第3節 夜の捜索と、仕事と使命。

 翌日。

 僕たちはストロークホームスの駅前広場に立っていた。


「うう、今日はめっちゃ寒いなぁ」


 ピリカがガチガチと歯を鳴らす。


 ストロークホームスの駅のすぐ近くに建っている役所の前にて、僕たちはゴトウミさんを待っている。

 夜はすっかり更け、空には大きな月が昇っていた。

 街中に人の姿は殆ど見当たらない。

 ストロークホームスは、もう眠りの時間だ。


 僕たちが前にしている街の役所はかなり大きな建物だった。

 ストロークホームスの住民は皆ここを利用している。


 僕も『御月見』で暮らし始めた時、ルネと一緒に住民登録を行った。

 元の世界と違って戸籍まで細かく管理している訳ではないらしく、管理体制がずいぶん緩くて驚いたことを覚えている。


 この魔法世界では、各街は都市国家に近い構造をしているらしい。

 自治制度や文明も都市によって大きく異なる印象を受けた。


 特にこのストロークホームスは旅人やよそ者を受け入れる性質が強い。

 この街の戸籍管理が特別緩いのはそのせいなのだろう。


「お店はあのシスターに任せたし、準備はバッチリね」


 魔法店『御月見』では現在ルゥさんが店番を行っていた。

 たまたま遊びにやってきたところをほぼ無理やり押し付けたのだ。


『ほほほ、本当に私が店番をするんですかぁ……? あわわわわ』


 レジに立ったルゥさんは天敵を前にした小動物のように怯えていた。

 しかしながら決して嫌だと言わないのは、押しに弱いからなのか人が良いからなのか。


「本当に良かったのかな。任せきりにしちゃって」


 心配する僕をよそに、ルネはひょうひょうとしていた。


「一日くらい大丈夫でしょ。もう深夜だし、ほとんどお客さんなんて来ないわよ」


「だと良いけど……」


「そんなことよりあのおっさんまだ来てへんのかいな? ジッとしてると寒いんやけど」


「約束の時間、もう過ぎてるよね」


 僕がチラリと役所に目を向けるのと、役所の入口が開くのはほぼ同時だった。

「お待たせしました」とゴトウミさんが小走りに駆け寄ってくる。

 暖かそうなコートに身を包み、手には会社員が持つようなビジネスバッグが握られていた。


「すいません、取り込んでいたら遅れました」


「本当に一緒に探すんですか? 僕たちは一応依頼された側ですし、後は任せてもらっても大丈夫ですけど」


 僕の言葉にゴトウミさんはそっと首を振った。


「危険なお仕事を任せっぱなしにするのはどうも性に合いません。私も付き添います」


「そうですか……」


 真面目な人だな、と思う。

 責任感が強いのだろう。


「それでどこら辺に魔犬がいるのか検討はついてるの?」


 ルネが尋ねるとゴトウミさんはカバンから紙の束を取り出す。


「役所に来ていた野良犬の目撃情報をまとめました。街に住み着く野良犬はほとんどいませんから、ある程度場所は絞れると思います」


「ひょっとして遅れたのはそれが原因で?」


「ええ、まぁ」


「ふぅん、ちょっと見せてよ」


 ルネは紙の束をパラパラとめくっていく。


「結構バラけてるわね。二人一組で別れたほうが良いかも」


「せやったら、ウチは道也と行くわ」


「ダメよ」


 ススス……とこちらによってくるピリカの首根っこをルネが掴んだ。


「あんたには穴に潜り込む使命があるんだから。私がそれらしい場所を見繕ってあげる」


「人使い荒すぎやろ! ただの嫌がらせやないかぁ!」


「いいから行くわよ。道也、私たち犬屋敷の周辺の方に向かうから」


「分かった。じゃあ逆側を探してみるよ」


 ピリカを引きずるルネを見送り、僕とゴトウミさんが取り残される。

 目があったゴトウミさんは、スチャッとメガネのズレを直した。


「それでは我々も行きましょうか」


「そうですね」


 人気のないストロークホームスの街を歩く。

 緩やかに吹き付ける風は冷たく、肌を刺すように冷たい。

 吐いた息は白く染まり、夜闇が寒さを加速させた。


「それにしても、どうして夜中の捜索なんですか?」


「情報によると魔物は夜に活性化する個体が多いそうです。夜の方が見つかる可能性が上がります」


「なるほど……」


 僕の横を歩くゴトウミさんは目をシパシパさせている。

 いつも真顔で冷静な人だから気づかなかったが、ずいぶん疲れているようだった。


「ゴトウミさんが今ここに立っているのって仕事なんですよね?」


「勿論です」


「昼間も役所の仕事をしてここに来てるんですか?」


「そうなります」


「大変ですね、役所の職員も……」


「いえ、それが職務ですから。それに」


「それに?」


 ゴトウミさんはそっと目を伏せる。


「いなくなった魔犬のことが私も気になりますから」


 彼はそう言うと、先程の書類の束に目を落とした。


「亡くなられた犬屋敷のおばあさんは、生前とても穏やかで優しい方だったそうです。犬に囲まれ、心から愛されていたのだとか。街の子供が迷い込んでも、優しく出迎えてくれたそうですよ」


「へぇ……」


「正直言いますと、この女性が魔犬に操られていたかどうかは疑問が残ります。実際、保護された99匹の犬はとても人懐っこく、愛情をもって育てられてきたことが見て取れました。その真実を、私は確かめたいと思っています」


「どうしてそこまで?」


 僕が尋ねると、ゴトウミさんは神妙な顔をした。


「菅原さんは、まだこの街にきて長くはないのですよね」


「はい。二ヶ月くらいですね」


「私は、もうこの街に住んで三十年以上になります。その間ずっと役所の職員として街の人々に向き合ってきました」


 彼は、まるで過去を回顧するかのように遠い目を浮かべる。


「この街に住んでいるとたくさんの人の人生に触れることになります。定住することなく旅をする人、行場がなくて辿り着く人、街を出て働きに出たのにボロボロになって戻って来る人。そういう街の人を数多く見てきました。誰もが異なる人生を過ごし、誰一人として同じ人生を歩む人はいなかった。そうした街の方に役所の職員として関わることに、私は誇りを持っています」


 ゴトウミさんはそっと僕の顔を見つめた。


「私は、犬屋敷のおばあさんは心から飼い犬を愛していらっしゃったと思っています。だからこそ、彼女が大切にしていた最後の犬がどんな子なのかを、この目で確かめておきたいのです。そして可能であれば、しっかりと行場を作ってあげたい。それが私の役目だと思っています」


 きっと、この街で生きてきたゴトウミさんにとって、街の人々の人生に関わることは仕事であると同時に使命なのだろう。


「ゴトウミさんみたいな人がいるおかげで、ストロークホームスは寄る辺を無くした人にとっての帰る場所になるんですね」


「どう言うことです?」


「以前知り合った人が言ってたんです。ストロークホームスは帰る場所を与えてくれるって。実際、僕がこの街に来てルネやピリカと出会ったのは偶然なんですよ。行き場がなくてルネと知り合って、そこにピリカも加わった。それぞれ事情は違うけど、居場所のない人間だったんです」


「そんなみなさんに、この街が場所を与えてくれたと?」


 僕は頷いたあと、少しだけ苦笑した。


「まぁ実際は、ルネが受け入れてくれたおかげなんですけど。でも街の人が受け入れてくれたから、今も生活出来てます」


「そうですか……」


 そう言って笑ったゴトウミさんはどこか嬉しそうだった。


「帰る場所を与える街……良い言葉ですね」


 機械みたいな表情の彼が笑う姿は、心を許してくれた証にも思えた。


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