第6節 帰り道と、目覚めた店主。

「うわぁ!」

「おわぁ!」


 叫びながら飛び起きると、目の前で僕の顔を覗き込んでいたピリカがひっくり返った。

 地面に転がるピリカを僕は呆然と見つめる。


「夢……?」


「起きるなら起きるって言えや!」


「無茶言わないでよ」


 地面に座り込みながらピリカがプンスカしている。

 思わず軽口を返したがまだ現実味がない。

 僕はどこかの小さな部屋のソファに横になっていた。

 目の前にはピリカとクレハさんの姿がある。


 心臓がバクバク鳴っている。

 一体何がどうなったんだ?

 現実世界に戻ったと思ったら小さな女の子が目の前に現れて、身の危険を感じた瞬間に目が覚めた。

 と言うより、あれは本当に夢だったのか?


「ここは? 僕、どうなったの?」


「教会ですよ。奥の客間にお連れしたんです」


 そばに立っていたクレハさんが白いタオルで僕の額の汗を拭く。


「あなた、アテネ様の石像を眺めていて突然倒れたんです」


「倒れた? どれくらいの時間?」


「一、二時間程度やな。ぐったりして全く動かへんし、死んだかと思たわ」


「一、二時間……」


 ちょうど僕があちらの世界にいた時間と重なる。

 夜に満ちた世界で、誰もいない中をひたすら走った。

 夢だったのかと安堵すると同時に、体に残る確かな疲れだけが妙に現実味を帯びていて。

 夢で全部を片付けるには、疑問を抱いてしまう。


 すると部屋のドアが開いてルゥさんが姿を見せた。

 手にはお茶を載せたお盆を持っている。

 彼女は起き上がった僕を見つめた後。


「あ、あぁ! 道也さぁん! 大丈夫ですかぁ?」


 お茶を載せたお盆を投げ飛ばして僕に駆け寄った。

 ピリカが「わーっ!」と声を出す。


「お前! お盆投げんなや!」


「はわわわ!」


 宙に投げ出されたお盆に二人が慌てふためいていると、クレハさんが何事もなかったかのように受け止めた。

 一滴もこぼしていない。


「もう、気をつけてください。ちょっとは落ち着いて」


「あわふぁふぁふぁ! すすすすすいませぇん!」


 ルゥさんがガタガタぶるぶる震え出す。

 本当に落ち着きないな、この人。

 ただそのおかげで、すっかり体に刻まれた恐怖感が消えた。


「それで、体調は大丈夫ですか?」


 クレハさんに尋ねられる。

 僕は頷いた。


「不思議な夢を見ました……」


「夢?」


「僕の故郷に戻る。夢でした」


「それって、お前が居たっちゅう異世界のことか?」


「まぁ、そうだね。僕からしたらここが異世界だけど」


 ピリカの問いに僕が頷いていると、ルゥさんとクレハさんが不思議そうに首を傾げた。


「異世界って、一体何のことですか?」


「あ、しもた。つい……」


 ギクリと表情を強張らせたピリカは、僕に「すまん」と頭を下げる。


「別に良いよ。ここまで来たら、詳しく話そう」


 僕はクレハさんとルゥさんに事情を説明した。

 僕がこの世界ではないどこか別の場所から来たこと。

 元の世界では鬼の一族の末裔だったこと。

 夢でアテネに呼ばれて、気が付いたらストロークホームスに向かう電車の中に乗っていたこと。


 僕がすべて話すと、「そんなこと本当にあるんですね……」とクレハさんが顎に手を当てた。

 ルゥさんはチラチラとクレハさんの顔を見つめている。


「それで、道也さんは自分の故郷が滅んでいた夢を見たのですね?」

「滅んだかはわかりません。でも、少なくとも誰の姿もありませんでした。月もあんなに大きくはなかったし、明らかに異常な景色だったと思います」

「何や不吉な夢やなぁ」


 走った感覚も、水を飲んだ感覚も、鮮明に体が覚えている。

 あれをただの夢だったと考えるのは、どうも納得が行かなかった。


 滅びの未来、と言う言葉が脳裏をよぎる。

 もし、あれが滅びの未来を迎えた世界の末路だとしたら。

 僕のいた世界は、もう滅んでしまったのだろうか。


 そしてこの世界もまた、やがては同じような結末を迎えるのだろうか。


「夢の中に出てきた少女というのも気になりますね」


「そや。お前、その小娘に殺されかけたんやろ?」


「殺されかけたかは分からないけど。死ねって言われただけだし。でも、嫌な感じはしたな」


 あの不気味な少女を前にした時、全身の毛が逆立つのが分かった。

 本能的に体が生命の危機を覚えるような、嫌な感覚が確かに全身を駆け巡ったのだ。


「あれは一体、誰だったんだろう……」


 その問いに答えられる人はいなかった。


 ◯


 夕方になり、すっかり陽も落ちた頃。

 ようやく僕たちは教会を後にした。


「お二人とも、どうもご迷惑おかけしました」


 僕が頭を下げると「気にしないで下さい」とクレハさんは糸のような目を更に細めて笑みを浮かべる。


「私も、色々と興味深いお話が聞けて良かったです。滅びの未来について、私たちも調べておきますね」


「道也さぁん、またいつでも遊びに来て下さい!」


「教会って遊びに来るような場所じゃない気がするんだけど……」


 ブンブンと手をふるルゥさんに見送られながら、僕とピリカは家路についた。


「いやぁ、しかしすっかり遅なってしもたなぁ」

「早く店に帰らないとルネに怒られるね」

「怒らないとでも思ってんの?」


 不意に横から声を掛けられ、見るとホウキに乗ったルネが眉を吊り上げながら浮かんでいた。

 僕とピリカは同時に「あっ……」と声を上げる。


「あんたたち店番もしないで! どこほっつき歩いてんのよ!」


 近づいてくるルネを見てピリカが「ヤバっ」と僕の体に身を隠す。

 仕方がないので首根っこを捕まえて無理やり引きずり出した。


「人がウサギになってると思ったら勝手に見せサボって。どうなるか分かってんでしょうね!?」


「ひぃぃ! 堪忍やでぇ!」


 目に怒りの炎を浮かべたルネに僕は頭を下げる。


「ごめんルネ、悪かったよ。最近疲れてるみたいだったから、休ませて上げたいって思ったんだ」


「それでやることが二人してサボりって訳?」


「いや、本当はもっと早く帰ろうと思ったんだけど……」


「道也が倒れたんや」


「倒れた?」


 ルネが心配そうに僕を見る。


「大丈夫なの? 歩いたりして」


「うん。おかげさまでもう完治したから」


「ふぅん……なら良いけど。働きすぎかしらね」


 しばらく頬をむくれさせていたが「今回だけは許してあげる」とそっぽを向いた。

 ピリカと顔を見合わせてホッと一息つく。

 働かせすぎたのかも知れないとルネなりに責任を感じてるのかもしれない。


「さっさと帰るわよ。夜の営業があるんだから」


「あ、ちょっと待ってよ」


 ホウキで数歩先を飛ぶルネの後ろ姿を追う。

 帰り道で、僕は今日教会であったことを話した。

 最初は何気なく聞いていたルネだったが、やがて興味が出たのか「ふぅん?」と顎に手を当てる。


「教会で変な夢を、ねぇ」


「ルネは知らない? 滅びの未来について」


「知るわけ無いでしょ。今日初めてあんたがこの世界に来た時のことについて聞いたくらいなのに」


 ルネはジロリとこちらを睨む。


「何で今まで黙ってたのよ」


「いや、話すきっかけがなかなか無くて……」


「まぁ別に良いけど。もっと信用されてると思ってたのに……」


「何や、店長は道也が隠しごとしてたからヤキモチ焼いとんのか」


「べ、別にヤキモチなんて焼いてないわよ!」


 ルネがボッと顔を赤く染め、ピリカがその様子にニヤニヤ笑みを浮かべる。

 そんな二人のくだらないやり取りが、何となく心を安堵させてくれた。


「まぁ、変な夢のことなんてさっさと忘れることね」


「ルネは気にならないの? 僕の見た夢」


「気にならないって言ったら嘘になるけど、そんな物気にしても仕方がないでしょ」


 ルネはそっと肩をすくめると。

「それに」と言っていつものドヤ顔を浮かべた。


「私がいるんだから心配するんじゃないわよ。この天才魔女ルネ様が居たら、滅びの未来なんてペッよ」


「店長、その根拠のない自身いったいどこから湧いてくるんや?」


「自信は湧くものじゃないの。つけるものなのよ! 実力でね!」


「ホンマ自分、いい性格してるわ……」


 呆れた様子のピリカを尻目に、ルネはいつものように胸を張っている。

 そんな彼女の破天荒な明るさが、今の僕にとっては何よりも救いに見えた。

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