42 神戸に生まれて

 夏休みが終わり、また講義やゼミの日々が始まった。あたしは空き時間をよく白夜と過ごした。一緒に喫煙所にいると、たまに翔もきた。三人でまた、遊ぶこともあった。

 十月四日。あたしは神仙寺さんの店に行った。健介はすでにカウンター席に座っていた。


「蘭、誕生日おめでとう」

「ありがとう。健介とは、出会って一年やね」


 健介はシャンパンをいれてくれた。神仙寺さんもご機嫌だ。


「正直言うとな、蘭ちゃんがここ来たとき、未成年ちゃうやろなぁ思って疑っとったんや」

「まあ、誕生日当日だったんで、ギリギリでしたね」

「蘭ちゃんもこの一年でええ女になったなぁ。これからがこわいわ」


 あたしと健介はシャンパンを味わい、店を出た。健介はあたしの手を繋いで言った。


「そしたら、今年の思い出作ろか」

「うんっ」


 健介の家で、長いセックスをした。あたしは彼の背中に痕があることに気付いた。


「健介、痕ついとうで」

「マジか」

「わざわざ自分で見れへんところにつけたんやな」


 あたしは健介に白状させた。


「高校のときの彼女と同窓会で会ってな。それからやってん」

「付き合うん?」

「まだ迷ってる。向こうはその気みたいやけどな」


 ベランダに出てタバコを吸った。吸い始めて一年。祖父は同じ銘柄を選んだ孫をどう思うのだろうか。あたしが高校生のときに亡くなった。


「なんか、お祖父ちゃんのこと思い出してしもた」

「可愛がってもらってたん?」

「うん。保育園の送り迎えとかしてもらった。うちの父親、仕事浸けやったからな。もう許したけど」


 妻を失って、仕事に打ち込むことで、父親は寂しさを紛らせていたんだろう。今ならそういう想像がつく。あたしは墓参りに行ったときのことを健介に話した。


「これから向き合おうって約束した。あたしも父親のこと、理解しようと思う」

「そうかぁ。おれは一生理解できひんな。蘭は良かったな。ええ父親がおって」


 健介はサラサラとあたしの髪をといた。この前美容院に行って、長さを揃えてもらい、トリートメントをしたばかりだ。


「気持ちええ。長髪の女はええな」

「その元彼女も長髪なん?」

「せやで。色は茶色やったけどな。付き合ったら、染めさす」


 あたしたちは部屋に戻った。シャンパンだけでは物足りなかったので、二人で缶ビールを開けた。健介が言った。


「蘭とももう一年か。早いな」

「せやね。ゴム何個使ったんかなぁ?」

「アホみたいにやったな。おれもまだ若い証拠や」


 これまでの日々をあたしは思い返した。一年前とは変わってしまった匂い。得た媚態。左手薬指のリング。その全てが、神戸というこの街に詰まっていた。


「あたし、神戸に生まれて良かったなぁ」

「なんや、いきなり」

「だって、そう思わへん? この街は、あたしのことを受け入れてくれる。全て許してくれる。あたしがあたしでええって言ってくれてる」

「そうかもしれへんなぁ」


 健介は音楽をかけた。あたしたちはもう一度セックスをした。彼とのセックスは、ごくありきたりだけど、女の身体をいたわる優しさに溢れていた。だからこそ、あたしも誕生日に彼と過ごしたいと思うのだろう。


「なあ健介。今日はあたしより先に寝たらあかんで」

「うん、わかった」


 ベッドに入り、ブランケットにくるまった。あたしはじっと健介の瞳を見つめていた。そのまぶたが閉じそうになる度、あたしは鼻をつまんだ。


「あかん、寝てまいそう……」

「もう」


 結局、健介は眠ってしまった。取り残されたあたしは、とりあえずタバコを吸った。眠れそうになかった。それで、結局神仙寺さんの店に足を向けた。


「蘭ちゃん。また来たんかいな」

「健介、寝てしもた」


 神仙寺さんは、珍しいものを出してくれた。アイリッシュコーヒーだ。コーヒーとウイスキーが混ざった温かいカクテル。こくりと飲むと、気持ちが落ち着いた。


「神仙寺さん、何でも作れるんですね」

「言うとうやろ? 俺はバーテンダーとしてはまともやで?」

「私生活はまともじゃないですよね?」

「フツーフツー。清廉潔白やで」


 他にお客さんは居なかった。あたしは神仙寺さんの女関係を知りたくて、あれこれ質問した。好きなタイプは「薄幸そうな女」だということだった。そうしている内に、雅さんが来た。


「蘭ちゃんお疲れー!」

「雅、日付変わってもたけど、蘭ちゃん誕生日やってん」

「ほんまに? おめでとー!」


 雅さんに会うのは久しぶりだ。あたしは報告せねばと思った。


「雅さんに貰ったあれ、彼氏に使いました」

「マジで!? めっちゃおもろいんやけど!」


 それから、白夜が男が好きであることは伏せつつ、行為の内容を話した。雅さんはお腹を抱えて笑っていた。

 健介の家に戻ると、いびきをかいてよく寝ていた。手足を真っ直ぐにさせて自分が寝れる場所を作り、隣に横たわった。

 あたしは二十一歳になったのだ。これからの日々は、どうなることだろう。願わくば、やはり健介には居て欲しい。そう思いながら、ゆっくりと目を瞑った。

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