第4節 断崖絶壁と、丘に咲く花。

「ようやっと着いたなぁ」


「着いたって……」


 僕とピリカは壁を前にしていた。

 断崖絶壁の巨大な崖。

 目的の流星の丘はこの先にあるらしい。


「ここを昇るんですか?」


「せやで」


 あっけらかんとピリカは言う。


「せやから言うたやろ。流星の丘は辺鄙へんぴな場所にあるって」


「いや、確かに言ってはいたけど」


 これはちょっと異常だ。

 真っ直ぐ垂直に切り立った大きな崖。

 迂回して登れそうなルートは無い。

 どうやら本当にここを登らねばならないらしい。


「この場所を昇るには魔法使いの協力がいるんや。ほら、魔法使いやったらホウキ使って楽に登れるやろ?」


「確かに」


 とは言え、誰もが登れる訳ではないだろう。

 以前ルネが言っていた。

 魔力の強さや魔法の技術に応じてホウキの浮遊精度も変わるのだと。


 上空に行くほど風は強くなり、気流に流されやすくなる。

 そうならぬよう、高度に応じて安定して飛ぶには訓練が居るらしい。

 そしてそうした技術を身に着ける頃には、熟達した魔法使いとなっていることが常なのだそうだ。


 ピリカはそっと溜め息を吐く。


「しゃあないな。あの金髪の姉ちゃんが来るまでしばらくここで待って……ってお前何やってんねん!」


「えっ?」


 声を掛けられ動きを止める。


「頑張ったら登れるかなって」


「いやいやいやいや! 無茶やろ! 登攀とうはんには自信あるかもしれんけどな、趣味の山登りとは訳がちゃうねんぞ!」


「そうかな?」


「本気で言うてんのか? そもそもお前、魔法使えへんのやろ?」


「確かに魔法は使えないよ。でも――」


 この世界に来てから、僕は元の世界で封じていた鬼の力を使ってきた。


 必要以上に重い荷物を持ったり。

 高い場所から落ちてくる人を受け止めようとしたり。

 とんでもない距離を跳躍したり。


 最初は操ることが難しかった力も、徐々にコントロールが出来るようになってきている。

 今の僕なら、この絶壁を登れるのではないかと思うのだ。


 いや、と言うよりも。

 これからルネと一緒に店をやるなら、それくらいは出来るようにならないと話にならない気がしていた。


 今はまだ地味な依頼しかないけれど、徐々に店に来るお客さんも増えてきた。

 魔法に関連する依頼なんて、いつ危ないものが飛び込んでくるかもわからないのだ。

 だから。


「ちょっと試してみたいんだ」


 僕は肩に乗っていたルネをピリカに預ける。


「魔法使いのホウキなら楽勝やろうけど、お前に登れんのか?」


「わからないけど、物は試しだよ。ただ、やったことないから一旦は自分ひとりでやってみようかなって」


「ふぅん?」


 するとピリカは僕の背中をノソノソとよじ登ってきた。

 予期せぬ彼女の行動に慌てる。


「ちょっ、何。急に」


「ウチも連れてけ」


「えぇ……? でも一応君はお客さんだし、危ない目に合わせるわけには」


「それでもや。こちとら国中を旅して回る仕入れ屋やで? こんなんでビビってたら話にならんやろ。ここまで来たら一蓮托生や。ウチも連れてけ」


 そう言ったピリカの目は真っ直ぐなもので。

 彼女が本気で言っているのだとわかった。


「仕方ないな。どうなっても知らないけど」


「そんなん分かっとるわい。黙って行かんかい!」


「無茶苦茶だな」


 無茶苦茶だ。

 だけどその無茶は嫌いじゃない。

 僕のよく知っている、ドヤ顔金髪の魔法使いによく似ていたから。


「じゃあ行くよ」


「おう」


 ピリカの返事を聞いて、僕は体の中の血に意識を向かわせる。

 血管の中の血を循環させる感覚。

 熱く血潮がたぎり、体がどんどん肥大化していく。


「なななんや!? 変身魔法か?」


 僕の背中でピリカが狼狽える。

 でも返答している余裕はない。

 意識をもっと集中させるのだ。


 服が張り詰め、筋肉が急速に発達する。

 腕が太くなり、肌は徐々に赤みを帯び、足は丸太のようになった。

 寒くもないのに吐いた息は蒸気のように白く染まり、周りの空気は熱に揺らぐ。


「自分、体めっちゃ熱なってんで! ホンマに大丈夫なんか!?」


「ちゃんと掴まって」


 僕は軽く跳躍した後、思い切り膝を曲げて着地し。

 その屈伸運動の反動で、一気に崖の上めがけて跳躍した。

 蹴る瞬間、ボコッと地面に足跡が付き地表にヒビが入る。

 そして跳躍すると同時に、風が砂煙を巻き上げた。


 空気の流動と轟音が僕らの耳をつんざく。

 まるで海の中を高速で泳ぐ魚のように、僕らは空を飛んでいた。


「あああああぁぁぁ!」


「ピリカうるさい!」


 思わず叫ぶ。


「ホホホンマにちゃんと降りれんのかこれぇ!?」


「そんなのわからないよ!」


「何やてぇぇぇぇ!!?」


 恐怖に叫び狂うピリカと、振り落とされまいと必死でしがみつくウサギのルネを載せて。

 僕は崖に沿って、ひたすら長い跳躍を続けた。

 一瞬でも集中力を乱してバランスを崩したら終わりだ。

 全身全霊で意識を頭上へと向ける。


「見えた……!」


 恐らく時間にして30秒もなかったと思う。

 不意に、崖の終わりが目に入ってきた。

 後少しで届く、そんな時。

 跳躍の勢いが徐々に無くなり始めた。


「ヤバい! 止まるて! 落ちる落ちる!」


 ピリカが僕の背中をバシバシ叩く。


「落ちないよ!」


 僕は半ば叫ぶように返すと、崖を思い切り蹴り上げた。

 上昇の勢いが落下に転ずる直前、再び上に向かって加速する勢いを生み出す。


 僕が一度壁を蹴るたび、崖の岩がガラリと崩れ落ちた。 

 体が崖から離れぬよう、両手両足を使い全力で絶壁を駆け抜ける。

 獣が地表を走るように四つ足でひたすら壁を登った。


 やがて、崖の終わりにたどり着き、僕たちの体は一気に宙に投げ出される。

 崖の上に待っていたのは、美しい花々が咲き誇る丘だった。

 飛び出した勢いで、一気に花びらが舞い上がる。


「うわぁ……!」


 わずか数秒間の浮遊。

 眼の前の幻想的な光景に背中でピリカが息を飲むのがわかった。

 花畑の中に飛び込む形で着地する。

 ドシンと言う音が響き、僕らの体はようやく地面にたどり着いた。


 肉体の鬼化が解け、一気に体力を持っていかれる。

 僕が地面に倒れ込むのと同時にルネを頭に載せたピリカが飛び降りた。

 そのまま彼女もバランスを崩し、尻もちを着く。


「はぁぁ、めっちゃビビったぁ。死ぬかと思た」


「はは……」


 僕らはしばらく見つめ合うと、どちらともなく笑みを浮かべた。


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