第9節 決意と供養と、変わる日々。

 すっかり夜の帳が下りる頃、僕たちは街の入り口に立っていた。


「わんわん!」


「よしよし、いい子だね」


 テンプスが抱き抱えたポロに頬ずりしている。

 先ほどまでは天敵のようだったのにもう馴染んだらしい。

 我が飼い犬ながら恐るべきコミュニケーション能力だ。


 見送りに来た僕たちに、ストロークホームスの役所の人たちが頭を下げる。


「みなさん、本当にありがとうございます。我々は先に戻ってこの一件を報告させていただきます」


「あ、はい」


「ちゃんと『御月見』の宣伝もしといてや。今後ともご贔屓ひいきに」


 役所の人たちがゴンドラ乗り場へ向かうのを見送る。

 日常が戻りつつあるのを感じて、僕たちもホッと一息ついた。


「あれ、そう言えばルネは?」


 気づけばどこにも姿が見当たらない。

 先程まで広場で高笑いをしてたのに、どうりで静かだと思った。


「店長やったら広場でエインフィリアにバチボコに怒られてんで」


「あぁ、やっぱり……」


 ◯


「急に島を動かしたりして、万一誰か落ちたらどうするんだ!」


「だからさっきから謝ってるじゃない!」


「島が崩れて街に落ちたら大惨事になるのよ!?」


「もう許してよぉ! うえええーん!」


 ◯


 どこかで泣き叫ぶルネの声が聞こえる気がする。

 まぁ、気のせいだろう。

 ルネの調子に乗りやすさはもはや才能だから、たまに怒られるくらいがちょうど良いのだ。


 本当ならば僕らも一緒に帰るところだが。

 ここに残っているのには理由があった。

 ルネを回収しないとダメなのもあるが、それだけじゃない。


「ゴドルさん、寄りたいところがあるって言ってましたけど、どこですか?」


「実は案内したいとあの若いエインフィリアが言うのでな」


 言われてみると見覚えのあるエインフィリアの若い男性がこちらに手を上げている。

 テンプスを可愛がったと言うおばあさん――ミラーネさんの知り合いだと話してくれたエインフィリアだ。

 男性に連れられ僕らは街の奥へと向かう。


「ここって……」


 案内された先でたどり着いたのはお墓だった。

 エインフィリアの人々が眠る空島の墓地。

 その中の隅っこの方にある墓石の前に彼は立った。


「ここはミラーネばあさんの墓だよ。天涯孤独な人だったからな。街のみんなで協力して供養したんだ」


「おばあちゃんのお墓……」


 テンプスが真剣な表情で墓石を見つめている。


「ミラーネばあさんは博学で街一番の長寿だった。街の古い風習とかにも詳しい人だったよ。精霊の魔鉱石にも毎日のように拝んでた気がするな」


「信心深い人だったんじゃろうな。時の精霊との契約を守れのも、だからじゃろう」


 なんとなく、そこで僕は気づいてしまった。

 ミラーネさんが契約を守ったのは、使命感や、契約といった堅苦しいものではないのだと。


 古くなった神社におばあさんだけが毎日お参りに来るように。

 この人は、ただ昔からの伝統や風習を守り続けただけなんだ。

 過去の人たちが繋いできたものを風化させないように。

 でも、身よりがなかったから誰にも受け継ぐことが出来なかった。


 そう考えるとこの状況にも共感できる気がした。

 異世界の問題は、決して僕の元の世界とかけ離れているわけじゃないんだ。


「毎日の積み重ねがあって、時の精霊への感謝を忘れなかったから、ミラーネさんはテンプスとの約束を忘れなかったんだね」


「おばあちゃん……」


 テンプスはそっと墓石に手を触れると、ほのかに手に輝きを纏った。

 彼女を纏った光は、やがて墓石へと伝播して行く。

 呆然と僕らが状況を見つめる中、やがてテンプスの光は収まった。


「何をしたの?」


「このお墓の時の流れを緩やかにした。流れる時は一緒だけれど、朽ちにくく、傷みにくくなったはずだよ」


「そんなことが出来るんだ……」


 テンプスはしばらくお墓に祈りを捧げた後、やがて上げるて僕とゴドルさんを見つめた。


「私、もう少し街の人と関わってみようと思う」


「本当に?」


 僕の問いにテンプスは頷く。


「おばあちゃんが私との約束を守ってくれたのは、毎日会いに来てくれてたから。だから私も毎日会いに来ようと思う。そうしたら、みんなも私のこと忘れないよね」


「そうだね。きっと可愛がられるよ」


「ミラーネばあさんには世話になったからな。俺も手伝うよ。街のみんなに口利きしてやる」


 エインフィリアの若者が言うと「本当?」とテンプスは目を見開く。


「エインフィリアは精霊と共にある一族だからな。それに、俺たちも精霊と話してみたいと思ってたんだよ」


「……ありがとう」


「よかったね、テンプス。もういたずらしたらダメだよ」


「ウチも止まるのは二度とごめんやで」


「うん、ごめんなさい」


 やれやれ、これで一件落着か。

 時の精霊とエインフィリアの関係は、これから少しずつ変わっていくのだろう。

 その関係が長く続けば良いと思う。


「そうだ、テンプス。どうせ人と同じ時を生きるなら、ストロークホームスにも遊びに来なよ。空島を離れたりは出来るの?」


「そんなに遠くまでは行けないけど、下の街くらいなら大丈夫だと思う」


「じゃあ、僕らにも会いに来なよ。僕らの店『御月見』に」


「ゴンドラ乗り場にも遊びに来たら良い。何せ暇じゃからな。相手してやろう」


「いいの?」


「もちろん。ポロもテンプスに撫でてもらったら喜ぶしね」


「わん?」


 とびきりの笑顔を浮かべたテンプスを見て、ポロだけが首を傾げていた。


 ◯


 数日後の夕方。


「いやー、からっからに乾いとるわ。寒い季節でも日差しがええんやろうなぁ」


 客足が途絶えたのでリビングで休んでいると、裏庭から洗濯物を回収したピリカが上機嫌で室内に入ってきた。


「これで満足の行く洗濯ライフが送れるわ」


「空島が移動してよかったね」


 すると「全然良くないわよ」と階段からルネが降りてくる。


「散々怒られるし。二度と行かないわ、あんな島」


「あれはルネが悪いでしょ」


「何よ、文句あんの? 窮地に陥ったあんたを誰が救ったと思ってんのよ! 誰が!?」


「その話もう100回は聞いたよ」


 一つ優位に立つと永遠に引っ張ってくる。

 すると入口の方からチリンチリンと鈴の音が鳴り響いた。


「こんにちはー」


「お客さんだ、行かないと」


「あ、ちょっと待ちなさいよ道也! 話はまだ終わってないわよ!」


「いいからポロのご飯用意しておいてよ……。今日当番でしょ」


「私ゃ犬のお世話係じゃないのよぉ!」


 店先まで聞こえるほど叫び散らかすルネを無視して店頭に出ると、見覚えのある顔が目に入る。

 ゴドルさんとテンプスだった。


「来たよ!」


「いらっしゃい、よく来たね」


「下まで来おったからな。ついでに連れてきたんじゃ」


 久しぶりに見るテンプスは、何だか前よりも雰囲気が柔らかくなった気がした。


「テンプスはあれからどうなの?」


「うん。エインフィリアとは仲良くやってる。結構楽しいよ。みんな意外と優しいし」


「それはよかった」


 精霊を慕うエインフィリアも本当は精霊と仲良くしたかったのかもしれない。

 人と同じようにコミュニケーションが取れるテンプスの存在は、彼らからしても珍しく、そして貴重なのだろう。


 テンプスは「久しぶり」とポロを撫でる。

 最初は嫌っていたくせに、すっかり仲良しだな。


 すると犬の餌を乗せた器を持ったルネが真剣な表情でポロを見つめていた。

 その姿に先日の光景が目に浮かぶ。

 めちゃくちゃ吠えられてたな。


「ほら、ご飯よポロ」


 また吠えられるのでは。

 そう思ったが――


「わんわん!」


 ポロは嬉しそうに鳴き声を上げるとご飯を食べ始めた。

 そんなポロにルネは目を輝かせる。


「うー、おしりぷりぷり。愛らしい……」


 この間ウサギになってすっかりポロと打ち解けたらしい。

 思えばルネの方も駄犬呼ばわりもしなくなっていた。


 ポロは犬だけれどとても賢い。

 人の敵意や感情にすぐに気づくのだろう。


「すっかり店長もメロメロやなぁ」


 いつの間にかすぐ横に立っていたピリカがニヤニヤとしていた。

 僕もそっと笑みを浮かべる。


「まぁ、仲良くなって良かったんじゃないかな」


『御月見』にドワーフと精霊の知り合いが増えた。

 店のマスコットとの結束も深まってこれからますます盛り上がりそうだ。


「ゴドルさん」


「何じゃ」


「暖かくなったら、また空島に連れて行ってくださいね」


「構わんよ」


 ふふっとゴドルさんは嬉しそうな顔をした。


「考えてみればわしも、誰かと約束するのは久しぶりかもしれんな」


「楽しみですね」


「そうじゃな」


 温かな季節になればきっと空島では色とりどりの花が咲くのだろう。

 今はまだ、その日のことを夢に見ておこうと思う。

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