第5節 ホウキと夜空と、追いかけっこ。

「すっかり懐きましたね」


「お腹が空いてるっぽいんで何かご飯をあげないと」


「子犬用の良い餌を知っています。あとでお教えしますよ」


「本当ですか?」


 犬を連れてルネとの待ち合わせ場所に向かう。

 僕に抱き抱えられた犬はすっかり安心し切った様子で目を閉じていた。

 駅の広場に着くと人影が見える。

 ルネとピリカだ。


「おーい、ルネ」


「道也さん、夜分です。お静かに」


「あ、すいません」


 手を振るとルネはこちらに目をつけた後。

 顔面蒼白になって目を見開いた。


「道也、何抱えてんのよ!?」


「この犬? 木に登って降りられなくなってたんだ」


「バカ! それが魔犬よ! 魔力が段違いじゃない!」


「えっ?」


 ルナの怒鳴り声のせいで眠っていた子犬が目を覚ます。


「その犬よこしなさい! 今すぐ焼き払うわよ!」


「ちょっと待ってよルネ!」


 ルネの殺意ある表情を見た子犬は僕の腕の中で暴れ始めた。


「おい、暴れるなって!」


 無理やり押さえつけようとするも、子犬の力は想定以上でとても抑えることが出来ない。

 もがく子犬を留めておくことが出来ず、やがて腕から抜け出てしまった。

 地面に着地した子犬は歯をむき出してルネに鋭い眼光を向ける。


「ぐるるる……」


「ほらみなさい! 凶暴性をあらわにしたでしょ!」


「それはルネがものすごい剣幕で迫るからだろ!」


 すると、突如として子犬が天に向けて遠吠えをし始めた。

 その瞬間、子犬の全身が仄かに輝き、小さかった体がぐんぐん大きくなる。

 巨大化した犬は、先ほどとはまるで違う生物に見えた。


 狼のような白銀の毛並み、鋭い顔立ちに巨大な前足、大人十数人を乗せても優に走れそうな体つき。

 魔犬がそこにいた。


「くそ、遅かった!」


「何で……」


「魔物は姿を変えられるのよ!」


 ルネが咄嗟に僕の前に立ち、手を前方に構える。


「こうなったら手加減しないわよ! 我が内側より生まれし力よ 彼の者を焼き払う炎となれ!」


 ルネが呪文を唱えると同時に巨大な炎の球が生み出される。

 生み出された炎の球はまるで地獄の業火のように真っ赤で、巻き込んだものをすべて燃やしつくすことは容易に想像出来た。


「くぅ、たぁ、ばぁ、れぇ!」


「待ってルネ!」


 ルネが火球を投げようとしたその時、僕は咄嗟にルネの首根っこを引っ張る。

「ぐえっ!」と言うカエルが潰れたような声と共に、ルネの投げた火球は魔犬を逸れ、遥か上空で爆発した。


「何すんのよ!」


「殺しちゃダメだ! あの子は怯えてるだけなんだ!」


「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! このままだと人が死ぬかもしれないのよ!?」


「でも……!」


「あ! 逃げるで!」


 ピリカが叫ぶのとほぼ同時に、魔犬はきびすを返して街の奥へと走りだす。

 ものすごい速度で、とても追いつけそうにない。


「くそ、逃がすか! 追うわよ! 捕まって!」


 ルネが手を目の前で一閃すると、どっから取り出したのかその手にホウキが握られていた。

 咄嗟に僕はピリカを抱きかかえ、浮遊し始めるルネのホウキに飛び乗る。

 一瞬ぐらつくも、ルネのホウキはすぐに体制を取り戻した。


「ゴトウミさんはそこに居て下さい!」


 僕が叫ぶ間もどんどん高度が増していく。

 ゴトウミさんの姿がみるみるうちに小さくなり、僕らはストロークホームスの遥か上空へとたどり着いた。

 大きな月明かりに照らされる中、風が僕らに吹きつける。

 階下に広がるストロークホームスの街を見て「高い高い!」と僕の腕の中でピリカが怯えていた。


「先制攻撃で終わるはずだったのに、道也のせいで台無しじゃない!」


「仕方ないだろ! そもそもルネが驚かせなかったらあの犬が暴れることはなかったんだ!」


「道也が魔物を軽く見てるからでしょ!」


「ルネが短絡的に判断するからだよ!」


「ケンカしてる場合ちゃうやろ!」


 ぜぇ、ぜぇ、と三人して息を吐く。


「それで、どうするのルネ」


「どうするったって……」


 その時、階下を走る巨大な狼の姿が目に入った。

 街の北側に向かっているようだ。


「焼き払うしかないでしょ! まぁ、消し炭も残らなくなるけどね!」


 ルネが再び詠唱を始め、炎の球を生み出す。

 しかし僕は彼女の体を背後から抱きしめた。

「きゃあ!」とルネが顔を赤らめて叫び声を上げる。

 ホウキが大きくぐらつき、「うひぃ」とピリカが僕の腕の中で情けない声を出した。


「何すんのよスケベ! こんなところで発情しないでよ!」


「違う! 殺しちゃダメだって言ってるんだ! あの犬は怖がってるだけなんだから!」


「じゃあどうしようもないじゃない!」


「そんなことより早く降ろしてくれぇ!」


 泣きそうな声を上げるピリカを無視して僕は考える。


 あの犬を大人しくさせるにはどうしたらいい。

 僕に何が出来るんだ。


 あの魔犬が元々大人しい犬なのは間違いないと思う。

 僕やゴトウミさんが保護した時も、暴れる様子はまるでなかった。


 おばあさんに飼われていて街に被害などが出ていないのも、魔法の力なんかじゃない。

 あの犬は、ちゃんと人と暮らすことが出来る犬なんだ。


 おばあさんが突然いなくなって、役所の人間が入ってきて。

 そして怯えて逃げ出した。

 追い込まれた先で迫ってきたルネを敵だと思って暴れ出したのだとしたら、沈静化させれば手はあるかもしれない。


「僕がやる」


 僕が言うと、ピリカとルネがこちらを見た。


「僕が魔犬を大人しくする。ルネ、先回りして欲しい」


「本当に大丈夫なの?」


「わからない、けど……」


 子犬の姿と、かつての飼い犬ポロの姿が脳裏で重なる。


「このまま殺して終わりになんかしたくないんだ」


 ルネはしばらくジッと僕の顔を見つめると、やがて呆れたようにため息を吐いた。


「ああ! もう知らないわよ!」


 そして彼女はぐっとホウキの柄を握りしめる。


「北側の広い道に誘導するわよ! 急降下するから捕まってなさい!」


「えっ? 降りるってちょっとまってやぁぁぁぁぁぁぁ!」


 ルネがホウキを地面に向けると同時に、ピリカの叫び声がストロークホームスの夜空に響いた。


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