51 今宵、神戸のショットバーで
夜八時に、神仙寺さんの店へ着いた。今夜は貸し切りである旨の張り紙があった。あたしは扉を開けた。
「おっ! やっと主役のご登場や! 蘭ちゃん、おめでとうさん!」
神仙寺さんがあたしの肩に腕を回した。あたしははにかんだ。照明はいつもより明るく、ボックス席にあるローテーブルにはオードブルが並んでいるのが見えた。あたしはその真ん中に腰かけた。隣には中島さん。
「おめでとう! 今日はじゃんじゃん飲みや!」
「はい、そうします!」
斜め向かいに座っていた玲子さんが、あたしに割り箸を渡して言った。
「みんながようさん持ってきてくれたから、遠慮せんと食べや」
「ありがとうございます!」
他にも、たくさんの常連さんが声をかけてくれた。神仙寺さんが、改まった表情で言った。
「えー、それでは! 本日お誕生日を迎えられた、生田蘭さんから一言!」
あたしは立ち上がった。
「今夜はあたしのために、どうもありがとうございます! 皆さんのこと、大好きです! これからもよろしくお願いします!」
全員が、シャンパンを持って乾杯した。それから、たくさんの誕生日プレゼントを貰った。花や本、スケスケの下着など。それらはカウンターの上に置かれた。持って帰るの、大変だろうな。
ぱらぱらと遅れてくる常連さんたちもいて、いつの間にか店内は満員になった。あたしは調子良くシャンパンを飲み、誰か来る度にショットグラスを交わした。これはいけない。絶対に潰れる。
雅さんがやってきて、それは決定的になった。
「はいー! 蘭ちゃん、飲んで飲んで飲んでー!」
あたしと雅さんは、煽り合いながら何杯も飲んだ。
「ありがとうございまふ……」
案の定、あたしはカウンター席で突っ伏した。玲子さんがあたしの髪を撫でてくれた。神仙寺さんはぬるいお水を出してくれた。
「蘭ちゃん、起き起き。あいつやっと来たで」
健介だった。
「遅れて済んません!」
あたしは健介の背中をバシバシと叩いた。
「もー、遅いねん!」
「ごめんって、仕事長引いてんって」
それから神仙寺さんが健介に言った。
「蘭ちゃん、もうこないなってもたから。後はよろしく」
「ええ……」
健介が、プレゼントの入った紙袋を持ち、あたしは彼に手を取られ、フラフラと三宮の街を歩いた。雑踏の匂いも音も心地いい。
あたしは健介の家に着くなり、トイレで吐いた。シャンパンもショットも、何杯飲んだのかわからなかった。健介はあたしの背中をさすってくれた。
水を飲ませてもらい、あたしは健介のベッドで眠った。目が覚めたのは、明朝だった。健介はソファに座っていた。
「……おはよう」
「蘭、大丈夫か?」
「うん」
あたしは彼の隣に腰かけた。多少頭痛はしたが、吐いてスッキリしたお陰か、そこまで不快感はなかった。健介が言った。
「言わなあかんことがあるねん」
「どうしたん?」
「おれ、子供できてん」
「……へっ?」
健介は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「避妊はしてたはずやねん。でも、できてもうた。もう結婚するって話はつけた。せやから、蘭とももう終わりにしたい」
あたしは健介の肩を抱き、ポンポンとあやした。
「そっか。そうなんや」
「ごめん。ほんまにごめん」
それから、健介にキスをして言った。
「しようや」
「うん。これがほんまに最後やで?」
あたしと健介は長いセックスをした。いつもなら、焦らさないところで、あたしは焦らした。彼は苦しそうにあたしを見上げてきた。簡単に達することをあたしはさせなかった。
終わると、健介はベッドに突っ伏した。そして、すすり泣き始めた。
「あかん。やっぱりあかん。蘭のこと、諦められへん」
「それでええんよ。健介からポイするんは許さへん。捨てるんは、あたしからや」
「せやな、せやな……」
「まだポイせえへんよ?」
子供ができようが、結婚しようが、知ったことか。健介はもう、あたしの犬なのだ。あたしに色んな悦びを教えてくれた、可愛い子犬。
「健介は可愛いな。ほんまに可愛いわぁ」
あたしは健介の頭を撫でた。初めて彼と触れ合ったときのことを思い出した。二十歳の誕生日。あの日、タバコとライターを買ったときから、あたしの人生は狂い始めたのだ。
でも、それでいい。あたしはあたしという生命に生まれて、本当に良かった。
翌日の夜、あたしは神仙寺さんの店に足を向けた。
「蘭ちゃん、いらっしゃい」
「こんばんは。昨日はありがとうございました」
「また今日も来てくれたん?」
「えへへっ」
店には、まだ幼い顔付きの男の子のお客さんがいた。あたしは言った。
「隣、ええかな?」
彼はあたしを見上げて、おずおずと言った。
「はい、どうぞ……」
髪は金色で、服装も派手だが、とてもあどけない雰囲気だった。うん、この子にしよう。
「あたし、蘭。可愛いな。一杯奢ったるわ」
神仙寺さんは、素知らぬ顔であたしのビールを注ぎ始めた。今宵、神戸のショットバーで。あたしは華々しく咲き誇る。それがあたし。生田蘭だ。
了
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