34 蜘蛛
二回生の段階で、一般教養の科目はあらかた単位を取っていたので、三回生になると空いた時間が増えた。ゼミのグループワークは大変だったが、体よく他の子たちに押し付けて乗り切った。あたしは三宮の夜の店を渡り歩いた。幾人かの男たちと甘いセックスをした。朝になれば、名前も忘れるような関係。それが心地よかった。
健介からの誘いは、以前よりは減っていた。翔もまた、美咲と復縁したことで、会う頻度は少なくなった。あたしが求めたのは、玲子さんだった。
「いらっしゃい。わざわざありがとうね」
夕方六時、阪急西宮駅で玲子さんと待ち合わせた。そこから歩いて十分ほどのところに、彼女が住む高層マンションがあった。オートロック式で、コンシェルジュが居た。あたしは緊張した。玲子さんはあたしの手を握り、エレベーターに入った。
「お腹すいとうやろ? すぐにあっためるわ」
玲子さんが作ってくれていたのは、ビーフシチューだった。しっかりと味の染み込んだ野菜と肉の食感は、口の中でほろりと崩れるもので、実に美味しかった。彼女は赤ワインも出してくれた。あたしは遠慮なくそれを飲んだ。
リビングには、大きなソファと、壁掛けテレビがあった。現代アートだろうか。ポスターが貼られていた。観葉植物があるのも見えた。本当に素敵な部屋だ。玲子さんはここに一人暮らしらしい。あたしは言った。
「ビーフシチュー、ほんまに美味しかったです。ありがとうございました」
「あんなんで良かったら、いつでも作るで。可愛い蘭ちゃん」
ソファに座って、軽くキスをした。それから、玲子さんはあたしの話を聞きたがった。
「生みの母親が死んでから、父親再婚して、弟もおるんですよ」
「そうなんや。義理のお母さんとは上手いこといっとん?」
「あたしが一方的に避けてます。料理とか、美味しいんです。でも、やっぱりお母さんって呼ばれへんのです」
園子さんは、今さらお母さんなどと呼ばれることを期待していないだろう。確かに世話にはなった。でも、それとこれとは別だ。あたしは続けた。
「早く、就職したいです。父親から金もらわんでも、やっていけるようになりたいです」
「そうかぁ。蘭ちゃんは偉いな」
玲子さんは、あたしの髪を撫でた。それから、こんなことを言ってくれた。
「蘭ちゃんさえ良ければ、うちの事務員になる? 小さい司法書士事務所やねんけど、一人くらい雇える余裕はあるで」
「ほんまですか? あたし、法律のこととかよう知りませんよ?」
「郵便とか、ちょっとしたお使いとか、そんなんでええよ。それに、興味が出たら勉強したらええ。応援はするよ」
願ってもない言葉だった。あたしは玲子さんに抱き着いた。
「あたし、しっかり卒論書いて、卒業します。そしたら、雇って下さい」
「よっしゃ、決まりや。待っといたるからな」
ソファで少しだけじゃれ合った後、寝室へ行った。何の香りだろう。甘く、でもしつこくない、花のようないい匂いがした。
「蘭ちゃん。自分で脱いで。それで、蘭ちゃんを全部見せて」
「はい」
あたしは玲子さんの言う通りにした。彼女はあたしに手を触れず、黙って身体を見てきた。それが恥ずかしくて、でも隠すわけにはいかなくて。あたしはしばらく、彼女の視線に耐えた。
「蘭ちゃん。ほんまに綺麗やわ。閉じ込めてしまいたいくらい」
「玲子さんにやったら、ええです」
「ふふっ、ほんま?」
ベッドに押し倒され、あたしは玲子さんに身体中をまさぐられた。彼女はあたしの好きな所を確実に知っていて、けれども焦らされた。あたしは悲鳴をあげてせがんだ。
「玲子さん、玲子さん。もっと……」
「可愛いなぁ」
終わって、ベッドで裸のままくっついてじっとしていた。玲子さんは、過去の話を始めた。
「私にも、恋人と呼べる女の子がおったんよ。もっと若い時な。でも、その子の両親に反対された。女同士でなんてあかんって」
「そうだったんですか」
「泣く泣く別れて、後で噂で聞いたら、旦那も子供もできたみたいや。この前、久しぶりに会ってん。よう肥えてて、幸せそうやった」
「玲子さん……」
あたしは玲子さんの耳をつうっとなぞった。彼女は吐息を漏らした。
「蘭ちゃんは、やっぱり男の子が好きなん?」
「正直、ようわかりません。好きって言ってくれる子はいます。友達の彼氏なんですけどね」
「友達の彼氏に手ぇつけたん?」
「はい。あっちから誘ってきたんです。まあ、バレんかったらええんで」
玲子さんはあたしの顎をさすって言った。
「悪い女。だから、私も惹かれてしもたんやな。蘭ちゃんは蜘蛛みたいや。男も女も、いつの間にか糸にかかっとう」
あたしはこれまで一夜を過ごした男たちのことを思った。
「あたし、糸なんて張ってないですよ?」
「いいや、張っとう。あっちが蘭ちゃんのこと落としたつもりで思っとうかもしれへんけど、逆や。落とすように仕向けてる。それを蘭ちゃんは自然にできるんよ」
その所作は、一体いつから身に付いたものなのだろうか。少なくとも、健介のときは、あたしから求めた。だからあのときではない。あたしは玲子さんに包まれながら眠った。母親の温もりは覚えていないが、そう思わせる熱だった。
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