第5話 創世者の見せる世界。

第1節 追いかけっ子と、鐘の音。

 風が僕を包んでいる。

 息を切らし、それでもまた足を前へ出す。


 僕は道を走っていた。

 真っ昼間のストロークホームスの街のど真ん中。

 人々をすり抜け、前方を走る黒い中型犬を追いかけている。

 僕の肩には、ウサギになったルネが乗っていた。


「待って!」


 僕が懸命に叫ぶも犬は待ってくれる様子がない。

 ものすごい速度で逃げてしまう。

 捕まったら終わりだとでも思っているのか、相手は必死の形相だ。


「くそ……! 全然追いつかない!」


 街の奥の方へと犬は逃げていく。

 徐々に人の姿も少なくなってきた。

 ストロークホームスの街は駅から離れるほど小路が多く、道が複雑になっていく。

 このままだと逃げられるかも知れない。


 と、その時。

 不意に犬が道を曲がり、長く続く坂道を下り始めた。

 馴れているのかかなりの速度だ。

 ぐんぐん距離が離されていく。


 道には人の姿も、空を飛ぶ魔法使いの姿はない。

 やるならここか。


 僕は走りながら全身の血を駆け巡らせた。

 この異世界に来て鬼の力を何度も使ううちに、ようやくその扱いにも馴れてきたところだ。


 走りながらぐんぐん体が肥大化していく。

 全身が熱を持ち、特に足の筋肉が異常発達し太くなるのが分かった。

 下半身の一部だけを鬼化しているのだ。


「ルネ! 落ちないでよ!」


 僕は肩に乗ったウサギに叫ぶようにして言うと、一気に地面を蹴り中に浮いた。

 長く続く坂道を超跳躍で飛び越える。

 まるで空中を泳ぐ魚のように僕は坂道を下った。

 身体を丸め、空気抵抗をなるべく無くす。

 はるか眼下にあった地面がぐんぐん近づき、駆け抜ける犬の頭上を飛び越えたそのとき。


 僕は思い切り足に力を入れて道に着地すると。

 そのまま振り返り、勢いよく駆け下りてきた犬を真正面から受け止めた。

 犬は全身でちょうど抱え込める大きさだった。


「どうどうどう! 敵じゃないよ! 落ち着いて!」


 狂ったように暴れ散らかす犬をなだめると、やがてその動きは沈静化した。


 ◯


「本当にありがとうございます」


「いえ、今後もどうか魔法屋『御月見』をご贔屓ひいきに」


「はい、またお買い物行きますね!」


 迷子の犬を無事に飼い主である犬の獣人へと送り届ける。

 かなり人に近いが、鼻や耳が犬の形をしているのだ。

 犬の獣人が犬を飼うってどう言うことなんだろう。

 この世界のルールが未だにどうなっているのかわからない部分が多い。

 考えたら負けなのだろう、たぶん。


「にしても朝っぱらから疲れたな……」


 僕は頭にルネを乗せたまま店へ向かう。

 ここ最近は、魔法屋として少しずつ話題になり始めたのか、依頼が集まるようになっていた。

 まぁ、大抵はペット探しとか、失せ物探しとか囁かなものだけど。

 それでもこうした地道な依頼の遂行は、確実に噂になっているようだ。


「早く店に帰ろうか、ピリカに店番任せ切りだし」


 頭上のルネに話しかけると、ルネはうつらうつらとしていた。

 かなり眠そうだ。


「大丈夫? だから店に居たらって言ったのに。せっかく夜型の生活にしたんだから、ルネまだ眠いでしょ?」


 ルネは何か言いたげだったが睡魔には勝てないのかフラフラだ。

 仕方がないので抱きかかえてやる。


 すると大きな鐘がどこからか鳴り響いた。

 カーン、カーンと音がしている。

 その音に向かって、大勢の人が歩いていくのが見えた。


「また鐘だ……。みんなどこに行くんだろう」


 ストロークホームスに来て約一ヶ月。

 たまに聞こえるあの鐘の音の正体は、よく分かっていない。


 ようやく『御月見』へと戻ってきてドアを開ける。

 チリンチリンと聞き慣れた鈴の音が鳴り響いた。


「ただいま」


「おー、お疲れさん。道也」


 レジカウンターのところで鉱石をいじっていたピリカがフリフリと手を振ってきた。

 彼女には今日、僕が出ている間店番をしてもらっていた。


 長年旅をしていたピリカは意外にも適応力が高い。

 接客こそ壊滅的だったが、レジなどの簡単な作業くらいなら任せられるようになっていた。

 三人で始まった店の経営は、案外良いバランスで成り立っている。


「ピリカ、お店任せっぱなしでごめん」


「別にええよ。この店のレジやったら別に負担にもならんしな」


「それ何やってるの?」


「鉱石の仕分けや。最近仕入れてんけどキレイやろ? 使えそうなやつは店に残すし、使えへんかったら市場に回そ思てんねん」


「へぇ、いいね」


 僕が眠っているルネをカウンターに置かれた小型クッションに置くと、ピリカがチラリとそちらに視線を向ける。


「何や、我らが店長さんは眠っとんのかいな」


 ピリカは眠っているルネの頭を指先でコリコリとくすぐる。

 ルネはピクピクと耳を震わすも、起きる様子はない。


「にしても、ホンマにウサギになるとはな。初めて見た時はビビったわ」


「そりゃそうだろうね」


「お前もやで? 道也。別世界から来た鬼の一族。店長ルネより希少な存在や」


「自分で言うのも何だけど、よく信じられるね」


「お前の持ってたスマホ、この世界の物とは違う原理で動いてるのが分かるからな。この世界の機械の動力源は魔法やけど、お前のは違うやろ? 高度やけど見たことない技術が使われとる」


「流石に目ざといね」


 ちなみに充電出来ないと諦めていたスマホだが、ルネが用いている充電用の魔法陣に置いたところ充電出来たので今も使えている。

 とは言え、電波の規格などがこちらの世界とは違うみたいなので本来の機能はほぼ使えていないのだが。

 通貨だけは何故か共通しているみたいなので、残った電子マネーをたまに使うなどは出来るだろう。


「それに何よりお前が別世界から来たって聞いて、あんなバケモンみたいになった理由がようやく分かったわ」


「化け物って……この世界の人に言われたくないけど。魔法使いやら獣人やらエルフやらシルフやらドワーフやら、僕からしたら全員化け物みたいなものだよ」


「なにおう」


 そもそも僕の持つ鬼の血は元の世界でもかなり異質な物なのだが。

 まあ今は細かい話は置いておく。


 するとまたどこからか鐘の音が鳴り響くのが分かった。

 カーン、カーンと静かな店内にも音が届く。


「前から思ってたけど、あの鐘の音って何なんだろう」


「街の教会ちゃうかな。今日は礼拝の日やし」


「この世界にも教会があるの?」


 僕が驚いて尋ねると「そりゃそうや」とピリカは頷いた。


「信仰が救いになるやつは一定数おるからな。無くなるもんやないやろ。ま、言うてウチは無宗教やけど。気になるか?」


「まぁ、ちょっとだけ」


 するとピリカはポンと手を叩いた。


「せや、今からちょっと行ってみるか? 教会」


「え、何で?」


「異世界の奴がこの世界の宗教にどんな反応するんか気になるわ」


「でも店もあるし……」


「別にええやろ。客足も落ち着いたしな。今日は昼の部は終了。次は夜からや」


「ルネ怒るでしょ」


「この様子やと夜まで起きひんて。ササッと行って戻ってきたら別にバレへんわ」


 僕はチラリとルネを見る。

 ぐっすりと眠っているルネは起きる気配がない。


「じゃあ、行こうか」

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