第4節 宵の街と、真剣勝負。

 日が暮れたストロークホームスは大勢の獣人や魔法使いで賑わっていた。

 魔法で灯されているらしいランプが街中に浮かんでおり、家屋の中からはオレンジ色の灯りが漏れる。

 本当にここは魔法都市なのだなと、その時改めて実感した。


 後ろから走ってきた子供が僕らを抜かして行く。

 人間の子供かと思ったが、よく見たら耳が尖っていた。

 エルフだろうか。


「あんたを家に置くのは実を言うと悪い話じゃない」


 道を歩きながらルネは話す。

 その手にはなぜかホウキが握られていた。

 どこから出したのだろう。


「うちも人手は欲しい。オープン間近の個人商店だから給料なんて出せないけど、宿代と食事代でまかなって良いなら置いてあげる」


「本当に?」


「でも、タダでとはいかない」


 期待した僕にピシャリとルネは釘を刺す。


「あんたが秘密を抱えていたように、私にも人には話せない事情がある」


「秘密って?」


「それは――って話させようとすんな! 秘密って言ってんでしょ!」


「惜しいな」


 案外チョロい人なのかもしれない。

 そう思ったが口には出さないでおいた。

 ルネは気を取り直したようにゴホンと咳払いをする。


「あんたを雇うなら、私は秘密を明かさないといけない。でもそれは私の弱点を明かすことにもなる。あんたを雇うことにもリスクがあんの」


「じゃあどうするのさ」


「私がリスクを負ってでもあんたを雇いたいと思えるなら、雇ってあげる」


「荷物運びとか、開店の手伝いならやるよ」


「そうじゃない。もちろん、店番とかはしてもらうつもりだけど」


 ルネはピタリと足を止めると。

 ジッと僕の顔を見つめた。


「私にあんたの鬼の力を見せてもらうわ」


「鬼の力を?」


「うちは魔法店よ。魔法店ってのはね、魔法に関する商品の販売以外にも、魔法に関する事件や困りごとの依頼を受けたりもするの」


「魔法に関する何でも屋って感じなのかな?」


「ま、そゆこと。お店を開店すれば、危険な場所への素材採取や、魔法に関する厄介な依頼も入るかもしれない。私の助手としてやっていける実力がないと困るの」


「でも、鬼の力を見せるって言ってもどうやって?」


「いいからついてきて」


 ルネに言われるまましばらく歩くと、やがて広い道へたどり着いた。

 先程まで山ほど宙に浮かんでいた街灯ランプも、ここでは見当たらない。


 しかし暗いと感じることはなかった。

 地面の敷石にされた鉱石がほのかな輝きを放っていたからだ。

 幻想的な情景に、思わず息を呑む。


 するとルネはまっすぐ道の先を指差した。


「この先に銅像が置かれた大きな公園があるの。以前物件を見に来た時に見つけたんだけど、とても素敵な場所だったわ」


「へぇ……」


 確かに奥に銅像らしいものが立っている。

 ただ、ここからだと暗くてよく見えない。


「夕暮れのこの時間帯は駅前の商店街の方が栄えててね。子供も帰る時間だから、今この辺りには人がいないのよ」


「それで?」


 僕が首を傾げると、ルネは静かに頷いた。


「あんた、今から私と競争しなさい」


「はい?」


 耳を疑う。何を言っている。

 しかしルネは真顔だった。

 本気らしい。


「今から公園にある銅像のところまで私と競争するの。それで私に勝てたらあんたを雇ってあげる」


「何、その子供みたいな対決……」


「うっさいわね! 100kgの荷物を軽々と持ち上げるパワーの持ち主なんでしょ!? だから速度はどんなもんか確かめるって言ってんの!」


「えぇ……」


 露骨に眉をしかめた僕を見てルネはピクリと眉を釣り上げる。


「それとも何? 私が生み出す地獄の業火から逃げられるか試してあげようか?」


「よし、がんばって走るぞぉ」


 ルネがどんな魔法を使うかは知らないが、地獄の業火なぞに襲われれば少なくとも無事では済まないだろう。

 こうなればもう後には引けない。

 僕は覚悟を決めた。


 こう見えても足は速いのだ。

 こんなか弱そうな女の子に負けることはないだろう。


 僕が走る準備をすると、ルネは棒立ちで僕の右隣に立つ。


「いい? このコインが落ちたらスタートよ」


「分かった」


 そんな脱力した状態で勝てるつもりなのか、とは思ったが口にはしない。

 敵に塩を送るような真似はしたくないからだ。


「よーい……」


 ピン、とコインが弾かれ――



 チャリン



 地面にコインが落ちる音が響く。

 音に耳を澄ませていた僕は瞬間的に地面を蹴り、全速力で大通りを走った。

 膝を上げ、地面を蹴り、体を前へ前へと突き出していく。


 すると、不意に僕の真横を高速で何かが通過していった。


 僕を追い抜かしたそれはあっという間に僕と距離を離していく。

 ものすごい速さだ。


 一体何が――


 思わず目を向けてギョッとした。

 ホウキに乗ったルネが全速力のバイクと見紛う速度で飛んでいたから。


「アッハッハ! お先ぃー!」


「ズルじゃん!」


「魔法使いがフィジカルで戦う訳ないでしょ!」


 言ってる間に見る見るうちにルネの背中が遠ざかっていく。

 なんて速度だ。

 自称天才魔法使いなだけある。


 このままじゃ負ける。


 そう思った時。

 僕は走るのを止めた。


「もう諦めたのー!?」


 ルネが叫ぶように尋ねてくる。

 すっかり勝ち誇っていた。


「……諦めるわけ無いだろ」


 こんな所で露頭に迷う気は毛頭ない。


 訳の分からないうちに変な場所に飛ばされて。

 訳のわからないまま荷物を運ばされ。

 訳のわからないまま魔法使いに敗れて追い出されるなんて。


 誰が認められるか。


 だから、ちょっと全力を出そうと思う。


 僕はクラウチングスタートのような前傾姿勢を作ると、両足に全力を込めた。

 ビキビキと筋肉が張る音がし、血流が足に集中するのがわかる。

 血管が浮き上がり、筋肉が奇妙に肥大化した。

 人間のそれと同じだった肌は見る見るうちに赤くなり。

 僕の足の形状は、人から遥かに離れたゴツゴツした物になった。


 全身を集中させる。

 時の流れが止まったかのように、物の速度が遅く感じた。

 極限の集中状態――ゾーンに入る。


 全神経を足先に集中し、呼吸を止めた。


「……今だ」


 つぶやくと同時に、思い切り地面を蹴る。

 靴が敷石にめり込み、キレイな足跡がついた。

 そのまま踏み抜き、一気に前方向けてジャンプする。

 足が地面から離れた瞬間、ものすごい轟音が耳に広がった。

 景色と共に風が流れ、僕の鼓膜を震わせる。

 激しすぎる空気の流れに目がすぐに乾燥した。

 でも集中は一切切らさない。


 前方に向かって跳躍することで距離を詰めてきた僕を、ホウキに乗ったルネが驚愕の顔で見つめていた。


「はっ!?」


 さっきまで得意気だったそのドヤ顔が目を丸くしているのは内心小気味良かった。


 僕の全力跳躍は瞬く間にルネへと追いつき。

 そしてルネを追い越して公園内部へと到達した。

 眼の前にゴールの銅像が迫ってくる。


「……やばっ!」


 このままじゃぶつかる。


 僕は慌てて体制を変えると、幅跳びの要領でかかとから地面に着地した。

 そのまま小刻みに足を動かして少しずつ減速する。

 銅像の台座が目の前に近づいてくる。

 しかしスピードは殺し切れない。


「まずい、ぶつかる!」


 僕が身構えたその時。

 不意に目の前に大きなクッションが現れた。


 一瞬何が起こったか分からなかった。

 しかしすぐに気がつく。

 ルネが魔法を放ったのだ。


 目の前のふかふかのクッションは、僕の身体を見事に受け止める。

 ぼふっと言う音と共にようやく止まることが出来た。


 我ながら危なかった。

 鬼の力で全力を出したのは、生きてきて初めてかもしれない。

 そのせいで完全にコントロールを見誤った。

 今でもまだ心臓がドキドキしている。


 背後にホウキに乗ったルネが呆れた様子で肩をすくめていた。


「あんたねぇ、ちょっとは加減って物を知りなさいよ」


「ありがと……」


 伸ばされた彼女の手を取り、ようやく立ち上がる。

 振り返って見ると僕が飛んだ軌道には湯気が生まれていた。

 限界まで鬼の力を高めて地面を蹴ったのだ。

 瞬間的にものすごい摩擦熱が生じたのだろう。

 我ながらとんでもないパワーだ。


「とにかくこれで、僕の勝ちだね」


「はは……まぁね」


 ルネにされたようなドヤ顔を返してやると。

 彼女は間の抜けた顔でぎこちない笑みを浮かべていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る