30 衝動
達己につけられた痕が消えてしまった頃、翔から誘いがあった。いつも通り、直接家まで来てもらった。
「蘭、お腹すいとうやろ。またたこ焼き、買ってきた」
「ありがとう」
たこ焼きを食べながら、翔が尋ねてきたのは、やはり美咲のことだった。
「まだ引きずっとうで」
あたしはそれだけ答えた。美咲は新しい出会いにはまだ興味が持てないらしく、春休みはカフェのバイトを詰め込んでいるらしかった。
「そっか。美咲には、悪いことしたな」
翔もまた、美咲には未練があるようだった。二人で撮った写真を消せないのだという。彼はあたしがパソコンデスクに置いていたディズニーの缶を見て言った。
「ええ思い出にするには、まだ時間が足りんわ」
普通はそうなのだろう。別れたら。あたしはというと、元彼のラインをブロックしたついでに、綺麗さっぱりと二人の思い出など消し去ってしまった。あたしは言った。
「復縁してもええんちゃう? 今ならまだ間に合うんちゃうかな?」
「せやけど、俺は……」
翔は黙り込んでしまった。彼の言いたいことなどわかっていた。だから、意地悪く言った。
「あたし、歳上の女の人ともしてん。自分のもんにならへんかとまで言われた。断ったけどな」
翔はぴくりとこめかみを動かした。そして、缶ビールを飲んだ。あたしはローテーブルに肘をつき、手を組み合わせ、その上に顎を乗せて彼を見つめた。彼は目を伏せ、ため息をついた。そして、無言のまま、あたしにキスをした。
あたしはセックスの最中、翔に首を締められた。けほっとせき込むと、彼は満足そうな表情を浮かべた。あたしは、そうされるのも悪くないと思った。なので、もう一度、彼の手を首元に誘った。
「俺も割り切るわ」
翔がそう宣言した。
「蘭のこと、割り切る。お前がどういう女なんか、今日やっとわかった気がする」
「そっか。あたしはまだ、自分がどういう女なんか、わかってへんけどな」
ありったけの罵声をあたしは浴びた。そんな衝動を全身で受け止めてやった。この男にはまだ、底がある。そう感じた。まだまだもっと面白くなる。あたしはこの先の世界を見てみたい。あたしは酔いしれた。
「……ごめん。最悪なこと言うた」
「ええんよ」
あたしと翔はベッドに座り、裸のまま抱き合った。こうして威勢を失くしてしまった後の彼はひどく可愛らしかった。あたしは傷ついてなどいなかった。どんなに汚い言葉も、全て快楽に変換されてしまった。あたしと彼との間には、そういう関係が出来上がっていたのだ。
「翔。あんた、弱い男やな」
「うん。弱いわ」
背中をさすり、肩に口づけた。翔が泣いているのがわかった。あたしの前で涙を見せるのは、何度目だろうか。美咲には、彼をここまで引き出すことはできなかっただろう。あたしは間違いなく、彼に愛され、憎まれていた。
服を着て、タバコを吸った。翔はスッキリとした顔であたしに言った。
「蘭。もっと俺と遊ぼう。もっと色んなことさせて。蘭やって、色んなことやってみたいやろ?」
「うん。やりたい」
それからつらつらと、翔は自分の欲望を語り始めた。彼の嗜虐心はどこまでも深かった。あたしは約束した。全て受け止めてみせると。あたしは翔のことを愛してはいなかったが、信頼はしていた。一応、歯止めが利かなくなるといけないから、NGワードは決めておいた。
吐き出し終わった翔は、たくましい目付きになっていた。あたしのことを雌としか見ていない目だ。彼をこんな風に変えてしまったのは、あたしなのだろうが、責任は感じなかった。むしろ、感謝してほしいくらいだ。あたしは言った。
「ねえ、またしたくなってきた。酷いこと、してや」
それから、翔はあたしをただの肉塊のように扱った。やっと、彼の本当の姿が見えた気がした。そして、それを甘んじて受け入れている自分自身に驚いた。健介の言っていた通り、あたしには素質があったのだ。
全てが終わった後、翔はあたしのアザの一つ一つに触れた。到底一日や二日では治らないアザだった。彼は笑っていた。あたしも歪に口角を上げた。でも、まだここが到達点ではない。彼となら、もっと進めると思った。
「なあ、蘭。このまま、他の男とセックスしてきてや」
「ええよ。丁度ええのおるから、してくる」
健介のことだった。翔は言った。
「感想、ラインで送って。わかった?」
「うん、わかった」
あたしは翔の足の指を舐めて彼に尽くした。自然と出た行動だった。翔はあたしの髪を掴んで引っ張った。何本か抜け、はらりと床に落ちた。十本の指をしゃぶり終わり、あたしは彼を見上げた。
「蘭。愛しとう」
「あたしは、愛してない」
「それでもええ。これからも続けるからな?」
その日もぴったりと寄り添って眠った。無理な体勢もさせられたので、身体中が痛かった。翌朝も、激痛は続いた。それでもあたしは健介に連絡した。
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