39 道具
七月の下旬、蒸し暑い日だった。あたしは雅さんに、神仙寺さんの店で会おうと誘われた。
「蘭ちゃーん! 会いたかったぁ」
雅さんは、キャミソールにミニスカートという露出の高い服装だった。そんな彼女にまずは抱きつかれた。
「こら、雅。蘭ちゃん、いらっしゃい」
雅さんはハイボールを飲んでいた。あたしはいつもビールを頼むところだが、彼女に合わせたくて同じものを頼んだ。
「蘭ちゃん、この前彼氏とここ来てんて?」
「はい。卒業までの彼氏ですけどね」
「卒業したら別れるんや?」
「ええ。東京で就職したいらしいんで」
あたしと雅さんはハイボールで乾杯した。彼女は大学に行っていないらしく、どんなものなのかと聞いてきた。あたしはゼミの話をした。
「友達に合わせて適当に入ったんで、ちょっと苦戦してます。卒論とか心配ですね」
「そうなんや。大学生って大変なんやな」
グループワークが始まってから、さすがに色々な小説に目を通すようになった。気に入ったものもできた。戦後を生き延びた一人の女性の物語だ。あたしは彼女の生き方に共感していた。
「坂口安吾っていう作家がおるんですよ。色んな女を書いてるんです。卒論、それにしようかなぁって漠然と考えてます」
「アタシ、本とか読まへんから全然わからへんわ。マンガは読むけどな!」
それから、雅さんは神仙寺さんにマンガの話を振った。彼もよく読むらしい。しばらくは、あたしそっちのけでマンガの話が続いた。
その日の店はとても空いていた。あたしと雅さんの貸切状態だった。雅さんは本当によく話し、よく飲んだ。すっかり機嫌の良くなった彼女に、こんなことを聞かれた。
「なあ、蘭ちゃん。アタシんち、この近くやねん。寄ってかへん?」
「いいですよ」
一階がクリーニング屋になっている古い建物の二階へあたしたちは上った。雅さんの部屋は狭く、ドレスが何着か壁にかかっていた。
「蘭ちゃんに見せてみたいものがあるねん」
「何ですか?」
雅さんはクローゼットからゴトリといくつかの道具を取り出した。それがただの玩具ではないことはわかっていた。
「アタシ、こういうの好きやねん。蘭ちゃんは?」
「試したことないです」
「ほなやってみる?」
あたしはそこにあった道具全てを使われた。雅さんはとても手慣れていて、楽しそうにあたしをいたぶった。終わってから、シャワーを浴び、互いの長髪を乾かしあった。
「蘭ちゃん、楽しかった?」
「はい、すっごく。またしてください」
「よっしゃ。新しいの買おうかな」
雅さんはベッドに寝転がり、スマホを操作した。あたしに、どんな刺激が欲しいのかと聞いてきた。あたしはそれにきちんと答えた。
「蘭ちゃん、素直なええ子やな」
「楽しいことは、いくらでもしたいんで」
「良かったら、一つ持って帰り。一人でするとき使い」
あたしは最も興奮を味わえた道具を指差した。これなら他にも使い道がありそうだ。雅さんは満足そうに笑った。
「前から、蘭ちゃんはアタシと同類やと思っとってん。期待通りやったわ」
「同類、ですか」
「何にでも興味あるやろ? アタシも蘭ちゃんくらいのときはそうやった。高校生のときから、パパ活やっとったもん」
雅さんには父親がいないとのことだった。それで、父親くらいの年齢の男にどうしても惹かれてしまうのだと語った。
「色んなパパがおったで。お金もようさんもらった。アタシ、高校ではめっちゃいじめられとったけど、辛なかったし、最後は全員にやり返したったわ」
「凄いですね」
「蘭ちゃんはほんまのパパがおってええなぁ。なあ、どんな感じなん?」
あたしは家庭のことを話した。父親は、あたしにとっては、お金をくれるだけの存在だと説明した。
「でも、小さいときはどうやったん?」
「小さいとき……小さいときですか」
保育園の送迎は祖父母だった。父親はあたしが寝た後に帰って来た。旅行なんかもしたことがない。唯一出かけたのは、喫茶店でケーキを食べることくらいだった。
「ケーキは、美味しかったです。珈琲の青山。よう行ってました」
「あそこ、無くなったもんなぁ」
あの店はもう無い。ならば、他の喫茶店にでも行ってみるか。来月にはお盆だ。言い出すには、いいタイミングかもしれないと思った。あたしは雅さんに身を寄せた。
「蘭ちゃん、可愛い。男なんてやめてアタシんとこくるか?」
「それ、玲子さんにも言われましたけど、断りました」
「嘘っ、マジで? 玲子さん、アタシにはそういうの言うてくれへんかったなぁ」
「あっ、やっぱり玲子さんとやっとったんですね?」
翌日、雅さんの家を出てから、あたしは父親に連絡した。お墓参りに行きたいと。就職のことも告げていない。父親と向き合ういいチャンスだ。お盆に、母方の先祖がいる高槻にある霊園まで、二人で行くことになった。
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