第6節 魔法と涙と、鬼ごっこ。

「バカだなぁ、大人しくしておけばちゃんと止めてあげたのに」


 そう言って笑った彼女に先ほどの少女の面影はなかった。

 不気味で邪悪な笑み。

 それを見て初めて、先ほど彼女の笑顔の裏に感じたのが悪意なのだと気がついた。


「島の人たちをこんな風にしたのは君か」


 距離を取りながら僕が尋ねると「仕方ないじゃない」と彼女は言う。


「だって誰も私との約束を覚えてないんだもん」


「約束って……島を浮かせるための大事な契約でしょ? 誰も知らないなんてこと……」


「いや、古い契約じゃ。受け継がれなかったのかもしれん」


「ええ……? そんないい加減なことってあります?」


 寿命が長い種族にはよくあることなのだろうか。

 そんなことを考えている間にテンプスがこちらに駆け寄ってくる。


「あなたたちも止めてあげる!」


 僕が咄嗟にゴドルさんを突き飛ばし身を捻るとテンプスの手は空を切った。

 ゴドルさんは敵でないと思っているのか、相手はまっすぐこちらに向かってくる。


 僕はゴドルさんを巻き込まないよう、ゴドルさんから距離を取ってテンプスを誘導する。

 駆け寄ってきた彼女の両手は見たこともない光で輝いていた。

 あの手に触れられると、多分止まってしまうのだろう。


 鬼ごっこの要領でテンプスがこちらに手を突き出す。

 だがテンプスの手が僕に触れそうなタイミングで首を捻ってかわした。

 即座に両手で抱きつこうとしてくるのを、馬跳びの要領で飛び越える。


 振り回されたテンプスの手は、いずれも紙一重で僕には触れられない。

 完全に見切っていた。

 相手が手を突き出す前に肩と足の動きで動作が止めるのだ。

 速度も遅いのでまず当たる気がしない。

 運動能力は見た目通りで大して高くないらしい。


 ぶんぶんと手を振り回すテンプスをマタドールのようにひらりとかわす。

 やがて疲れたのかぜぇぜぇと彼女は呼吸を荒げた。


「もう怒った! 本気で行くから!」


 テンプスは叫ぶとその体を宙に浮かべる。

 浮かび上がった彼女の全身は更に大きな光に包まれた。

 風も吹いていないのにスカートがはためく。


 何か来る。

 考えると同時に、テンプスが手を胸の前で一閃した。

 その軌道に沿って空間が歪み、かまいたちのような見えない刃がこちらに飛んでくる。


 どう見ても当たったらまずそうだ。

 僕は近くの壁に壁蹴りをすると、宙返りをしてこれを回避した。

 壁にぶつかった刃は傷をつけることなく霧消する。


 攻撃魔法の類ではないらしい。

 だとすると、やはりこちらの時を止めるためのものだろう。


「ちょこまかしないでよ!」


 次々と時魔法の刃が飛んでくる。

 それを僕は宙返りしたり、側転したり、壁走りをしたりして回避した。


 追尾されると厳しかっただろうが、銃と同じように魔法の軌道はまっすぐらしい。

 比較的避けるのは難しくない。

 相手の動作を読めば多分逃げ続けられるが、このままだとジリ貧だ。


 すると攻撃が全然当たらないことにイラついたのか、いよいよテンプスの顔が真っ赤になる。


「もう怒った! こうなったらそこのおじいさんも、ウサギも犬も、まとめて止めて上げる!」


 テンプスのまとう光が一気に強まる。

 まずい予感がした。

 島の人たちを止めた時のように、ここら一帯の時を止めるつもりか。


 街の人たちを思い出す。

 皆、日常生活の最中で突然動きが止まって見えた。

 反応する余地もないくらい一瞬で時間が止まったということだろう。

 同じことをされたらひとたまりもない。


 こうなったら、少し手荒いが彼女を無力化するしかないか。


 全身に血を巡らせ、肉体を鬼へと変貌させる。

 一気に距離を詰めようとしたが、僕が近づこうとするとテンプスは片手で先ほどの時間の刃を放ってきた。


 刃に当たったら一発アウトだから無視するわけにもいかない。

 避けるのに脳のリソースを使わされる。

 おかげでなかなか距離が縮まらなかった。


「魔法で変身しても無駄だよ!」


 テンプスが高らかに笑うと同時に、いよいよ体にまとった光が最高潮に達した。

 そのまま彼女が腕を開くと同時に、一気に光が拡散する。

 光の衝撃波が逃げる間もなく目の前に迫っていた。


「小僧!」


 ゴドルさんの声が遠い。

 全てがスローモーションに感じられた。


 まずい、止められる。

 そう思った時。


 僕たちを包むように透明な膜のようなものが生まれた。

 その膜が、テンプスの拡散した光から僕らを守る。


 一瞬、何が起こったのか分からなかった。

 テンプスもそれは同じなのか、驚いたように目を見開いている。


「何で!? 確かに時を止めたのに!」


「この天才魔女のルネ様がそんな簡単にやられるもんですか!」


「ルネ!」


 ルネがポロを抱き抱えたまま人間に戻っていた。

 時間が来て人間に戻ったのだ。


「道也! 今よ!」


「わかった!」


 僕は思い切り跳躍すると一気にテンプスに近づく。

 ルネに気を取られていたテンプスは一瞬反応が遅れた。


 その一瞬が命取りだった。


 組みつく形でテンプスに飛び掛かると、彼女の首に腕を回して後ろ側から軽く締め上げた。

「ぐえっ」と小さな声が上がる。

 すぐに回り込んでバックチョークのような姿勢になり、地面に倒れ込む。

 ジタバタするテンプスの手足に組み付き、完全に動きを封じた。


 テレビで見た総合格闘技の技を見様見真似で実践したが上手くいった。

 この状態で僕の時を止めればテンプスは身動きが取れなくなるだろう。


「大人しくするんだ。じゃないと締め落とす」


「やめてよ! 変態!」


 テンプスは最初こそ必死で抵抗していたものの、全く動けないと気づいたのか、やがて諦めたように全身から力を抜いた。

 ルネたちが僕に近づいてくる。


「ひっく……みんな酷いよぅ、意地悪ばっかりして。うああ、うああああん! おばあちゃあん!」


 普通の子供のようにポロポロ泣き出すテンプスを見て、近づいてきたルネとゴドルさんがうわっと顔をしかめる。


「道也、あんた大人しそうな顔して容赦なさすぎでしよ……」


「小僧、子供をいじめてはいかんぞ……」


「えぇ……?」

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