44 今だけは
皆、続々と内定が決まっていった。白夜は東京の証券会社だ。夏休みが始まる直前、あたしと彼はささやかなお祝いをしに、神仙寺さんのバーへ向かった。
「いらっしゃい、蘭ちゃん、白夜くん」
「こんばんは。白夜、就職先決まったんですよ」
「ほんまか。おめでとう!」
あたしたちはビールで乾杯した。白夜は言った。
「面接三回あったからな。内定出るまでヒヤヒヤしたわ」
「住むとこも決めなあかんな」
「独身寮あるみたいやから、そこにするつもり」
すると、健介が女連れでやってきた。黒髪でロング。例の彼女だろう。あたしと健介は軽く挨拶をした。二人はあたしたちとかなり離れて座った。白夜が聞いてきた。
「知り合い?」
「うん。ここの常連さん」
健介の連れていた女は、品定めをするかのようにこちらを伺ってきた。嫌な印象の女だ。あたしはその視線に気付かないフリをしつつ、タバコに火をつけた。
あたしはアリスと美咲の話をした。彼女たちも無事、就職が決まった。あとは翔だけなのだが、苦戦しているようだ。神仙寺さんが話しかけてきた。
「で? 蘭ちゃんはほんまに玲子さんとこ行くんか?」
「はい。近い内に、その話しようって言われてます」
「まあ、良かったなぁ。玲子さんやったら安心やろ」
視界の端で、健介に女が寄りかかっているのが見えた。あたしは神仙寺さんと話を続けた。
「あとは卒論書くだけです。もう書き始めてます」
「俺は大学出てへんからようわからんけど、大変なんやろ? 頑張りや」
白夜は二杯目をジントニックにした。あたしもつられて同じものを頼んだ。白夜はこっそり、カウンターの下で手を握ってきた。
「白夜、どしたん?」
「なんとなく」
大きな手に包まれていると、鼓動が高鳴った。あたしは店を出る直前に、健介の方まで歩いて行き、肩を叩いた。
「健介。ほなまたね」
「おう、蘭」
女はあたしを上目遣いで睨んできた。あたしはそれを無視した。神仙寺さんに見送られ、あたしと白夜は電車に乗った。
家に着き、あたしがキスをしようとすると、白夜が止めて言った。
「今夜はやらしいこと無し。蘭とゆっくり話したい」
「うん、ええよ」
あたしと白夜は服を着たままベッドに横たわった。彼は語りだした。
「ほんまに就職決まってしもたら、蘭と離れるん嫌やなぁって思ってきた。でも、オレが自分で決めたことや。蘭とは卒業したらキッチリ離れる」
「うん……」
「蘭はどない?」
「あたしは今を楽しみたいかな。白夜との時間、大事にしたい」
それは、紛れもない本心だった。あたしは白夜と手を組み合わせた。彼はただのアクセサリーだ。外すときはもうすぐ。もし他のものが欲しくなったら、また探せばいい。けれど、今だけは。
「あたし、白夜との思い出、一生大事にする。例え何人の男や女に抱かれても、絶対忘れへん」
「ありがとう。オレも蘭のこと、忘れへんからな」
あたしはしばらく我慢していた。けれど、こらえきれなくて。白夜は優しくあたしの涙をぬぐった。
「蘭。死ぬわけやないんや。東京行っても、また会おうと思ったら会える」
「せやな。ライン、ブロックしたらあかんで?」
「そんなんせえへんよ」
白夜は固くあたしを抱き締めた。彼の背中にすがりついて泣いた。泣きまくった。そうすると、次第にスッキリしてきて、あたしはタバコを吸いたくなった。
「白夜、ベランダ行こか」
あたしは白夜のタバコを一本貰った。キャスターホワイト。バニラの風味がするタバコだ。
「あたし、これに変えよかな」
「そうなん?」
「白夜のこと、忘れたくないし」
初対面こそ、翔の悪戯だったが、白夜はあたしにとってそういう存在になっていた。人の出会いとは、わからないものだ。白夜は目を細めて言った。
「ほな、オレも一生このタバコ吸う。それでええか?」
「うん」
東京に行けば、白夜は本当に愛する人と巡り会うのだろう。神戸よりもよっぽど広い。彼の運命の相手とは必ず出会えるはずだ。その幸せを願うことが、あたしにとっての責務だと思った。
「オレが女のことほんまに好きになれればええのかもしれへんけどな。やっぱりあかんわ。蘭だけは別やけど、パートナーになりたいかと聞かれれば、違う」
「あたしも。白夜と結婚とかは考えられへん。あたしは誰にも縛られたくない」
白夜はこんなことを聞いてきた。
「さっき、神仙寺さんの店で会った男、蘭の男か?」
「そうやで。あたしがこんなんなったきっかけ。あいつのこと、嫌いやないけど、それだけの存在や」
健介は、確かに色んなことをあたしに教えてくれた。感謝はしている。でも、別の女と幸せになりたいのなら、止めはしない。
あたしと白夜は手を繋いだまま眠った。夜明け頃、あたしが先に目が覚めた。彼の寝顔にそっとキスをした。そしてまた、眠りについた。
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