第7節 寄る辺と首輪と、マスコット。

「ようやく大人しくなったわね」


「ルネ、魔犬の状態ってどう?」


「魔力使い果たして力尽きてるわよ。しばらくは安心でしょ」


「そう、良かった」


 僕はそっと子犬を抱えると、頭を撫でた。


「怖い想いさせてごめんな」


 するとにゅっとピリカが顔をのぞかせてくる。


「何や、こうやって見てみると可愛いやないか。ウチも撫でさせてや」

「どうぞ」

「うひひー、モフモフやぁ」


 犬を撫でて喜ぶピリカはまるで幼い女の子のようにも見えた。

 微笑ましく思っていると「道也さん! 皆さん!」とどこからともなく声が聞こえてきた。

 ゴトウミさんだった。走ってきたらしい。


「ゴトウミさん」


「はぁ、はぁ……ご無事ですか? お怪我などは」


「大丈夫ですよ。何とか、ですけど」


「それにしては服がズタボロですが」


 言われてみると確かに、魔犬に食い破られたことで僕の服の袖はボロボロになっていた。

 鬼化したことで服も結構破れてしまっている。

 冬場ということもあり、肉体が鬼から人間に戻るに連れ寒さも増してきた。


「くしゅんっ!」


 くしゃみする僕を見てルネがそっと笑みを浮かべる。


「とりあえず、一旦店に戻るわよ」


 ◯


「もう皆さん酷いです! 一人で何時間も店番させるだなんて!」


『御月見』に戻ってきて早々、ルゥさんがプンスカしながら僕らを迎える。


「仕方ないじゃない。人手を探してるところで丁度いい人材いけにえが来たんだから」


「人のこと人材いけにえ呼ばわりしないで下さいぃ! ホントに不安だったんですから! 夜分とは言えポツポツお客さんは来るし……怖そうな人とかも居て……」


「すいません、ルゥさん。無茶言ってしまって」


「ホントですよぉ……って、道也さん大丈夫ですかぁ!? その姿!」


「あ、まぁ一応無傷です」


「それなら良いんですけどぉ……」


 ルゥさんはそう言うと、僕の腕の中でスヤスヤと眠る魔犬に視線を落とす。


「それが件の魔犬ですか? 全然見えないですねぇ。すごく可愛い」


「そう、すごく愛らしいわね。こいつはそうやって外見で人間を騙すタイプの魔物よ。だから誰も気づかなかったし、騒ぎにもならなかった」


「ルネ、そんな言い方……」


「何よ」


 ルネはジロリと僕を睨む。

 まだ魔犬を助けたことを良く思っていないようだった。

 それもそうなのかもしれない。


 多分ルネはこの中で一番よく魔物の恐ろしさを知っている。

 ゴトウミさんも役所の情報で知っている程度だったようだし、実際に魔物と触れ合ったことはないのだろう。


 魔物の狡猾さも、獰猛さも、知っているのはルネだけだ。


 今回はたまたま被害がでなかったが、僕の腕を噛んだ時の魔犬の力は本物だった。

 あの牙がもし一般人に向いていたらと思うと、確かに恐ろしい。


「あのぉ……これからこの子、どうなっちゃうんですかぁ?」


 ルゥさんが恐る恐る尋ねると、ルネは冷たい視線を子犬に向けた。


「殺処分が順当でしょうね、本来なら」


「さ、殺処分!? こんな可愛いのに?」


「可愛くとも、魔物は魔物よ。今は子供で大人しく見えるけど、大人になったらどうなるかわからないわ。何かあってからじゃ遅いもの」


「そ、それはそうですけどぉ」


「流石に殺すのはちょっと可哀想やな……」


 ピリカとルゥさんが沈んだ顔をする。

 その顔を見て「私だって好きで殺したい訳じゃないわよ」と唇を尖らせた。

 そこで僕はふと疑問が浮かぶ。


「ゴトウミさん、そもそもこの犬、どうしてこの街に迷い込んできたんでしょう」


「正確なことは言えませんが、犬屋敷のおばあさんは元々行場のない犬を預かって回っていたそうです。魔物の巣で生まれた子犬が、何らかの事情で街に迷い込んだ。それをおばあさんが拾ったのではないかと考えられます」


「元の巣に返して上げるってことは……」


「無理ね」


 ピシャリと言葉を被せたのはルネだった。


「魔物は人間の匂いを嫌うわ。長い間人間の元で暮らしたこの子は人の匂いが染み付いてる。たとえ本当の子供だったとしても、すぐにリンチされるでしょうね」


「そんな……」


「それに、魔犬は嗅覚がとても強いわ。はぐれても自分の家くらいすぐに見つけられるはず。それがわざわざ街に来たってことは――」


「既に親は死んでいる可能性が高い?」


 僕が言葉を継ぐと、ルネは頷いた。


「親だけじゃない。兄弟も居ないでしょうね」


「どうにかならないんですか? 道也さん……」


 ルゥさんは泣きそうな顔だ。

 こんな小さく愛らしい犬が殺されてしまうのが辛いのだろう。


 いや、ルゥさんだけじゃない。

 みんな辛いに決まっているんだ。

 子犬を酷い目に遭わせて楽しむ人間はこの中には居ない。


 ――おーっほっほっほ! 弱っちいわね! 魔物とは思えないくらい!

 ――ほらほら! ぼさっとしてると殺っちゃうわよ!


 いや、前言撤回。ルネは痛ぶって喜んでた。

 視線を感じたのか「何よ?」とルネは怪訝な顔をする。

 僕はサッと目を逸らした。


 腕の中で眠っている魔犬は、かつてのポロと姿が重なる。

 二度も犬を見殺しにしたくはない。


 すると気がついたのか、魔犬がパチリと目を覚ました。


「くぅん……」


 体が小刻みに震えていた。

 怯えているんだ。

 行き場も無くて、仲間も居なくて、ようやくたどり着いた居場所も失って。


 この魔犬は、僕らと一緒だ。

 一人ぼっちなんだ。


「ルネ、この子、ここで飼ったらダメかな」


 僕が言うと「はぁ!?」とルネが目をひん剥く。


「ダメに決まってんでしょ! さっき言ったでしょ!? 何か遭ってからじゃ遅いのよ!」


「でもこの子は元々人間と共存できていた。暴れる前は人にずいぶん慣れているみたいだったし、悪さをするようには見えないんだよ」


「そう見せてるのよ! 魔犬は残忍で狡猾なの! 実際、さっきだって大暴れしてたじゃない!」


「あれは命の危険を感じたからそうしちゃっただけで、元々はおばあさんが飼育していたくらいだし、本当は大人しいと思うんだ」


「そんなの道也の主観でしょうが!」


 するとピリカが「ウチ思てんけど」と口を挟む。


「こいつ巨大化こそしたけど、ほとんど魔法使えへんかったやん? もしかしたら魔法苦手なんとちゃうか?」


「そう言えば、樹に引っかかっても降りれずにいましたね……」


 ゴトウミさんが顎に手を当てる。


「たまたま魔力の扱いが下手くそな個体だったんでしょ。でも危険なことに代わりはないわ」


「ルネさん、私からもお願いしますぅ……。こんな可愛い子が殺処分だなんてぇ」


「ダメよ。脅威がある以上、許可は出来ない」


「では、これはどうでしょうか」


 ゴトウミさんはそう言うと、カバンから何かを取り出した。

 彼が手に持っていたのは、首輪だった。

 革製のもので、奇妙な文字で術式のようなものが刺繍されている。


 それを見て「あぁ!」とピリカが大きな声を出した。


「それ魔封じの首輪やん!」


「魔封じの首輪?」


「魔法を封じて魔力を無効化する首輪や! どこかの秘境で作られてる手製のモノで、市場にめったに出回らへんねん!」


「でも、どうしてこんなものが?」


「元々は私が引き取るつもりでしたから」


 ゴトウミさんはそう言うと、そっと被っていた帽子を取った。

 そこから飛び出たのは、耳だった。

 獣の耳……犬の耳に見える。


「ゴトウミさん、犬の獣人だったんですか?」


 僕が尋ねると彼は静かに頷いた。


「妙でしょう、犬の獣人が犬を引き取るだなんて。犬屋敷に飼われていた99匹の犬たち、引き取ったのは私です」


「えぇ、すご……」


「犬の獣人は犬も好きなんですか?」


「で、でも私は龍人ですけど別に龍は好きじゃありませぇん!」


「私がたまたま犬好きなだけですよ」


 ゴトウミさんはルネをまっすぐ見つめる。


「この首輪で魔力を封じ、道也さんが魔法を使わないようしっかりしつけをすれば大丈夫ではないでしょうか」


「でも首輪っていずれ朽ちるでしょ」


「古くなった首輪は店長やったら作れるやろ? 魔法省出身やったら首輪に刻まれた魔法の仕組みも分析出来るんちゃう?」


「そうだよ、ルネは天才なんだから」


「まぁ、そこまで言うならやってみるけど……」


 褒められてまんざらそうでもないルネは表情を正すと、ジッとゴトウミさんを睨みつけた。


「そこまで用意してるんだったら、あんたが飼えばいいじゃない。この犬」


「最初はそう思っていました。ですが――」


 彼はそう言うと、チラリと僕と子犬を見て笑みを浮かべた。


「この子は道也さんにとても良く懐いているみたいでしたから」


「うぐぐ……」


 ルネは苦しげにうなり、渋い顔で目を瞑る。

 そしてしばらく何やらぶつぶつと呟いた後、やがて諦めたようにため息を吐いた。


「わかったわよ。この犬、ウチで飼ってあげる」


「ルネ、本当?」


 僕が目を輝かせると、ルネは「でも」と続けた。


「もし何かあったら私は容赦なくこの犬にとどめを刺すわよ。分かってるでしょうね」

「分かってる。そうならないようにするよ。ありがとう、ルネ」

「ふんっ!」


 ルネはプイとそっぽを向いてしまう。

 怒っているのではなく、照れているのが見ていて分かった。

 ゴトウミさんは安堵の表情を浮かべる。


「役所からは要監視体制を取るために魔法店『御月見』に依頼したことにしておきましょう。元々は首輪なしでもおばあさんに飼われていたくらいです。大人しい犬だと思いますよ。街に被害が出た話もありませんから」


「そうですね」


 ゴトウミさんから首輪を預かって子犬につける。

 抵抗することなく子犬は首輪を受け入れた。


「今日からここがお前の家だよ」


「わんわん!」


 僕が頭を撫でると、子犬は気持ちよさそうに目を瞑った。

 何となく、自分の危機が去ったことを理解しているのかもしれない。

 すると不意にピリカが首を傾げる。


「道也、その犬の名前どうするんや?」


「名前?」


 確かに魔犬や子犬なんて呼び続ける訳にはいかないか。

 僕はしばらく子犬の顔を見つめ、そして決める。


「ポロっていうのはどうかな? 昔飼ってた犬の名前なんだけど」


「わんわん!」


「嬉しそうやな、気にいったんちゃうか」


「じゃあこれからよろしくな、ポロ」


 僕が名前を呼ぶと、ポロは嬉しそうにわんと鳴いた。

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