第2節 電車と人魚と、温泉街。
数日後の、年明けが二日後に迫った日。
僕たちは『御月見』を閉め、ブルーアクア行きの電車に乗っていた。
二人掛けの椅子が向かい合う車内にて、僕の対面にはピリカが座っている。
「結局こうなるのか……」
膝の上にはウサギになったルネが寝ている。
旅行に行くと言われた時から予感はしていたが、案の定予想通りになった。
「仕方ないやないか、明るいうちに行かんかったらブルーアクアに着かんのやから」
「ゴドルさんがポロを預かってくれて良かったね」
「ホンマやな。流石に犬は連れて行けへん」
旅行に行くのでポロを見てて欲しいと言ったら二つ返事で了承してくれた。
「お土産待っとるよ」と言ったゴドルさんは少し嬉しそうに見えた。
「にしてもホンマに予想外やなぁ。こんなタイミングで旅行行けるなんて思わへんかったわ」
「そだね」
※
先日の『御月見』にて。
ブルーアクアのビラを見たルネは嬉しそうに笑みを浮かべたのだ。
「どうしたの、ルネ。突然旅行に行こうだなんて」
「管理人さんが誘ってくれたのよ。あの人の地元がブルーアクアらしくて。観光地で友達が宿をやって口利きが出来るから、お世話になってるお礼に皆さんでぜひどうぞって」
「お世話になってるのはこっちのような気もするけど。それで紹介されたのがこのビラの場所?」
「そうよ。すごいでしょ」
僕が尋ねるとルネはフフンと得意気に頷いた。
人の話でも自分のことのようにドヤ顔をするのが彼女の特徴である。
「人魚の街の出身なんて珍しくない?」
ルネの言葉にピリカが頷く。
「確かに人間でブルーアクア出身は珍しいかもなぁ」
「ピリカは旅してたんでしょ? ブルーアクアには行ったことないの?」
僕が尋ねるとピリカはそっと首を振った。
「それがあらへんねや。ブルーアクアはストロークホームスよりさらに僻地にあるしなぁ。わざわざ遠征するのは骨やで」
ピリカが言うならそうなのだろう。
「で、旅行に行くのは良いんだけど。お店はどうするのさ」
僕の質問にルネは当然のように「休むに決まってるでしょ」と答えた。
「もう年末だし、年末年始をあっちで過ごすのも悪くないんじゃない? あんたたちも最近は働きっぱなしだし、ちょっとはいいでしょ。それとも年末年始も返上で働きたい?」
「それは
まぁ、ルネが良いなら良いか。
するとピリカがぴょんぴょん跳ねながらバンザイした。
「いやったー! おやすみやぁ、温泉やぁ!」
「ポロはお留守番ね。ゴドルに預かってもらえよう話つけて来たから」
「くぅん……」
「ルネにしてはずいぶん手際良いね」
「『ルネにしては』って何よ。私は元々段取りいいでしょ」
「そうかな……」
今まで行き当たりばったりだったような気もするが。
これだけトントン拍子で話を進めているのは、ひょっとしたらルナなりに僕らを労いたかったからかもしれない。
「いよーし、美味しいものたらふく食べるわよぉ!」
いや、違うな。
これはただ美味しいものが食べたいだけだ。
※
そして現在に至る。
案内役のルネはウサギと化してしまい、ピリカはまるで子供のように座席に座りながら足をパタパタさせている。
そして三人分の荷物を入れた魔法のカバンは当然のように僕が運ぶ羽目になった。
自分の鬼の血にこの時ばかりは感謝したい。
普通の人間だったらカバンを運ぶのにも一苦労だっただろう。
「フィリは残念やったな。予定合わんで」
「仕方ないよ。『響』は年末も営業するみたいだし」
この間助けてもらった一件もあるのでフィリさんにミランダさんを連れて一緒にどうかと声を掛けたのだ。
しかしながら予定が合わず見送りとなった。
「店畳むとか言い始めた時は焦ったな」
「そうだね……」
暴れ散らかすフィリさんの姿は記憶に新しい。
本気でやりかねない勢いだった。
ゆっくりとマイペースに走る電車の景色は次々に流れていく。
それはどこか僕に、この世界に来た時のことを思い出させた。
あの時もこんな風に景色を眺めてたっけ。
「それにしても、よく直通の電車が出てたね」
「ストロークホームスが僻地にあったお陰やろなぁ。リンドバーグからやったら一日以上掛かるんとちゃうか」
そう言えばストロークホームスはリンドバーグから出た電車の終点駅でもあるんだっけ。
初めてこの世界に来た時、電車が終点を告げていたことをなんとなく思い出す。
リンドバーグからブルーアクアに行こうとするならば、ストロークホームスから更に乗り換えが必要というわけだ。
あまり気づいていなかったが、この世界的にはストロークホームス自体がすでにかなりの田舎なのかもしれない。
「ピリカもブルーアクアに行くのは初めてなんだっけ」
「せやで。めっちゃ景色が綺麗らしいしなぁ。楽しみやわ」
ピリカの声はそばで聞いていてもわかりやすいくらい弾んでいた。
そんな彼女を何気なく眺めていると、不意に目が合う。
「何や道也、ずいぶんテンション低いやん」
「そうかな」
「せっかくの旅行やで? もうちょい盛り上がってこや」
「別に盛り上がってない訳じゃないんだけどな」
楽しみは楽しみなのだ。
ただ……。
「ここ最近ずっとバタバタしてたから、気が抜けてるのかもね」
この世界での暮らしは悪くない。
決して楽ではないけれど、ピリカやルネと過ごす日々はあっという間だ。
賑やかで、忙しくて、さみしいなんて思う暇もない。
だからこうやって何もせずにのんびり電車に揺られると、ほっと力が抜けるような気がしてしまうのだ。
寒い季節なのに日差しが暖かい。
窓から差し込む日の光が空を青く染めている。
遠くに見える雲は分厚くて、空をくり抜いたように真っ白だった。
穏やかな太陽の光が心地よくて、定期的な電車の揺れがまぶたを重くした。
うつらうつらと心地よい電車の音に身を委ねていると「道也」とピリカの声がしてハッと目を覚ました。
「ごめん、僕寝てた?」
さっきまで高かった日差しがずいぶん傾いている。
結構寝てしまったようだ。
しかしピリカは僕の問いには答えず、窓の外を子供のように眺めていた。
「見てみいや」
顎で外を指され、釣られて窓の外に目を向ける。
思わずハッと息を飲んだ。
先程までだだっ広い草原を走っていた電車が、大きな湖に出ていた。
いや、湖というよりは海かもしれない。
四方をだだっ広い海が取り囲んでおり、その真ん中を突っ切るように電車が走っていた。
透明な水に線路が僅かに浸っている。
海の底には都市のようなものが沈んでいるのが分かった。
「すごいな……」
「この辺は昔街があったっちゅう話やな。でもヤミとユラヌスの争いで沈んだって言われとるみたいや。その大戦を経て半分沈んだ街に住んだのがウンディーネや」
「詳しいね」
「店長が前もって来たビラの裏に書いてあったで」
ポケットから先日のビラを取り出したピリカはヒラヒラと紙を振った。
確かに街の歴史のようなものが裏面に小さな文字で印字されている。
すると不意に車内に電子音が鳴り響き、電車がガタリと速度を落とすのが分かった。
【次はブルーアクア。ブルーアクアに停まります】
車内音声が鳴り響く。
もうすぐ到着かと思っていると「道也! 人魚や!」とピリカが窓の外を指さした。
腰から下が魚の身体をしている、頬が鱗に包まれた美しい女性が泳いでいる。
上半身には水着のようなものを着ており、軽やかに海を泳ぐ人魚はピリカが手を振っていることに気がつくと手を振り返してくれた。
「手ぇ振ってくれたで!」
「電車着くよ。降りよう」
子どものようにはしゃぐピリカを連れて、ルネをカバンに乗せて電車を降りる。
改札を抜け駅の外へ出ると、緩やかな潮風と、ツンとした磯の香りが鼻をついた。
そこで広がる景色は、忘れられそうにない。
あったのは、半分海に沈んだ温泉街のような街並み。
足場が渡され、至るところから湯気が上がり、和を思わせる建物が街を彩る。
水と温泉の街、ブルーアクアがそこにあった。
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