第4節 古い街と、去り行く人。

 時が止まる、とゴドルさんは言った。


「何ですか、時が止まるって」


「この空島がどうして浮いとるか知っておるか?」


「分かりません」


「この空島に住むエインフィリアは魔法とはまた違う術を使う。それは精霊術じゃ。この世界にあふれる自然界に宿る精霊たちに語りかけ、彼らの力を借り、事象を発生させる。奴らが語りかける精霊たちには時の精霊も入っておる」


「時の精霊……」


「エインフィリアは古くから時の精霊と契約をしておる。時の精霊はこの空島が落下するのを防ぎ、空に浮くことを可能とした。この空島が浮いているのは、時の精霊のおかげなんじゃ」


「じゃあ、もしかしてこの人って……」


「何らかの理由で、時の精霊に時を止められた可能性はあるのう」


 眼の前の女性の手に触れてみる。

 感触も人間の物と似ているし、指を動かしてみても普通に可動する。

 しかし手を離せば、その状態のままピタリと静止してしまう。


 試しに手を取って脈を測ってみる。

 首筋も手首からも、脈拍は感じられなかった。


 時を止めるというと全身が石みたいになってしまうのかと思ったが、実際には違うらしい。

 こちらからは干渉出来るみたいだが、本人の内側に流れる時間は止まっていると言う感じだろうか。


 困惑している僕をよそに、ゴドルさんは街に歩き出す。


「ここに居ても埒が明かん。街に行くぞ小僧。人がいたんじゃ。街に行けば誰かいるかもしれん」


「そうですね」


 街に近づくに連れ、自然豊かだった道が少しずつ整備され始めた。

 明らかに人の手が入っている。

 人為的に並木道が作られており、縁石で道と森との間に境界が設けられていた。

 整備された木々に挟まれた道は、まるで木のトンネルのようでもある。


「寒い季節なのに、ここらへんは本当に緑が豊かですね」


「それも精霊術じゃろう。エインフィリアは自然を操る術に長けた一族じゃ。空に浮かぶ島なのにここまで気候が安定しておるのは、彼らの術の賜物じゃろう」


「こんな状況じゃなかったら、もう少しゆっくり見て回りたかったですね」


「無事に解決したらいくらでも案内してやるわい」


 日がだいぶ傾いてきた。

 ルネが人間に戻れるまでもう少しか。

 ただ、暗くなる前にはケリをつけたいところだ。


「見てみぃ、小僧。誰かおるぞ!」


 ゴドルさんに言われて見ると、確かに人の姿があった。

 先ほどとは違い、二十代半ばくらいの男性だった。


「こいつも時間が止まっておるわい」


「よく見ると、他にも人の姿がありますね」


 街へと繋がる道に沿って、静止している人の姿が見受けられる。

 全員、歩いている途中に時が止まっているように見えた。


「朝になって仕事に行く途中に時が止まったと言う感じかのう」


 確かに、そんな風に見えるな。

 ゴンドラ乗り場に人の姿がなかったことを考えても、状況的には朝か夜に何らかのトラブルが起こったのだろうと考えられる。

 そして、道行く人が街の外に向かっていることから、朝仕事に向かっている時に時間が止まったと考えるのが自然だ。


 しばらく進んでようやく街へとたどり着く。

 エインフィリアの街は、ストロークホームスに比べると少し建物の感じが古い場所だった。


 ファンタジーに出てくるようなレンガ造りの建物、敷石に鉱石が一部用いられるのは共通してるが、大きな建物は見当たらず、個人経営の小売店が多数見受けられる。


 建物が濫立し道が入り乱れているためか、独特な雰囲気を醸し出されていた。

 小さな階段がいくつもあり、入り組んだ街並みは下町と言う印象を受ける。


 街の中にも人の姿はあったが、いずれも時が止まってしまっている。

 声を掛けたものの、動ける人は居なかった。


「ふぅ……相変わらず魔法の使えん年寄りには厳しい街じゃわい」


「ちょっと休みましょうか」


 階段に座ってエインフィリアの街を眺める。

 僕も少し汗をかいており、緩やかな風が肌を冷やしてくれる。

 寒い季節なのに吹き付ける風は心地よく、空島だけが春に包まれているように感じられた。


 エインフィリアの街は高低差が結構ある所だ。

 鬼であるおかげか僕は平気だが、こう階段が多くては若い常人男性でも割と疲れるだろう。


 見た目こそ異質な街並みで良い雰囲気だが、確かにお年寄りが住むには厳しい場所かもしれない。

 階段から見渡せるエインフィリアの街は、異世界に来たという実感を僕に抱かせる。


 ストロークホームスは現代チックな建物も少なくないこともあり異世界感がなかったので、少し新鮮に思えた。


「この空島はいつからあるんでしょうか」


「もうずっと前じゃよ。わしが生まれるよりも遥かにな」


「ゴドルさんが生まれる前って言うと……」


「200年以上前じゃな。ストロークホームスよりも前にこの空島はあった」


「200年って、ゴドルさん長生きですね……」


「人間に比べてエルフとドワーフは寿命が長いと相場が決まっとる。もっとも、わしらからすれば人間が短命な種族なだけじゃがな」


 ということは、ストロークホームスの花屋のルボスさんも長生きすることになる。

 そう言えば始めて彼と会った時、エルフは馬鹿みたいに長生きだとか気がするな。


「シルフはどうです?」


 脳裏にピリカの姿が思い浮かぶ。


「シルフやノーム、サラマンダーにウンディーネ、エインフィリアも人間よりは長生きじゃよ。エルフやドワーフほどではないがな」


 僕とピリカは同い年だ。

 でももし僕がずっとこの世界に住み続けたとしたら。

 いずれは、寿命が来て僕の方が先に死んでしまうのだろう。


「何だかさみしいですね」


 僕がつぶやくと、ゴドルさんは僕をチラリと見た。


「僕がシルフやエルフの人と仲良くなっても、僕は先に死んで、相手は100年以上も生き続けるわけでしょ。辛いんじゃないかなって」


「人間とわしら長命の種族の時間の捉え方は違う。わしは少なくとも、辛いと思ったことはない。人間の友人も居てずいぶん前に死んでしもうたが、まるで昨日会ってきたかのように顔を思い出せる」


「そう言うもんですか……」


「考えれば、このエインフィリアの街とも長い付き合いじゃな」


 僕がこの魔法世界に来て二ヶ月以上が経つ。

 僕はまだまだ、この世界について知らなすぎるんだなと思った。


 元々はこの世界に長く滞在する気はなく、さっさと帰る方法を見つけて元の世界に戻ろうと思っていた。

 でも今では、この世界に居場所が出来て、名残惜しくなっている自分がいる。


 元の――あの居場所のない世界に戻らなければならないのか、と。


 ただ、この世界で今後暮らすにせよ、元の世界に戻るにせよ、僕はもう少しこの魔法世界について知っておくべきなのだろう。


 その時、不意に階段下の小路に何か影が走ったことに気がついた。

 子供みたいな影が道を横切った気がする。


「ゴドルさん、今の見ました?」


「どうした?」


「子供みたいな影が走っていったのが見えたんです」


「何?」


 僕は立ち上がる。


「ちょっと見てきます。ゴドルさんはここで待っていて下さい」


「しかし、一人で大丈夫か?」


「僕、こう見えても動けるんで何とかしますよ。ポロ、行こう」


「わんわん!」


 ポロと一緒に先程の影を追いかける。

 しかし止まっている人の姿はあれど、動く人影は見当たらなかった。


「どこに行ったんだろう……」


 見間違いだろうか。

 雲の影が走ったのを子どもの姿と誤認したとか?

 いや、それにしては動きがしっかりしていた気がする。


「わんわん!」


 ポロが突然何かに気づいたように鳴き声を上げると、「きゃっ!」と小さな悲鳴が上がった。

 何事かと振り返る。


「誰かいるの?」


 僕が声を掛けると、止まっていたエインフィリアの陰から誰かが姿を現した。

 立っていたのは、白い長髪の赤い瞳をした一人の少女だった。


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