33 特別

 あたしは三回生になった。ゼミの教室には、もちろんアリスと美咲の姿があった。他の生徒たちはほとんど初めましてだ。まずは自己紹介をした。好きな作家をあげるようにと教授から指示があったので、あたしは昭和初期の文豪の名前を言った。

 一回目の授業は懇親会のようなものだった。美咲の周りには、男子生徒が集まってきていた。アリスが、この子彼氏募集中やでと余計なことを言っていた。


「もう、アリス。あんなん言わんとってよ」


 ゼミ終わりの食堂で、美咲はご立腹だった。


「だって、せっかくの出会いやで? ここから恋愛に発展するかもしれへんやん」

「ゼミ内は嫌や。別れたら気まずいやん」


 それもそうだ。ゼミのメンバーは四回生まで変わらない。グループワークなどもあるようだし、美咲がゼミ内で誰かと付き合うのは得策ではないという気がした。あたしは言った。


「やっぱり他の大学がええんとちゃう? 元彼そうやったもん。ラインさえブロックしてもたら、会わんで済むよ」

「やんなぁ。でもわたしな、今はもう彼氏とかええねん。ゼミを頑張りたい」


 アリスが尋ねた。


「翔くんのことは、もうほんまにええの?」

「実は……たまにラインが来るねん。無視しとう。でもブロックもできひんくてさ。わたし、まだ翔くんのこと好きなんかなぁ」


 その日の夕方、あたしは翔を呼び出した。近所のラーメン屋で腹ごしらえだ。注文を終え、あたしは言った。


「翔、まだ美咲にラインしてるんやって?」

「ああ……うん。やっぱり、気になってもてな」


 あたしは翔に水を注いでやった。それを少し飲んで、彼は言った。


「やり直せたらええんやけどな。蘭とこうして会うのも楽しい。でも、俺は彼女っていう存在が欲しいんや」

「やったら、美咲でなくてもええんとちゃう?」

「そらそうかもしれへんけど」


 煮え切らない。あたしは苛々した。運ばれてきたラーメンを黙って食べた。そして、コンビニへ行って酒とタバコを調達し、あたしの家に行った。


「蘭。好き。大好き」


 覆い被さってくる翔をあたしは止めなかった。いくつもの甘い言葉を彼は囁いた。あたしが欲しいのはそんなものじゃない。だから言った。


「あたしは、好きやないで。セックスだけは好きやけどな」


 翔は平手であたしの頬を叩いた。そう、それでいいのだ。あたしはじっと彼の瞳を見た。怒りが灯り始めていた。そのまま荒っぽいセックスをした。二の腕を血がにじむほど噛みつかれた。終わった後、彼がその傷を舐めながら、こんなことを言った。


「こんなんできる相手、蘭しかおらへんわ。俺、もう普通のんは無理や」

「あたしかて、ここまで許すんは翔しかおらへんよ? そういう意味では特別やで」

「特別かぁ……」


 ぎゅっと翔は抱き締めてきた。あたしは彼の背中をさすった。あたしが彼のことを好きになることができれば、理想的な関係なのかもしれない。彼は彼の衝動を吐き出す。あたしはそれを受け止める。パートナーとして、しっくりくる。

 けれど、翔が本当に求めているのは、「恋人」としての存在だ。それはあたしにはできない。普通にデートに行ったり、ご飯を食べたり、そういう関係。あたしと彼がそうなったら、美咲とは友達では居られないだろう。それが嫌だった。あたしは言った。


「美咲と、ほんまにやり直したい?」

「……うん」

「ほな、あたしが言うたろ。美咲のこと連れてると自信つくんやろ? そういうお飾りの彼女が欲しいんやろ?」

「蘭はズバズバ言うなぁ」

「濁しても仕方ないやん。あたしが上手いこと言うといてあげる」


 翌日、あたしは大学で、美咲にこう言った。


「翔くんからな、電話きてん。やっぱり美咲とやり直したいんやて。後悔してるって。考えてあげられへんかな?」

「うん……わたしも、本音言うたら翔くんのこと諦められへん。連絡、取ってみる」


 そして、一週間後。あたしの家で、四人の宅飲みが行われた。アリスが調子よく缶チューハイを掲げて言った。


「美咲と翔くんの復縁に、かんぱーい!」


 美咲と翔は、顔を見合わせて笑った。あたしは言った。


「二人とも、ええカップルやねんから。仲良くしてや?」

「うん、俺、美咲のこと離さへん」


 アリスがキャーと叫び声をあげた。それから、コンビニで買ってきたつまみをみんなで食べ始めた。翔が言った。


「蘭ちゃんに相談して良かったわ。ありがとうなぁ」

「ええんよ、翔くん。またこうして四人で飲もな」


 これで良かった。この方が良かった。友達を裏切り続けることの背徳感を、あたしは得ることができる。翔とのセックスは、これからもっと興奮することだろう。密かに熱がこもり始めた。近い内に、あの快感を味わいたい。

 翔はタバコを吸わなかった。あたし一人だけ、ベランダに出た。紫煙をくゆらせながら、翔と美咲の今後を思った。彼らに付き合い続けてもらえるよう、友達として支えよう。部屋の中からは、彼らの笑い声が聞こえてきた。あたしは目を閉じ、噛み痕の残る二の腕をさすった。

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