第10話 《SIDE:小早川沙月2》
小早川沙月は、自分の実力すら把握できていない人間が来たと判断した。
なぜならその青年は、ブラッドシャドウゴブリンと戦えるような格好に見えなかったからだ。
弱そうなこん棒と、槍のようなものを持ち。なぜか投網を持っていた。防具も初心者用の下の下のもの。
ゆえに、さっさと逃げるように言った。
しかし青年は愚かにもブラッドシャドウゴブリンと立ち向かうという。
――無駄死にするだけよ。
そう思った。
だが間違っていたのは沙月だと、すぐに理解した。
理解させられた。
青年は、いともたやすくブラッドシャドウゴブリンの片目を穿った。
その弱い槍で。
頼りないというのすら生ぬるい穂先で、片目を奪ったのだ。
その突きには歴戦の風格すら感じさせられた。
きっと、とてつもない槍術の使い手だと思った。
だが槍は見た目通りの貧相なものらしく、その一撃で穂先が壊れてしまった。
もうだめか、と思った。
しかし彼は穂先の壊れた、棒と化した槍でも戦って見せた。
槍術に棒術は含まれていることがある。だから、棒術を使ったことにそこまで違和感はなかった。
特に青年が見せる回避術には舌を巻いた。
驚愕したといってもいい。
斧との距離が一センチ以下、数ミリあるかないかの回避に見えた。
見切るどころではない。達人と素人以上の技術の差がそこにはあった。
こん棒で戦う彼を見て、違和感が湧いてきた。
こん棒の使い方すら、極めているように見えたからだ。
一瞬、勝てるかもしれないという希望を抱いた。
だがそれを理性が否定する。
一撃でも当たれば終わりの戦いで、何度当てても相手は倒れない。そして戦っていればいずれ疲弊する。
ならば、もはや負けか。
しかし、彼は私の刀を貸してほしいという。
「小早川沙月。悪いが、その刀を貸してくれないか」
「……もう折れてるわよ」
「それでいい」
折れた刀で何をしようというのか。
そしてこれは我が家の家宝で、とても大切な品。
誰にも触らせたくはなかった。触らせる気はなかった。
だけど、恐るべき技量を持つこの青年なら――。
そう思って、沙月は言った。
「…………あんたなら、いいわ」
驚愕した。
折れた刀で、ブラッドシャドウゴブリンの腕をいとも容易く切り落としたからだ。
剣術の天才といわれた沙月ができなかったことだ。沙月はせいぜいが筋肉を切り裂く程度だ。腕を斬り飛ばすなど、決してできなかった。それも折れてない万全な刀を使ってもだ。
信じられなかった。
あの刀を使って、沙月の技量をもってしても、あそこまで深くは斬れない。硬い筋肉の鎧と、骨に阻まれてしまう。
青年はさも当然のことのように言った。
「近いのは解剖学だ。骨の継ぎ目を意識しろ。骨がどう繋がっているかを理解しろ」
頭にかかっていた霧が、すっと晴れた。
骨の継ぎ目を狙っている。どう繋がれているかを理解して、斬るというより、取り外すかのように、その場所を狙っている。
場所だけではだめだろう。角度も計算しているはずだ。
青年は沙月に優しく教えるように、ブラッドシャドウゴブリンと戦って見せた。
斬り方、足運び、重心の位置。
それらすべてを余すことなく、沙月に教えてくれていると感じた。
斬り方は、そうなんだ。
避ける動作すら、次の攻撃の準備にしている。
そこ踏み込んで、刀を動かすのはそのタイミングなんだ。
沙月は見ているだけで、自分が成長することを感じていた。
だが、強烈な違和感。
――似ている。
沙月が使う風響流に、似すぎている。
同じ流派――?
いや、違う。
似ているが違う場所もある。
沙月を見て学んだ?
それも違う。
沙月の戦いを彼は見ていないはず。
たとえ見ていたとして、沙月が使っていない技すら使いこなしている。
そして――。
違和感は最大に達した。
夢でも見ているのかと思った。
人はそう動かない。
いや、そう
人体の構造上、その動きを為しうることは、誰にもできないはずだった。
不可能だ。
だけど、今目の前でそれは行われている。
瞬きすら惜しかった。
目が乾いてピリピリとした痛みが起こる。
痛みを意識から消す。
この動きをコンマ数秒すら見逃すわけにはいかない。
翠風剣から魔力の流れを感じた。
刀で何かしている?
しかし、何をしているかわからない。
否。わからなくてもいい。
ただこの戦いを記憶しよう。
彼の体の動きのすべてを。
その戦い方のすべてを。
生きて帰れれば、考える時間はいくらでもある。
何度も何度も何度も繰り返し、頭の中で再生しよう。彼の動きを理解しよう。
何時間でも、何日でも、何年でも。
そのために、すべて記憶する。
美しかった。
彼の動きは人体の構造を無視しているかのように見えた。
それは沙月がこれまで見たどんな武道技術とも違っていた。
沙月の心臓は、彼の変幻自在の刀殺法に息を飲んで打つのを忘れるほど高鳴った。
彼の戦いはただの戦いではなかった。
芸術だった。
雅な舞のようにすら見えた。
命の奪い合いをしている姿が、今まで見た何よりも鮮明に、美しく見えた。
そして、彼がブラッドシャドウゴブリンの頭――目の部分に折れた翠風剣を突き刺した。
強敵が倒れた喜びはなかった。
助かったという安堵もなかった。
ただ、当たり前のことだと感じていた。
彼が戦えば勝つのは当然と、いつの間にか思っていたのだ。
沙月の胸にあったのは、終わってしまった――という寂しさにも似た感情だった。
だが超絶剣技を見た胸の高鳴りは残っていた。
「…………そんなこと、が……」
彼の折れた剣を握る手。そのなんと美しいことか。
「そんなことが、できるのね……」
彼は近づいてきて言った。
「小早川沙月さん。これ、刀、ありがとう。助かった」
沙月はその言葉を否定したかった。
――刀こそ、あなたのような人に使ってもらって幸せだわ! お礼を言うべきは私と刀よ!
などという意味不明な言葉が口から出そうになり、なんとか押しとどめる。
「ごめん。ありがとう。助かったわ」
小早川沙月は未だ立てず、上半身だけ起こした姿勢から、深く頭を下げた。
正座して地面に頭をこすりつけたいほどだった。
しかし、足が動いてくれない。
「……本当に、ありがとう」
助けてくれたことは、ありがたい。
だが、それが霞むほどに、剣技を見せ、導こうとしてくれたことがありがたかった。
だが彼はいう。
「気にしなくていい」
しなくていいはずなどない。
その剣技をどれだけの修練の上に身に着けたことか。
どれほどの地獄を見たことか。
剣技には実戦で鍛えられた凄みがあった。
どれほどの死地を超えてきたのか、想像すらできない。
「この恩は、絶対に返すわ」
沙月の命を投げうっても、まだ代金には届かないほどの恩を受けた。
恩は10倍、怨は1000倍にして返せ――風響流の教えである。
命よりも重い恩の10倍とはいかほどか。
「別に恩なんて感じる必要はない。オレがやりたくてやっただけだ」
そう聞いて残念に思った。
「……そうなの」
どうやら素直に恩を返させてはくれなそうだ。
そのあと沙月は彼に肩を借りて、ダンジョンから脱出した。
沙月はその最中、気が気ではなかった。
あの美しい剣術を生み出す手で、肩で、身体で支えられ、触れ合っていたからだ。
彼は芸術を生み出す、神が如き尊いものだと感じていた。
それに直接触れ合っているなんて。
どきどきが止まらなかったし、身体は熱くなってしまっている。
――この胸の高鳴りに気づかれませんように。
沙月はダンジョンから出るまで、ずっとそう思っていた。
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