第3節 女将と旅館と、幼馴染み。

 駅を出て桟橋の上を歩く。

 海と温泉の街ブルーアクア。

 いたる場所に木造の足場が作られており、所狭しと旅館のような建物がひしめき合っていた。


「確かルネの地図によるとこっちだけど……」


 街が入り組んでいるのと地図が適当すぎてよくわからない。

 ブルーアクアはどこか現実世界の温泉街を彷彿とさせる街並みだった。


 最大の違いは街のほとんどが海になっていることと、そこを泳ぐ人魚がいることだ。

 足場から見える海には、優雅に泳ぐ人魚の姿が目立つ。

 当たり前かどうかはわからないが、泳いでいるのは全員女性だった。


 僕らが歩いているのは道というより、水の上に架けられた橋を歩いているような印象だった。

 それはどこか納涼床を思わせる。

 観光客も多いらしく、僕らのような大きな旅行カバンを持った人も少なくない。


「人が沢山いるね」


「温泉シーズンやしなぁ。ウチらみたいに年末年始をここで過ごそうって奴がいるんちゃう?」


 ピリカは呑気に言うと、クイクイッと僕の服を引っ張った。


「なぁ道也ぁ、せっかくやし色々見て行こや」


「遅くなっちゃうよ。だいぶ日も暮れて来たし」


 先ほどまで明るかった空は少しずつ茜色になっている。

 ぼやぼやしているとすぐに夜になってしまうだろう。

 しかしピリカは折れる様子を見せない。


「ええやん、ちょっとだけ。なっ? なっ?」


「困ったな……」


 無理強いすれば折れてくれる相手だと思われているのだろうか。

 大方外れていないのは、ピリカが僕のことを理解しているからかもしれない。


 するとカバンの持ち手の部分に乗せていたルネがパッと目を覚まして飛び降りた。

 ぴょんぴょんと歩くたびに姿が代わり、瞬く間に人の姿に戻っていく。

 ルネはごきりごきりと身体を鳴らす。


「よく寝たわぁ。これで思う存分温泉を堪能出来そうね」


「あ、人間に戻った。ルネ、旅館の場所ってわかる?」


「ちゃんと把握してるわよ。ついてらっしゃい」


 歩き始めたルネに「えぇー?」とピリカは声を出す。


「観光はせぇへんの?」


「後よ! 二泊するんだから別に明日でもいいでしょ。まずはさっさと荷物を置いて落ち着きましょ」


「いけずぅ」


 ピリカは不満げに唇を尖らせた。


 ルネに連れられ街を進む。

 入り組んだ木造の道を少し歩くと、やがて中規模の旅館へとたどり着いた。

 古い建物だがしっかりと手入れがされているのが見て取れる。


「ごめんくださーい」


 ルネが玄関で声を掛けると奥から「はいはい、ただいま」と若い女性が姿を見せた。

 青い髪の人で、頬に魚の鱗が浮かび上がっている。

 この人も人魚だろうか。


 先ほど見た人魚とは違い足は僕らと同じ二足歩行だった。

 和服っぽい意匠の服を着て、下も和柄生地で作られたパンツスタイルの制服に身を包んでいる。

 大人っぽい、きれいな人だと思った。


「お客様かしら? ごめんなさい、今日新規の方は受け入れが出来なくて」


「えっと、ウタコさんに紹介されてきたんですが。ストロークホームスの」


 僕が言うと相手の顔がパッと変わった。


「あなたがウタコのお知り合いの方? じゃあひょっとして魔法店の?」


「そうよ! この二人は私の下僕。そして私は天才魔法使いの――」


「ルネさんですね。お話はかねがね伺っています」


「そ、そう。なら良いのよ」


 ルネは調子を崩されたようにガクッと身体を崩す。


「私はこの旅館の女将でサクラと言います。どうぞよろしくしますね」


 深々と三つ指をついて挨拶をされ、僕たち一同はドギマギした。


「な、なんか調子狂うわね」


「ウチら今までこんな丁寧な対応されたことないから」


「悲しいこと言わないでよ」


 軽口を叩き合っている僕らに動ずることもなく、サクラさんはニコリと笑みを浮かべる。


「早速、お部屋に案内しますね」


 ◯


「ビックリしました。久しぶりにウタコから連絡をしてきたと思ったら『宿を貸して欲しい』って言われたので」


「何かすいません、無理言ってしまって」


 僕が頭を下げると、彼女はそっと首を振る。


「いいえ、気になさらないでください。昔から無茶を言う子でしたから」


 サクラさんの口調には、どこか親しみが込められているように感じられた。


「サクラさんはウタコさんとはどう言う関係なんですか?」


「ウタコはこの街の出身で、私たちは幼馴染なんです。あの子は私にとって妹みたいなもので」


「へぇ、幼馴染。と言うことは、サクラさんの方が歳上なんですか?」


「そうなりますね」


 ウタコさんの名前が和名だったことに納得が行く。

 この街の出身だから名前が和名なのか。

 サクラさんもそうだし、恐らくこの街の人の名前は皆そうなのだろう。


 旅館の内装は僕の知るものとそう大きく変わらない造りになっていた。

 木造の、日本家屋のような造り。

 館内には花が飾られており、丸石で作られた足湯まで見られる。

 旅館が温泉と一体化したような建物だった。


「素敵な場所ね。いるだけで落ち着くわ」


「時間がゆっくりに感じるなぁ」


 ルネとピリカが館内を眺めながらのんびりとした声を出す。

 荷物を持っていないから呑気なものだ。

 そんな二人を見て、サクラさんはそっと優しい笑みを浮かべた。


「この街は海と温泉の中にある場所なんです。波の音や温泉のせせらぎが時の流れを忘れさせてくれますよ」


「最初に街を見た時驚きました。木造なのに傷まないんですか? 塩水とか温泉水とか、木を傷ませるような成分を含んでる気がするんですけど」


 僕が尋ねるとサクラさんは「大丈夫です」と答えた。


「水に傷まない特殊な木材を使ってるんですよ。この辺りはそう言う樹が多く生えているんです」


「そんなものがあるんだ……」


 何でもあるな、異世界。

 その奥の深さに毎度感心してしまう。


 大広間を通って客室の廊下をぬけ、更に奥へ。

 すると館内の外周を回るような通路へと出た。

 木造の長い廊下が離れへと続いている。


「もしかして私たちの部屋ってあそこ?」


「そうですよ。とっておきの部屋と注文されていたので」


 海と温泉が混ざっているのか、水辺からは湯気が立ち込め、空が広く海も遠くまで見渡せた。

 そんな中を歩いてたどり着いた離れの部屋は、ベッドが三つ置かれた非常に広い部屋だった。


 天井が高く、内風呂や天窓までついている。

 室内には大きな座敷机にゆったりとしたソファ。

 部屋の外にはウッドデッキまで設けられていた。

 海を眺めながら椅子でくつろげるようになっているらしい。


 思わぬ部屋の広さに三人とも「おぉー」と声が上がる。


「すっごぉい! こんな豪勢な部屋見たことないわ!」


「道也ぁ、店長ぉ! 部屋に温泉ついてるで!」


 はしゃぐルネたちを見てサクラさんは嬉しそうに目を細めた。


「ここは特別な客間なんです。普段は予約がないとなかなか入れないんですけれど。ご用意できて良かったです」


「そんな部屋を案内してもらうなんて……ルネ、お金大丈夫なの?」


 一抹の不安が脳裏をよぎる。

 すると僕の言葉にルネの表情があからさまに曇った。


「管理人さんが料金は気にしないでいいって……」


「じゃあ宿泊費の確認してないの?」


「ししししてないわよぉ! 交通費と遊ぶお金くらいしか……どうしよう道也ぁ!」


「そう言われてもな……」


 泣きそうな顔でルネが唇を震わせていると「大丈夫ですよ」とサクラさんが口を挟んだ。


「お金の心配ならしないでください」


「え……?」


 耳を疑った。

 まさか払わなくて良いのか?


「ウタコから話はもらってます。皆さんからお代をいただくつもりはありません」


「そんなことあるんか?」


 ピリカがあからさまに狼狽している。

 僕もルネと顔を見合わせた。

 待遇が良すぎて怖くなってくる。


「本当に支払わなくて良いんですか?」


 サクラさんはニッコリを笑みを浮かべる。

 含みのある笑みには見えなかった。

 多分これは、話す気がない意思表示だ。


「あの、代わりになにかトラブルを解決して欲しいとか、そう言う依頼があるのでは……?」


 僕が恐る恐る尋ねると「とんでもない!」とサクラさんは首を振る。


「お客様にそんなことはさせられません。今日はどうぞごゆっくりおくつろぎください」


「そうですか……」


「夕食の準備が出来ましたらまたお伺いしますね」


 サクラさんは静かにお辞儀をすると部屋を出ていった。

 不穏な沈黙が室内に漂い、僕らはそれぞれ顔を見合わせる。


「で、どうするの、ルネ」


「ここって結構ええ宿やろ? しかもさっきの女将さんの話やと一番ええ部屋みたいやしなぁ」


「いくら奢りって言っても、ちょっと怖いよね」


 多分ウタコさんとサクラさんの間には何かしらの金銭のやり取りがあったのだと思われる。

 さもないとこんな良い部屋を食事付きで、タダで寝泊まりさせることはしないだろう。


 この部屋、現実世界なら10万くらいはするんじゃないか。

 今回は二泊三日の予定だったから、全部で20万は取られてもおかしくなさそうだ。

 いくら収穫祭を盛り上げたという実績があったとしても、少しやりすぎな気がした。


 僕らが困惑していると、不意にルネがパンと自分の頬を叩く。

 ぎょっとしている僕らをよそに、彼女は服を脱ぎだした。

 突然どうした。


 唖然としていると、ルネが僕の方をギロリと睨む。


「何見てんのよ! スケベ!」


「ルネこそ、何で急に脱いでるんだよ!」


「お風呂に入るからに決まってるでしょ! せっかく露天風呂があるんだから、ここまで来たら細かいことは気にせず遊ぶの! 私が入ってる間、あんたはあっちの部屋に居ること! 覗かないでよね!」


「覗かないよ!」


 いつもルネはやることが唐突過ぎる。

 仕方なく僕が背中を向けると「えぇなぁ」とピリカが声を出した。


「せっかくやしウチも店長と入ろうかな。あ、ウチは別に覗いてもええで?」


「ピリカは何が狙いなの……?」


 覗いたら最後、一生強請られそうな気がした。

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