第6話 月浮かぶ、豊穣祭の夜。

第1節 悪夢と散歩と、祭りのお誘い。

 まただ。また夢を見ている。


 夜に包まれた世界。

 誰もいない街。

 不自然に大きく肥大化した月。


 そこに佇む、一人の少女。

 顔には貼り付けたような不気味な笑みを浮かべ。

 少女は怪しく目を光らせてこう言う。


『死ね』



「うわぁ!」


 叫びながらガバリと飛び起きた。

 心臓の鼓動がドクンドクンと鳴り響いている。

 全身には汗をかき、呼吸は荒い。


 辺りを見渡すと、そこはストロークホームスにある僕の部屋。

 魔法店『御月見』の二階にある物置部屋のロフトだった。

 店で使う資材や本が置かれた部屋の奥にハシゴがあり、そこを登ったところが僕の寝床になっている。


「またこの夢か……」


「うんん……道也ぁ、うっさいでぇ……」


「ごめんピリカ」


 物置部屋で寝ていたピリカが下から寝ぼけたように言う。

 そんな彼女の様子を眺めながら僕はそっとため息を吐いた。

 これは今夜も眠れそうにないな、と。


 窓からは月明かりが差し込んできていた。

 もうすぐ満月だ。


 ◯


 翌日の夕方、ボーっとする頭で僕は店番をしていた。

 レジカウンターで何気なく外を眺める。

 客足は少なく、ルネが商品棚の整理をしているのが見えた。


 魔法店『御月見』の店内は静かだ。

 特にBGMを流していないので、こうして誰もお客さんがいないと途端に静寂に満たされる。

 これだけ元の世界と共通点が多い世界なので音楽と言う文化も当然あるのだろうが、元の世界ほどカジュアルなものではないのかもしれない。


 でも同じような魔法店である駅前の『響』ではケルト音楽のようなものが流れていたような気がするな。

 じゃあやっぱり店長ルネの意向なのだろうか。

 そんなどうでも良いことばかりに考えが巡る。


 すると不意に見覚えのある人影が表に見えた。

 その影はドアを開けて中に入ってくる。

 チリンチリンといつもの鈴の音が鳴り響いた。


「ただいまー。仕入れから戻ったでえ」


 入り口を開けて呑気な声を出したのはピリカだった。

 市場に仕入れに行っていたのだ。

 背中に彼女の小さな体より大きなリュックが背負われている。


 ピリカは入り口で少し引っかかった後、しばし格闘して中に入ってきた。

 棚の整理をしていたルネが「ご苦労様」と声を掛ける。


「いやぁ、今日は中々良かったで。店長が欲しがってた素材が大量や」


「やるじゃない。あとで見せてもらうわ」


「道也、店番ご苦労やな」


「うん……」


 僕がボーッと返事すると、ピリカとルネは顔を見合わせた。


「なんや最近道也元気ないな」


「わかる? 普段から暗い顔してるけど一層暗いのよね」


「暗黒のオーラが凄まじいんよな」


「あの、聞こえてるんだけど」


 何やらコソコソ話す二人に思わず突っ込む。

 そんな僕を見てルネが呆れた様子で近づいて来た。


「情けないわね。そんな調子でどうするのよ。どうせまだこの前見たって言う夢のこと気にしてるんでしょ? 気の小さい男ね」


「そう言われてもな……」


 ルネはあの夢を実際に目の当たりにしていないからそう言えるのだ。

 朝にもかかわらず街は死んだように夜闇に包まれ、人っ子一人いない。

 そこに突如として現れた、不気味な少女。


 彼女が現れた途端、第六感が警鐘を鳴らしたのだ。

 この人は危険だ、と。

 あれがただの夢だとはとうてい思えない。

 

「それにしても今日、いつにも増してガラガラやなぁ」


 ピリカがふと店内を見渡した。

 彼女の言う通り、店内にはお客さんの姿がまるで見当たらない。

 この一、二時間くらいはずっとこの調子だ。


 するとルネは「ま、こう言う日もあるわよ」とさほど気にもしていなさそうに言った。


「今は暇だけど、昼間は結構混んでたしね。ちょうど商品の製作もしたかったし、ちょうど良いわ。ねぇ、道也?」


 自分の名前を呼ばれてハッとする。


「えっ? ごめん、聞いてなかった」


 ガクッと肩を落とすルネ。


「もう、しっかりなさいよ。あんたがその調子だと私たちの会話、ツッコミ不在になんのよ」


「僕ってそう言う需要なの?」


 ルネは深くため息を吐くと、何か思いついたように手をパンと叩いた。


「よし、今日はもう店じまい。出掛けるわよ」


「どうしたの突然」


「いいから。こんな調子のあんたに店番任せらんないわよ。どうせろくに寝れてないんでしょ? クマ酷いわよ」


「本当に?」


 顔をペタペタと触ってみる。

 自分ではあまり自覚がなかったが、このところあまり眠れていないのは確かだ。

 クマくらい出来ていてもおかしくないだろう。

 自覚のない僕を見てルネはそっと肩をすくめた。


「とにかく今日は気分転換よ。あんまり仕事詰めでも気が滅入るしね」


「うん……ありがとう、ルネ」


「べ、別に! 従業員の管理も店長の仕事だから!」


 ルネはぷいとそっぽを向きながらも、どこか嬉しそうに唇をモゴモゴしていた。


 ◯


『御月見』を出てストロークホームスの駅前へと向かう。

 夕方は個人商店もスーパーも賑わう時間帯だ。


 石造りの駅前広場だったり、レンガ造りの建物だったり、変わった姿の街灯だったり。

 街の雰囲気はずいぶん違うのに、この光景はどこか元の世界を思い出させる。

 夕方が生み出す景色は、どの世界も似たような感じなのかもしれない。


 一通りスーパーで買い物を済ませ、ルネとピリカと夕陽の差し込む道を歩く。

 穏やかな街ストロークホームスは平穏に道ていた。

 その平穏が、僕を心から安堵させる。


「それにしても仰山買ったなぁ。今日の晩御飯は何や?」


 スーパーの紙袋を両手で抱えながらピリカが言う。

「カレーよ」とルネは何でもなさそうに答えた。


 この世界もカレーがあるのか。

 スマホやら、食べ物の名前やら、文化やら。

 元の世界とあまりに共通している部分が多い。


 ストロークホームスにいると、異世界に来たというよりは別の国や地方に旅行で来たような気持ちになる。

 まぁ、おかげで不自由していないのだけれど。


「それにしても道也、ホンマ暗い顔しとるなぁ。たまにはパッと笑ったらどうや」


 僕が無理やり笑みを浮かべると、ピリカは表情を凍らせた後「ごめん」と言った。

 謝らないでほしい。


「そんなに故郷の夢が気になるか?」


「何かつい考えちゃうんだよね」


 隙があれば考えてしまうのだ。

 僕が教会で倒れた時に見たあの夢が現実ならば。

 僕の故郷は……現実世界はどうなったのだろうと。


 誰も居ない、夜に支配された世界。

 あれは、世界が滅びてしまったあとなのだろうか。

 滅んだとは限らないのだろうけれど。

 滅びの未来、と言う言葉がその印象を強く与えてくる。

 少なくとも、元の世界にいた人々がどこに消えたのかは分からなかった。


「まぁ、今言うたかてしゃあないやろ。何せお前の故郷に帰る方法はないんやしな」


「それで相談なんだけど、ルネの魔法で異世界を超えたりは出来ないの?」


 僕が尋ねるとルネは「馬鹿言わないでよ」と言った。


「空間転移すら出来ないのに出来るわけないでしょ」


「空間転移が出来ない? 意外だね。空も飛べるのに」


「それとこれとは別。魔法だって万能じゃないの。空間転移は最難関の魔法の一つよ。特に、自分の視覚外にある場所に飛ぶのはね」


「どう違うの?」


「まず空を飛ぶのとは訳が違う。何せどこに何があるのかもわからないからね。転移先の物の配置が違うだけで魔法は上手く機能しなくなる。例えば目に見える範囲で飛ぶ分には上手くいくかも知れないけど、遠方となると飛ぼうと思っている場所に物が置かれてるかもしれないし、人が立ってるかもしれない。どう言う変化があるかわからないから、魔法を構築出来ない。魔法はね、想像の範疇を超えたら実現できないの。駅前から店までの転移すら怪しいのに、異世界への転移なんて絶対無理ね」


「めっちゃ喋るやん」


げんなりした顔でピリカが言うとルネがいつものドヤ顔をした。


「この際だから教えてあげるけど、大体魔法っていうのはね――」


 ルネから魔法に関する長々とした講釈を聞き流しながら、何気なく景色を眺める。

 建物の隙間から夕陽に照らされた稲穂が見えていた。

 陽の光に照らされ黄金色に輝く稲穂は、何度見てもため息が出るほど美しい。


「ちょっと道也、聞いてんの?」

「え? いや、全然?」

「うがー!」


 怒り狂うルネをよそに、ピリカが稲穂に目を向けて「もうすぐ収穫祭やなぁ」とのんびり呟いた。

 話題が移ったのを感じたのか、ルネが軽く咳払いする。


「そう言えば前から度々耳にするけど、収穫祭って何なの?」


 収穫祭と聞いて気になったので尋ねると「この街で行われる大きなお祭りやな」とピリカが答えた。


「ストロークホームス伝統の、割と有名な行事らしいで。旅で色んな街回ってた時も話だけは聞いてたわ」


「実は私、結構楽しみにしてるのよね」


「ルネ詳しいんだ?」


 尋ねるとルネはふふんと笑みを浮かべる。


「私がわざわざストロークホームスに店を出した理由の一つよ。都心から離れたかったってのもあるけど、収穫祭が目当ての一つでもあったってわけ」


「ルネはお祭りとか賑やかなの、好きじゃないと思ってた」


「確かに? 聡明で思慮深く、高貴で清楚なお嬢様のような私だけれど、意外とお祭りごとは好きなのよ」


「高貴なお嬢様って言うならもうちょっと考えてから行動するようにしなよ」


「せやな」


「失礼ね!」


 三人でやいのやいの話しながら戻ってくると、店の前に誰かが立っているのが分かった。

 誰だろうと思って目を凝らして気がつく。


「ウタコさん」


 僕が呼びかけると、彼女はこちらを見てパッと顔を輝かせた。


「良かった、お店を訪ねたのだけど、誰も居なかったから」


「訪ねたって、私たちに何か用事だったの?」


「ええ」


 ウタコさんはにっこり微笑んだ。


「収穫祭に出てみませんか?」


「収穫祭に……でる?」

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