46 運命と必然

 また、十月四日がきた。当然のように、あたしは健介と神仙寺さんの店で待ち合わせていた。


「蘭、おめでとう」

「ありがとう。やっぱり誕生日は神仙寺さんのとこやね」

「蘭ちゃん、シャンパン冷えてますよー!」


 神仙寺さんがボトルを出してきた。乾杯だ。この日は他の常連さんたちも沢山いて、ちょっとしたパーティーが行われた。中島さんが言った。


「今日は天使の日ぃらしいで、蘭ちゃん!」


 健介が中島さんの背中をはたいて言った。


「こいつ、悪魔ですよ? 小悪魔やない、悪魔です」

「俺にとっては天使やけどなぁ!」


 他にも色んな人々とあたしは杯を交わした。この店に訪れて丸二年。三宮での知り合いも増えたものだ。

 散々飲んで、フラフラになったあたしは、健介に支えられながら歩いていた。


「蘭、大丈夫か?」

「……吐きそう」

「ええ!? 家もうちょっとやから、我慢しぃ!」


 健介の家のトイレであたしは吐いた。酒を飲んでこうなるのは初めてだ。記憶もおぼろげだ。ベッドに寝転んでぐったりしていると、健介が水を持ってきてくれた。


「とりあえず飲み」

「はぁい……」


 そこから、記憶が飛んだ。気付けば朝になっていた。健介はソファで寝ていた。床に飲みかけの水のペットボトルが置いてあったので、それを飲み干した。


「健介。健介、起きて」

「うぅん……蘭……起きたんかいな」


 健介は大きなあくびをすると、あたしに抱き付いてきた。


「昨日はベッド占領されてもた」

「ごめんって」


 あたしたちはドリップコーヒーを飲み、タバコを吸った。あたしは健介に尋ねた。


「彼女とはまだ続いとん?」

「うん。結婚とかは全然考えてないけどな。でもはよ子供欲しいとか言っとったわ」

「健介は? 欲しくないん?」

「今のおれは要らんよ」


 カーテンから漏れる日差しを浴びながら、あたしたちはセックスをした。健介はやたらと耳を触ってきた。あたしも彼の耳を触り返した。


「蘭、卒論は順調?」

「うん。締切には余裕で間に合うと思う」

「いよいよ、卒業やな」


 健介は翔のことを聞いてきた。彼はようやく、大阪の商社に就職が決まったところだった。


「そいつとは卒業しても続けるんか?」

「うん。だって楽しいもん」

「やっぱり蘭は悪魔や」


 ベッドの上で、あたしたちはじゃれ合った。そうしていると、お腹がすいてきたので、いつかのときと同じく、ラーメンを食べに行くことにした。


「やっぱりここのは美味しいなぁ、健介」

「せやろ? 二人でこうしてたんも、もう二年前か……」


 あの頃は、健介とこうしてまだ続いているだなんて思ってもみなかった。元彼を忘れるためだけの存在として彼を利用したつもりだったのである。


「蘭も社会人になったら、あんまり会われへんくなるかな」

「どうやろなぁ。健介は、まだあたしと会いたいん?」

「うん。やっぱり蘭はええもん」


 健介の家に戻って、映画を観た。今度は後味が悪くないやつだ。老人が主役のロードムービーで、彼は兄に会うために旅をした。終わってから、あたしは言った。


「健介の弟か妹も、会いにくるかもしれへんな」

「せやな。戸籍辿ったらわかってしまうしな。おれも正直、気になっとんよ。悪いんは親父だけや。その子供に罪はあらへん。会いにきたら、受け止めるつもりではおる」


 あたしは勝手にクローゼットを開け、CDを取り出した。健介の好きなバントのファーストシングルだ。激しい機械音が鳴り響いた。あたしたちはもう一度セックスをした。


「なあ蘭」

「何?」

「運命って信じるか?」


 裸で横たわったまま、健介が聞いてきた。


「何よ、いきなり」

「おれ、蘭と出会ったんは、運命やと思ってる。あの日な、ほんまは神仙寺さんとこ行く予定やなかってん」

「……というと?」

「会社の飲み会があってんけどな。上司とめっちゃケンカして、蹴ったってん。神仙寺さんに愚痴ろ思ってたら、蘭がおった」

「そうやったんや」


 あたしが神仙寺さんの店を選んだのも、何か運命的な力が働いたとでもいうのだろうか。下らない。あたしは鼻で笑った。


「あたしは運命よりも、必然の方が好きや。何事も理由があるもんやない?」

「そうかなぁ」


 全てのことは、あたしがこの手で選んできた。酒を飲むことも。タバコを吸うことも。数多の男や女に抱かれることも。あたし自身が選んできた結果なのだ。

 これから、どんな未来が待っているのだろうか。そんなの知らない。目前になって、あたしが選ぶ。ただそれだけだ。


「蘭、まだおれのことポイせんとってな?」

「うん。一緒におるよ。まだその時やない」


 健介と離れる時がきたとして、それを選ぶのもあたし。運命なんか関係ない。


「おれ、今めっちゃ幸せやねん」

「あたしも、幸せ」


 あたしは健介を抱き締めた。この腕の中の幸せが、たとえ儚いものだとしても、今、ここにある。そのことを、全身で確かめた。

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