第2節 空っぽの店と、天才魔法使い。
大人っぽい、キレイな人だと思った。
目元に涙ボクロがある、優しげな瞳と黒く長い髪の毛が特徴的な人だった。
女性的な魅力に溢れた体型は、男性の理想像といった感じ。
よくモテそうな印象を受ける。
年齢は20代後半くらいだろうか。
母性的な大人のお姉さん、言う印象を受けた。
一体この人は誰だろう。
呆然としていると、女の人は「いけない」と口元に手を当てた。
「ごめんなさい。驚かせちゃったかしら?」
「えっと、あなたは?」
「私はウタコ。この建物の管理人です」
「あ、管理人さん?」
意外な自己紹介だ。
こんなに若い人が管理してる建物なのか。
「今日この建物に新しい住人さんが来られる予定でね。女の子って聞いてたのに、いざ店の前に来てみたら男の人が居たからつい……」
「僕を客だと思ったって訳ですか」
「てっきりね。でもその様子だとどうやら違うみたいね? 何かご用だったかしら?」
「えーと……」
ウタコさんの言葉にどう答えたものかと言い淀む。
どう答えても怪しいよな。
思わず目が泳ぐと、ウタコさんは僕の足元に置かれたカバンをひょいと覗き込んだ。
「ひょっとしてそれ、魔法のカバン?」
「魔法のカバン?」
「あなたのその足元にある旅行カバンよ」
「そうなんですか? これ」
「ええ、見覚えがあるもの。魔法使いが使う特有のカバンよ。沢山物が入るの」
「へぇ……」
僕には普通のカバンにしか見えない。
魔法のカバンか。
道理で尋常じゃ無く重たかったわけだ。
普通なら運ぶのも難しいだろう。
と言うかこの鞄の主はどうやってこんな重たいもの電車に運んだんだ。
そこでピンときた。
これは言い訳に使えるかもしれない。
「実は僕、このカバンの持ち主に頼まれて荷物を運んで来たんです」
「あら、そうだったの?」
「はい。店まで来たのは良かったんですが、まだ開いてないみたいだったので。中の様子を見てたんですよ」
僕が説明すると「なぁんだ」とウタコさんは肩から力を抜いた。
「関係者なら早く言ってくれたら良かったのに。あ、そうだ」
ウタコさんはスカートをゴソゴソとまさぐる。
すると、ポケットから一本の鍵を取り出した。
「ならあなたに鍵を預けちゃって良いかしら?」
「良いんですか?」
「ここで待っているより中で待ってる方がいいでしょう?」
「そりゃそうですけど……」
随分ザルな管理体制だな。
こちらの考えも知らず「待っててね。今開くから」とウタコさんは店の入口の施錠を開けてくれた。
「はい、開きましたよ」
「どうも……お邪魔します」
ドアを開くと吊るされていた鈴がチリンチリンと鳴り響く。
地面に置かれていたカバンを持って中に入ると、新居特有の木の香りがした。
「ずいぶん真新しい建物だな」
「これからここでお店をするって聞いているわ。魔法店を開くんですって」
「魔法店……?」
ウタコさんは頷く。
「魔法道具を作ったり、魔法に関する依頼を受けたり。いわゆる魔法の何でも屋さんね。この街の魔法店はそれほど多くないから。重宝されると思うわ」
「へぇ……」
至るところに魔法使いがいるように見えたが、専門店は少ないのだろうか。
見た感じ地方都市という感じだし、ベッドタウンみたいな街並みだったので、案外そうした専門店は都心の方に集中しているのかもしれない。
「ここの店主さん、とっても優秀な魔法使いらしいの。何でも中央魔法都市の魔法省で働いていたんだって。この街は良くも悪くも地方魔法都市だから。このお店、あっという間に有名になっちゃうかもね」
「そんな優秀な人が、どうして中央からわざわざ地方に出てきたんでしょう」
「さぁ?」
彼女は肩をすくめる。案外適当な人だ。
すると彼女は壁に掛けられた鳩時計を見て「あらいけない」と声を出した。
「もう行かないと。お店、任せて良いかしら?」
「本当に良いんですか?」
「ええ」
ウタコさんはニッコリと笑って僕に近づくと、顔を覗き込んでくる。
思わず少し後ずさった。
こんな美人に近づかれると心臓に悪い。
「ふーん、結構可愛い顔してるんですね」
「な、何なんですか一体」
「んーん。別に」
彼女は歳上の女性らしい小悪魔的な表情を浮かべた。
「ただ、悪いことする人には見えないなって思って。私こういう勘、案外当たるんです」
「はぁ……?」
「じゃあ鍵、お願いしますね」
◯
ウタコさんがいなくなって、ウサギと店内に取り残される。
「あの人さっさと帰りたかっただけじゃないのか」
良いようなことを言われて適当にごまかされた気がした。
まぁ、こっちとしては願ったり叶ったりだけど。
「しばらく待たせてもらうか」
勝手に待つのも悪い気がする。
せっかくなので掃除をすることにした。
かなり整備された内装ではあるが、よく見ると少しホコリが目立つ。
新設されてから住むまで間があったのかもしれない。
家と店舗が併設された造りらしい。
カウンターの奥は廊下を挟み、その先にリビングがあった。
リビングはダイニングキッチンの構造で、掃除道具も置かれている。
おそらく先程のウタコさんが使っていたものだろう。
管理人だと言っていたからな。
雑巾を拝借し、棚を一つ一つ磨いていく。
こうしておけば、店の主に敵意が無いことを示せるような気がした。
掃除を始めながら、現状を俯瞰して考えてみる。
一向に覚める気配のない夢。
というより夢じゃないのだろう。
僕はいつの間にかよくわからないファンタジックな世界に迷い込んでいた。
死後の世界……という訳でもなさそうだ。
そしてこれからどうすれば良いのかもわからない。
行き場もない、お金もない、目的もない。
このままじゃ浮浪者生活に行き着くのは想像に難くない。
浮浪者であればまだ良い。
のたれ死ぬ可能性だってあるのだ。
脳裏に漠然と不安が浮かんでくる。
その不安を拭うように、僕は雑巾で棚を拭いていった。
夢中になって進めていると、いつの間にか日が暮れ始めた。
窓の外から茜色の夕陽が差し込む。
鳩時計が五時を告げる頃には一通り片付けを終えることが出来た。
「なんか疲れたな……」
僕はカウンターに顎を乗せて外を眺める。
僕の顔のすぐ横で金色のウサギが頭を掻いていた。
窓の外を猫耳の女の子二人組が歩いていく。
「可愛いな……」
あの子たちは恐らく人間ではないのだろう。
獣人というやつに違いない。
ここに来てからずっと妙な光景を眺め続けていたせいか、いい加減慣れ始めた。
結局、店主は姿を見せなかったな。
もしかしたら今頃荷物を探して走り回っているのかもしれない。
だとするなら悪いことをしてしまった。
めちゃくちゃキレられるかもしれない。
店主は優秀な魔法使いなんだっけ。
怒りに任せて魔法で動物にされるかもしれないな。
「もしかしたらお前のご主人さまにウサギにされるかもな。そうなったらヨロシク」
ウサギの顎先を指先でチョロチョロと撫でてやると「んなわけ無いじゃない」とウサギが僕の指を押しのけて言った。
「あんた私を怪物かなんかだと思ってんじゃないの?」
「うん?」
ギョッとして目を見開く。
ウサギが喋った?
ウサギが喋った!
僕がイスを倒して立ち上がるのと、ウサギがカウンターの上から飛び降りて店の入口の方へと向かうのはほぼ同時だった。
ウサギが一歩踏み出すごとに、その姿がぐんぐん大きくなる。
小型の獣が人間の姿へとみるみるうちに変わっていく。
あっけにとられて見ていると、目の前に金髪のツリ目の女性が立っていた。
ゆったりとしたシルエットのロングスカートに、緩いスウェットを着た金髪の女性が。
「あー、肩凝ったわ。動物も楽じゃないわねぇ」
眼の前の女性はグッと伸びをすると、首をゴキゴキと動かす。
先程までのウサギの姿は影も形もなくなっていた。
僕が絶句していると、女性はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「荷物運びご苦労様、下僕君」
「下僕って……」
ずいぶんな言いようだな。
いや、問題はそこじゃないか。
「さっきまでそこにウサギが居たと思うんだけど」
「だから、私がそのウサギなんだって。目の前で変わって見せたのに。鈍いわね」
「あなたは一体誰なんです?」
「私はルネ」
僕の質問に、彼女は芝居的な仕草で自分の胸元に手を当てた。
「中央都市リンドバーグからきた天才魔法使い、ルネよ」
風に揺れた彼女の金色の髪の毛は、電車で見た美しい稲穂のように煌めいて見えた。
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