第5節 夜の世界と、怪しい少女。

 元の世界に戻ってきた?

 一体なぜ? どうやって?

 訳がわからないままベッドから飛び起きる。


「ピリカ? クレハさん? ルゥさん?」


 暗闇に向かって呼びかけるも、やはり誰も返事しない。

 と言うよりも、朝なのに何でこんなに暗いんだ。

 仕方がないので電灯をつける。

 電気は生きていたらしく、何事も無く部屋に明かりが満ちた。


 室内灯に照らされたのは、やはり見慣れた僕の部屋だった。

 じいちゃんと二人で暮らしていた一軒家。

 僕にとっては、この家だけがこの世界に残ったたった一つの居場所であり、資産だった。

 街から少し離れた山の中腹にひっそりとある、二階建ての家。

 見間違えようがない。


 状況を整理する。

 さっきまで僕はストロークホームスの教会にいたはずだ。

 創造神アテネの銅像を眺めていたら急にノイズが走り、倒れた。

 今思えば、あの時視界に入り込んだ情景は、まさしくこの家の情景だったような気がする。


 よく見ると、机や本棚に薄っすらとホコリが積もっているのが分かった。

 スマホを見てみると、僕が最後にベッドで寝てから一ヶ月が経過していた。

 ちょうど僕がストロークホームスにいた期間と同じだ。

 やはり同じ時間が、この世界でも流れていたらしい。


「でも、何で戻れたんだ……?」


 意味が分からずに困惑する。

 一体何が起こったのだろう。

 もしかしたら僕は夢を見ていたのだろうか。

 一ヶ月間、ストロークホームスという異世界の街で暮らす夢を。

 そんな気すらしてくる。


 意味がわからなかったが、酷く喉が乾いていることだけは分かった。

 部屋を出て一階に向かう。

 降りるたびに古びた階段がギシッと軋んだ。

 この辺も以前のままだ。


 それにしても異様に暗い。

 階段を降りるとすぐ目の前に玄関がある。

 玄関の戸は古びた引き戸で、格子にすりガラスがはめ込まれた造りになっていた。

 そこから薄っすらと、外の光が差し込んでいるのがわかる。


 一応朝は朝なのだろうか。

 ただ、それにしてはやけに光が弱く感じた。

 まるで月明かりのような、ぼんやりとした光にも見える。


 リビングで水を飲む。

 冷蔵庫も問題なく稼働していた。

 ペットボトルに直接口をつけて半分ほど飲み干す。

 相当喉が乾いていたようだ。


 元の生活の時そうしていたように、何気なくリモコンでテレビをつけた。

 一ヶ月しか経っていないからあまり世間情勢が変わっているとも思えないが。

 何か少しでも情報が得られればと期待していた。


 ただ、妙なことにテレビに映ったのは砂嵐だった。

 チャンネルはいつも通りのはずだ。

 なのに何で何も映っていないんだろう。


 不思議に思っていくつかチャンネルを変えてみる。

 しかしいずれのチャンネルも砂嵐でまともに番組は放送されていない。

 ここまで来るとテレビアンテナの方に問題があるような気がしてくる。


「故障でもしたのかな……」


 一ヶ月間テレビを放置しているだけで壊れるとは考え難い。

 だが、例えば台風があったとしたらどうだろう。

 テレビの回線に何らかの問題が発生していたとしてもおかしくない。


 考えを巡らせていると、不意に映像がテレビに映し出された。

 何だ、やっぱり問題なかったんじゃないか。

 ホッと胸をなでおろし、すぐに異常に気づく。


 テレビには街の映像が映し出されていた。

 街頭カメラで映したような、街の映像だ。

 妙なのは、その映像の中身だった。


 誰もいない。

 どう見ても繁華街にもかかわらず、誰も映像に映っていないのだ。

 早朝だからかと思ったが、それにしてもあまりにも気配がなさすぎる。


 嫌な予感がして、心臓の鼓動が早くなる。

 そう言えば、さっきからあまりに辺りが静かな気がした。

 この辺は山なので、いつもは早朝に鳥がうるさいくらい鳴くのに。


 僕は靴を履くと家を飛び出した。

 朝とは思えないほど外が薄暗い。

 不思議に思って空を見て、僕は息を呑んだ。


「何だこれ……」


 空には満月が浮かんでいた。

 でもそれは僕が知る満月とは違った。

 空の半分を埋めるほどの、あまりに大きな満月だ。


 ストロークホームスの月もかなり大きかったけれど、その比じゃない。

 と言うよりもあの月、地球に落ちるんじゃないか?


 普通に考えたらお互いの重力が干渉して色々と影響が出そうだが、そう言った様子もない。

 朝だから太陽が月に隠れているのかとも思ったが、そもそも太陽自身昇っていないようにも見えた。


 明らかに異常な光景。

 それはまるで――


「世界が夜に支配されたみたいだ」


 僕は呟いた。


 山を駆け下り、街の方へと走る。

 しばらく道路に沿って坂道を降り続けると、ようやく街中に入った。

 でも、やはり人の姿がない。

 まるで世界が死んでしまったかのような、静寂に包まれている。


「誰か! 誰かいませんか!」


 僕は思わず叫んだ。

 しかし、答えるものはいない。


 そのまま人の姿を求めて駅前の大通りへと向かう。

 走り抜ける街の情景は、明らかに妙だった。

 道路を走っていたであろう車は、ど真ん中で静止している。

 バイクやスクーターも横たわっており、まるで急に人が消えたかのようにも見えた。


 ただ、大きな事故があった様子はない。

 皆が何かに気づいて一斉に静止したあと消えた。

 そんな印象すら受ける光景だった。


 電気は生きているらしく、街頭は朝にもかかわらず点きっぱなしになっていた。

 通り過ぎた店は開店しているようだが、やはり人の姿はない。

 コンビニも平常通りに見えたが、中の食品が傷んでいた。


 やがて駅前へとたどり着く。

 いつもならこの時間帯はそれなりに人がいるはずだ。

 少なくとも、誰もいないということはない。


 だが、やはり駅前にも人の姿はなかった。

 改札の駅員の姿すら見当たらない。

 試しにホームまで足を運んでみると、ドアを開いたまま電車が静止していた。


 途方にくれた僕は、ホームのベンチに座り込む。


「みんなどこ行っちゃったんだ……」


 そこで、ふとポケットに入っているスマホの存在を思い出した。

 おもむろに取り出し、SNSを開いてみる。

 すると、トレンドとなるワードが目に入った。


『世界滅亡』

『黙示録到来』

『太陽消滅?』


 不穏なワードが次々に目に入る。


「太陽消滅って……」


 試しに誰か投稿していないか調べてみた。

 だが、最新の投稿は見当たらない。

 電波は生きているのに、誰一人として投稿をしていないのだ。


 投稿は全て、十五日前に止まっていた。


「何があったんだろう、この世界に」


 僕が呟いたその時。

 不意に、目の前に誰かが立つのが分かった。

 僕は思わず顔を上げる。


 僕の目の前に、一人の少女が佇んでいた。

 黒いワンピースを着た、小さな少女。

 腰よりも長いロングヘアーが印象的だった。


 人がいると思わず、僕は目を見開いた。


「あの……!」


 僕が声を掛けようとした時。

 少女が僕の顔に向かって手を突き出す。

 虚を衝かれていると、彼女の指の隙間から、少女がおもむろに笑みを浮かべるのが見えた。


 普通の笑みじゃない。

 裂けそうなほど口をニッと開いた、不気味な笑みだ。

 よく見ると、少女の瞳は怪しく輝いていた。

 月を思わせるような、金色の光をまとって。


 この子は危ない。

 そう僕の本能が告げていた。


 そして次の瞬間。

 彼女は口を開いてこう言った。


「死ね」

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