも……?」


 僕が尋ねると、サクラさんはそっと頷いた。


「あの子も私と同じこの街の生まれで、私と同じ人魚です」


「そうだったんだ……」


 全然気づかなかった。

 三人揃って目を丸くする。


「ウタコさんってどんな人だったんですか? 不敵な部分があるというか、読めないところが多くて」


「あの通りですよ。何もかも知っているような、底が知れないところがある子です」


 サクラさんはそっと目を細める。


「でもあの子のお陰で、私は私で居られたんです」


 ◯


 幼い頃、私は引っ込み思案で人前に立てるような性格ではありませんでした。

 好きな人の前ではまともに話すことも出来なかったし、上がり症で友達を作るのも下手で。

 でもそんな私を支えてくれたのが、幼馴染みのウタコだったんです。


「サクラ、ほら行きましょ?」


 一緒に色んな場所に行って、色んな人に会って。

 どこにも行けなかった私の世界を広げてくれた。

 ウタコは私にとって、大切な友達でありヒーローでもありました。


 そんなウタコが、ある日言ったんです。


「私、陸に上がってみようと思う」


 って。


「ストロークホームスで家を見つけたの。あの街はこの街より広いし、たくさんの人が来るから出会いもいっぱいあると思う」


「ウタコがいなくなったら寂しくなるね。でも、応援してる」


 私は止めませんでした。

 ウタコは何を考えているかわからないところがあって。

 そして、何よりも自由だったから。


 ◯


「あの子はどこまでも自由でいて欲しい。そして、ウタコが疲れたら、私のいる場所が帰れる場所になればいいって、そう思ったんです」


 その話を聞いていて気がついた。

 僕らにとってのストロークホームスが帰る場所であったように。

 ブルーアクアもまた、ウタコさんにとっての帰る場所だったのかもしれない。


「僕らがストロークホームスに住めたのは、サクラさんのおかげかも知れませんね」


「どう言うこと?」


「サクラさんはウタコさんが世界を広げてくれたって言ってましたけど、ウタコさんもきっと、サクラさんがいたから自由でいられたんだと思います。そして、サクラさんが与えてくれた『帰る場所』を、自分も作りたいと思ったんじゃないでしょうか」


「ウタコにとってそれがストロークホームスだった?」


「たぶん、そうなのかなって」


 ウタコさんは僕たちや、ストロークホームスの花屋のルボスさんに場所を提供してくれた。

 そうした居場所を彼女から与えられたのは他にもいるはずなんだ。


 誰かの安心できる場所でありたい。

 誰かに帰れる場所をあげたい。

 そう思ったから、ウタコさんはストロークホームスに移り住んだのかもしれない。


「陸に上がったウタコは元気にしてますか?」


「ええ、とても生き生きとしてますよ」


「管理人さんにはお世話になってるわ。仕事も結構紹介してもらってるしね」


「大助かりやで。たまに厄介事あるけど」


「そうですか。元気にやってくれてるなら、それでいいんです」


 サクラさんはそう言ってニコリと笑った。

 なんだかしんみりとした空気が流れる。

 するとそんな空気を破るように、ルネがぐっと伸びをした。


「それにしてもさっきのお風呂最高だったわね」


「せやな。景色もよくて気持ち良かったわぁ」


「そう……」


 思い出すように目を瞑る二人を見て何だか切ない気持ちになった。

 そんな僕をサクラさんは不思議そうに見つめている。


「道也さんは入っていらっしゃらないんですか?」


「この二人が長風呂するから入れてないんです」


「せやから一緒に入ろっていったのにぃ」


「道也のスケベ」


「何でさ」


 とんだ言いがかりだ。

 すると「そうだ」とサクラさんは小さく手を叩いた。


「食後は露天風呂に入ってはどうですか?」


「露天風呂、ですか?」


「母屋にあるんです。とっても広くておすすめですよ」


「へぇ、ええなぁ」


 話していると食卓に何か見慣れぬ飲み物が出てくる。

 なんだろうと思い口をつけてみる。

 塩辛いがどこか後を引く風味の飲み物。


「これ、お酒だ」


 僕が言うとサクラさんはそっと頷いた。


「人魚酒です。この街の名物なんですよ。苦手でしたら、普通の飲み物やビールなんかもありますけれど」


「ウチはこれでええで」


「私はビールをもらうわ!」


「ルネってまだ18歳でしょ? お酒飲んだらダメだよ」


「それあんたの世界の話じゃない。こっちの世界ではそんな制限ないわよ」


「まぁ、そのへんの線引は曖昧やしなぁ」


 ピリカは喋りながらもおちょこで人魚の酒をグイグイ飲み進めている。

 彼女がこんなに酒飲みだとは知らなかった。

 するとバシンとルネに肩を叩かれた。


「道也、あんたも飲みなさいよ! 無礼講よ今夜は!」


「仕方ないな……」


 盛り上がる二人を見て、僕はフッと笑った。

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