第110話 あたたかな陽射しの中で

 オレはその日、沙月の稽古をしていた。

 場所は沙月の実家の訓練場だ。

 この鍛錬は配信のためではなく、以前沙月と交わした約束のためだった。


「えやっ……!」


 沙月の鋭い剣閃が走る。

 沙月は思いきりが良い。

 判断が非常に速い。

 そのため、相手と同じ判断を下せば、判断の速さで沙月が勝つだろう。


 判断を間違える確率も低い。

 かなり才能にあふれているように思う。


 だが。


「はい。それ引っ掛けだよ」

 オレは沙月の攻撃をかわし、カウンターを叩きこむ――寸前でカタナを止める。


 沙月はフェイントに引っかかりやすい。


「直感での攻撃は素早くていいから、それは直さなくていい。だけど相手がとった選択に対応できるようにはしたほうがいいな」


「師匠が速すぎるんですよ!」


「力も速さも沙月と同じくらいに調整してるよ。それに師匠じゃ――いや、師匠でいいか」


「あ、すみません。ハルカさん。師匠とか呼んでないですよ。……って、え? 今なんて?」


「もう面倒だから、師匠でいいよ」


「ほ、本当ですか!? 後でやっぱり嘘とか言いませんか!?」


 抜身のままのカタナを持ったまま、沙月は「やった、やった」と謎のダンスのような動きをしていた。


「言わないぞ」


 だが沙月は疑り深そうな様子でオレを見る。


「もしかしてドッキリだったりしますか!? そういう企画ですか!? 配信してます?」


 そんなドッキリ企画、やったことないだろうに……。

 でも今度やってみるとするかな。


「そもそもオレが沙月に剣を教えてるなんて、誰も知らないだろ。君は剣術上手い系女子高生のブランディングで売ってるから、そう見られないように気を付けてるんだが」


「そ、そうですよね。わ、わわ、じゃ、じゃあ本当なんですね! どういう気持ちの変化ですか!?」


「……まあ、気が変わっただけだ」

 気に入りすぎないように作ってた壁をブチ壊されたからとか、言えるわけないだろ。

 オレはそんなことを考えながら険しい顔を作った。


「やったぁ! やった、ししょーーー!!」

 そう言って沙月が刃がむき出しになったままのカタナを片手に飛びついてくる。


「ええい、やめろ」

 オレは飛びついてくる沙月の顔面を手で押さえ、引きはがす。


 ――かわいいな。


 ――昔好きだった犬に似ている。

 とオレがかなり失礼なことを考えていると、人の気配がした。


「――お話は聞かせていただきました」


 現れたのは沙月の妹である咲良だった。


「姉さまは本当はまだ弟子ではなかったのですね。前回お会いしたときは、弟子だと私は伝えられましたが――。ですが、正式に弟子になれたこと、おめでとうございます」


 沙月をそのまま何歳か若くしたような外見をしている。

 和の香りのする美少女だ。


 沙月がオレの弟子だと先日言った覚えがある。

 それは、武祭に向かう沙月が、心配する咲良を安心させるためについた嘘だった。

 オレもそれに乗った。


「こんにちは咲良ちゃん。お邪魔してるよ」


「ハルカさま。私もハルカさまの弟子入りをさせていただきたく思います」


 すると、沙月がむっと声に出して言った。


「ダメよ咲良! 師匠は私がせっかく、せっかくようやくようやく、せっかく! 師匠になってもらったんだから! そんなに簡単に師匠にさせられないわ!」


「えー」


「それに実家や私の教えじゃ不満なの? 咲良」


 沙月が少し落ち込んだ口調で言う。


 ――そういえば全然関係ないけど、咲良ちゃんは武蔵小早川櫻家だから、サクラサクラになるんだよなあ。


 オレがめちゃくちゃ関係のないことを考えていると、肩を落とす沙月に対して咲良は怯んだ様子を見せる。


「うっ……。そんなことは、ないですよ。姉さまの教えはとても嬉しいです」


「……ほんとにー……?」

 疑わしげな目つき。


「本当です。こほん、弟子入りは冗談ですよ。姉さま。ご安心を」


 そう言ってから咲良はオレの方を見た。


「ということで、ハルカさま。姉さまは、このようにハルカさまを憎からず思っておりますよ」


「咲良ァ!」

 沙月が咲良ちゃんに対してつかみかかる。


 その途中で沙月がとり落としたカタナをオレが空中でキャッチする。


「あ、姉さま、いた、いたいですって! ちょ! あっ! 参った! 姉さま、参ったです! 咲良は参ってますよ!?」


「じゃあ、もう変なこと言わない?」


「もう、もう言いませんからっ……! 姉さま離してぇっ……!」

 少し浴衣の着崩れた咲良が荒い息をついている。


「はぁ、はぁ……。本当は、ですね、お礼を言いに来たんです」


 咲良は呼吸を整えた後に、んんっ、と咳払いをした。


「私たち、武蔵小早川櫻家を――いえ、小早川家のすべてをお救いくださってありがとうございます。本来行く必要のない武祭にも足を運んでいただき、ありがとうございます。何よりも、姉さまをお救い頂き、ありがとうございます」


 咲良はそう言って頭を下げた。

 美しい所作だった。


「ほら、みんなもおいで」

 咲良が言うと、物陰で見ていた他の4人の弟妹がおそるおそるといった様子で現れる。


 弟妹は咲良の近くまで歩いてきた。

 沙月の弟妹5人が一列に並ぶ。


「さ、みんな。練習した通りにしましょうね」

 咲良が言う。

 沙月は何も知らされていないようで、なんだなんだと興味深げに見ていた。


 咲良が「せーの」と言うと、弟妹5人がそろって頭を下げる。


「「「「「私(僕)たちを、姉さまを、小早川を救ってくれてありがとうございました! ――お義兄にいさま!」」」」」


 言うと沙月が叫んだ。


「咲良っ! あんたねえ!」


 その瞬間にはすでに咲良は駆け出していた。

 着物を振り乱しながら、すでに逃げていく。


「咲良ァ!!」


「お義兄にいさま~。いつでも遊びに来てくださいね! みんな、待ってますから!」

 咲良は驚くべき機敏さで木を蹴り枝に乗り、そのまま屋根の上に飛び移った。


「師匠。ちょっと仕置きをしてきます!」

 沙月も同様のルートをとり、咲良を追いかけていく。

 他の弟妹はぽかんとした顔でその様子を見ていた。



 ――平和だなぁ。



 青空の下で、流れる雲を見ながら、オレはそう思った。




 その後すぐに咲良は捕まった。

 沙月の手によって、縄でぐるぐる巻きにされた状態で引っ立てられてきた。


「悪い子は仕置きよ。咲良」

 縄でぐるぐる巻きにされた咲良は太い木の枝に吊るされた。


「姉さま。堪忍してくださいー。お許しをー」


「さ、師匠。稽古を再開してもらえますか?」

 ミノムシのようにされた咲良の前で、沙月はそう言った。


「えっと……いいのか? 咲良ちゃんは……」


「大丈夫です」


 沙月の強弁に促され、オレは沙月の稽古を始める。


 ミノムシ状態の咲良は最初はぽへーとしていたが、次第に真剣になっていく。

 とてもまじめな顔つきで、稽古を見ていた。

 ミノムシ状態だったからとてもシュールな光景だった。




 稽古が終わった後、沙月が口を開いた。

「あの、えっと、そのぉ……」

 珍しく、躊躇っている。


「どうした?」


「えっと、ですね……」

 沙月はうつむき、次第に顔が赤くなっていく。


「沙月?」


「恥ずかしいんですけど、あの、えぇとぉ……。師匠に変な手紙を出しちゃったじゃないですか……」


 変な手紙……?

 言われて思い出す。

 そういえば沙月が、武祭が始まるときに送ってきた手紙だ。

 それを最後に彼女は姿を消したときの、文章だ。


『遥さんの事務所に入りたいといった言葉、取り消します。今までありがとうございました。とても楽しかったです。あなたは嫌がるかもしれませんが、これからもあなたは私の心の師匠です』


「ああ、あの、心の師匠がどうとか――」


「わ、わー! わーわーわー!!」

 沙月は自分の叫びでオレの声を消滅させようとしてきた。


「それがどうかしたのか?」


「えっと、事務所に入りたいといった言葉、取り消します、といった言葉を取り消します」


 沙月はとてもややこしい言い方で告げた。


「つまり、やっぱり入りたいってことでいいのか?」


 沙月は「いや、えっと……」と言ってから、少し黙って、また口を開く。


「……はい。率直に言えば、そうなります」


「あのさ。入っても君にメリットなんてほとんどないぞ。事務所がいくらか君の稼ぎをとっていくだけだよ多分。君は一人でも成功できるし、そのほうが収益も全部自分のものだ」


 オレが言うと沙月は傷ついたような顔をする。

 しかし、何か決意したような顔つきになって――。

 さらに押してきた。


「それでも、お願いできませんか」


「……ダメだなんて言ってないけど」


「え……」


「沙月がよければ、うちにおいで。でも、いつでも君から契約を切れるような条件にしよう。本来君には、この程度の事務所は必要ないからさ」


 沙月は、まるで花が咲くような笑顔で微笑んだ。


「はいっ……! 最高の、事務所にしましょうね! 師匠!」


 沙月の事務所入りが決まった後、彼女はこう言った。


「そういえば、師匠。最近ですが、ダンジョン内での殺人が結構起きてるらしいんですよ」


「……それは前からだろう?」


 正直ダンジョン内の治安は悪い。身を守る方法が、自分で守るしかないからだ。


「えっと、女子供ばかり狙って、なぶるような殺し方をする凶悪犯が出ているらしいです」


 ああ。そういえば、あったな。そんなことも。

 とオレは思う。

 しかしオレは犯人も被害者も知らないから、手の出しようがない。

 それに、その事件はわりとすぐに鎮静化したはずだった。



「あのあのー。姉さまとお義兄様ー。私のことをお忘れではありませんかー? 咲良はずっと見てましたよー」


 沙月は咲良に対して「さく――!」と叫びかけたが、さすがに理不尽過ぎることに気付いたのか、口を閉じる。


「見てるなら、最初からそう言って止めなさいよね……」

 沙月は斜め下を見ながら、眉をひそめ、口をもにょもにょさせていた。

 その頬は、戯画的な夏の日差しのように、真っ赤に染まっていた。



◆リザルト

 

 ◇事務所『遥かなるミライ』設立

  代表

   風見遥

  所員

     No.001 鈴木真白(特記事項:精霊の加護)

    No.002 鈴木鉄浄(特記事項:鍛冶スキルA-)

    No.003 月子(特記事項:社員犬)

 New! No.004 中村京平(特記事項:戦闘力皆無。事務営業等なんでも屋)

 New! No.005 小早川沙月(特記事項:剣術使い)

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