41 親子

 墓参りの前に、荷物があるからと、父親はまずあたしの家にきた。


「これ、園子のカレー。冷蔵庫に入れとき」

「ありがとう」


 次々と食料品を手渡されていると、父親が気付いた。


「蘭、その指輪……」

「あっ」

「彼氏か?」


 あたしは頷いた。


「そうか。まあ彼氏の一人くらいできるわな」


 彼氏一人どころか、セックスの相手なら無数に居るのだが、それを知られれば父親は卒倒することだろう。

 車で高槻の山道を上った。ずっと奥に、霊園がある。あたしは酔い止めを飲んできておいた。日差しが容赦なくガラスから差し込んでいた。あたしは帽子を深くかぶり直した。


正美まさみ。今日は蘭が来てくれたで」

「お母さん。よう来れんで、ごめんなぁ」


 あたしと父親は、墓石をタオルで拭いた。「たちばな家代々之墓」と書かれていた。母方の祖父母は、母親が死んだのは父親のせいだと罵ったらしい。それで、こちらの墓に入れることになったと。

 母親は、癌だった。見つかったときには、もう末期で、治療のしようがなかったと聞いている。まだ幼子だったあたしを抱え、父親は途方に暮れた。父方の祖父母があたしの世話を買って出てくれて、あたしは無事育つことができた。


「お母さん、あたしは元気にしとうで。また来るからね」


 帰りの車の中で、あたしは父親に頼んだ。


「なあ、ケーキ食べたい」

「ええで。喫茶店かどっか、寄って帰ろか」


 駐車場のある大きな喫茶店にあたしと父親は立ち寄った。庭園があり、外でも食べられるようだが、この暑さだ。あたしたちは中でまず、アイスコーヒーを注文した。


「蘭、どれがええ?」

「うーん、ミルクレープかなぁ」

「蘭はそれ好きやなぁ」


 ケーキが来るまでの間に、まずは就職の話をした。


「知り合いに、司法書士の人がおるねん。そこの事務所で働かへんかって誘われた。だからあたし、卒業したらそこへ行く。西宮やねんけどな」

「そうか。もう決まったんか」

「うん。だから、もう仕送りとか大丈夫やで」

「そういうわけにはいかへんよ。社会人なったら、色々要るやろ。心配せんとき」


 この人は、お金でしかあたしに償いができない人だ。もうあたしも大人だもの。それはわかっていた。だから、慎んで受けておこうと思った。


「わかった。ありがとう。そうや、大樹はどうなん?」

「ああ、本人がやる気でな。勉強も順調やで」


 ミルクレープがきた。あたしはそれをフォークで慎重に割った。父親はというと、ガトーショコラを頼んでいた。


「大樹、ゲームしたいとか言わへんの?」

「言わんくなったなぁ。今は勉強が楽しいらしいわ」

「えっ、ほんまに? 凄いなぁ。さすが園子さんの子やわ」


 これはちょっと、嫌味すぎたか。あたしは父親の表情を伺った。眉一つ動かさず、ケーキを口に運んでいた。二人とも食べ終わった頃、あたしはカバンから一通の手紙を取り出した。


「これ。園子さんに渡しといて」

「園子に?」

「うん。園子さんのこと、お母さんとは呼ばれへんけど、感謝はしとうから」


 手紙を書こうと思ったのは、ほんの思い付きだった。何か物をあげてもいいかもしれないとも思ったのだが、園子さんの趣味があたしにはわからなかった。それで、手紙だ。


「蘭。ありがとうな。園子も喜ぶわ」

「だとええけど」


 内容は正直、自信がなかった。でも、ネットで調べたりなんかせず、全て自分の言葉で綴った。園子さんのことを、本当には好きにはなれない。でも、嫌いにもなれない。ただ、父親と結婚してくれて、大樹と出会わせてくれて、感謝している。そんなことを書いた。父親は言った。


「それで……彼氏とはどうなんや。結婚とか、考えとんか」

「いや。彼氏、東京で就職したいって言ってるねん。だから、卒業したら別れると思う」

「そうかぁ。ほんまに結婚したい男ができたら、はよ連れてきいなぁ」

「うん」


 父親には悪いが、あたしは結婚などこの先しないだろう。もう幾多の男の手垢にまみれ、傷ついてしまっている。大樹が幸せな結婚をすれば、それでいいのではと思った。そして子供ができたら、あたしはオバサンとして彼らを可愛がろう。そういうところまで、もう見えていた。父親は続けた。


「実はな。正美との結婚、最初は反対されとってん」

「えっ、そうなん?」

「橘の家で、他に結婚させたい男がおったらしいんや。正美はそれを蹴って、きてくれた」

「お母さん、お父さんのことほんまに好きやってんね」


 初めて父親の表情が動いた。口角が緩み、気恥ずかしそうに目を伏せた。


「まあ、はよ死なせてしもたけどな」

「お父さんのせいやないよ」

「わかっとう。でも、やっぱり後悔してんねや。蘭とも、じっくり向かい合うことしてこうへんかったしな」


 あたしは父親の瞳を見つめた。ああ、あたしはこの人に似ているのだ。やっぱり親子なんだ。あたしは父親の手を握った。


「これから、向かい合ってよ。あたし、もう大人になってしもたけど。まだこれから時間はたっぷりあるで?」

「せやな……せやな……ありがとう、蘭」


 父親はあたしの家まで送ってくれた。今日で少し、彼の事を許せるような気がした。

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