29 観光案内
大学二回生最後のテストが終わった。四月になれば、三回生だ。単位は落とさなかった。このまま順調に卒論を書けば、卒業できるだろう。
あたしは達己に連絡をした。春休みだから、会いたいと。彼は三月の初旬に、新神戸駅まで来てくれた。
「蘭、久しぶり」
「ありがとう、来てくれて」
「俺、行きたいところあるんだ。案内してよ」
異人館だった。あたしたちは北野坂を上っていった。案内といっても、あたしだって中学生以来だ。ガイドブックを片手に、あたしは言った。
「中学生のとき、地元を知ろう、みたいな遠足で、異人館調べて、班で回ったんよ」
「へえ、そんなのがあるのか」
「そんときは、無料のとこしか入らんかった。今日は有料のとこも行こか」
「そうだね」
萌黄の館と風見鶏の館のセットの券があり、それを買った。達己は物珍しそうにスマホで写真を撮っていた。
「重要文化財なんだ。さすがだね」
「せやね。めっちゃ綺麗やわ」
お昼は南京町まで行って豚まんとラーメンを食べた。けっこう歩いたので、くたくただ。夜は神仙寺さんの店に行くことにしていたが、それには時間がまだまだある。
「達己、一旦あたしの家で休む? 三駅で着くで」
「荷物も置きたいしな。ありがとう」
あたしたちは部屋で軽くセックスをした後、ベッドでのんびりとしていた。達己は猫みたいに伸びをした。あたしは前から気になっていたことを聞いてみた。
「達己の好きな子って、どんな子なん?」
「うちのお客さん。蘭みたいに、黒髪で、ロングの子」
「ふぅん、そうなんや」
「彼氏と別れるか、彼氏が死ぬまで俺は待つつもり」
「そんなん、しんどない?」
達己はあたしの髪に触れながら、にこやかに言った。
「ううん。いいんだ。俺は告白する前からダメだろうなって思ってたし。それでも好きな気持ちは変わらないし」
あたしには、達己の気持ちがわからなかった。それほどまでに好きな人と巡り会えた彼が、羨ましくもあった。あたしには、そう思える人などできるのだろうか。あたしは聞いた。
「好き、って何?」
「何だろうね。俺は蘭のことも好きだよ。でも、その子に対する想いとはまた別かな」
「あたしにもな、好きって言ってくれる男の子おんねん。付き合ってほしいってなんべんも言われとう」
「まあ、人の想いはすれ違うものだよ。蘭がその子のことを好きじゃなかったら、仕方ないさ」
達己の年齢は聞いていないが、あたしとそう離れていないはずだと感じていた。それなのに、なぜここまで達観できるのだろう。例の彼女の存在が大きいのか。
夕方になって、ピザを注文した。お酒は飲まないでおいた。夜七時になって、あたしたちは家を出た。
「いらっしゃい。おう、蘭ちゃんと達己やん!」
「神仙寺さん。周年以来ですね」
お客さんは誰も居なかった。あたしと達己は中央のカウンター席に腰かけた。
「なんや、シュウくんは?」
「俺だけです。済みませんねぇ」
「まあ、その内東京にも行くから。そんときはよろしく頼むで」
あたしたちはビールで乾杯した。話はシュウさんの店のことになった。達己が言った。
「店開ける曜日、減らしたんです。シュウさん、一昨年のクリスマスイブに倒れましてね。頭痛外来通ってて、大事を取ってるんです」
「ほんまか。経営大丈夫か?」
「なんとか。常連さんたちも事情はわかってくれていますし、多めにお金落としてもらってますよ」
ビールが無くなる頃、健介が来た。
「健介、いらっしゃい。蘭ちゃんきとうで。男連れやけど」
あたしは健介に手を振った。そうして、あたしは達己と健介に挟まれて座った。健介が言った。
「君が東京の男?」
「そうなりますね」
「わざわざ来たんや」
「観光案内してもらってました」
男二人の会話は、意外なところで盛り上がった。
「達己くんも洋楽聴くんや?」
「はい。ちょっとだけギターやってました」
「おれもやっとった。もう売ってもたけどな」
それから、何が何だかわからない単語が飛んだ。あたしは洋楽のバンド名をよく知らない。唯一わかったのは、ローリング・ストーンズだけだった。達己が言った。
「親父がストーンズめちゃくちゃ好きで。小さい頃から聴かされて育ちました」
「めっちゃええやん。カッコええなぁ。おれもそんな親父欲しかったわ」
あたしの父親は音楽を聴かない人だった。仕事が趣味のような人だ。小さい頃は、どこの父親もそういう人間なのだと思っていた。あたしは黙ったまま彼らの会話を聞いていた。
三杯飲んで、あたしと達己は店を出た。健介はちょっと不服そうな顔をしていたが、無視した。
「健介くん、いい人だったね」
「うん、ええ人」
「彼氏にすればいいのに」
「嫌や。あたし、もう恋愛はええねん」
「そっか。まあ、気持ちはわかるけど」
家に帰り、達己とたっぷりとセックスをした。中々会えない相手なので、長くなる。あたしは達己に頼み込んで、痕をつけてもらった。翌朝、達己を見送ってから、あたしは自分の鎖骨を撫でた。もう熱はこもっていなかったが、確かな感触が残っていた。
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