28 一月十七日

 時刻は夜十一時だった。芝生や色とりどりの遊具があったが、もうこの公園で遊んでいる子供など居ない。健介と、石でできた巨大な坂のモニュメントの前まできた。あたしは、足元の小さなプレートの文字を読み上げた。


「イタリア広場?」

「そんな名前みたいやね」


 あたしたちは坂を上り、頂上で腰かけた。公園に併設されている会館では、何やら準備が行われていた。追悼行事だろう。健介が言った。


「震災が無かったら、この公園も無かったんやで」

「そうなんや。よう知っとうなぁ」

「おれのお祖母ちゃん、震災で亡くなっとうからな」


 あたしも健介も、生まれる前の話だ。しかし、神戸で義務教育を受けたので、震災については知っていた。あたしは言った。


「音楽の時間にあれ歌わされたな。復興の歌」

「しあわせ運べるように」

「そう、それ」


 あのメロディーは、しっかりと脳に染み付いていた。歌詞だって、ありありと思い出せる。そのくらい、神戸の人間にとっては象徴的な歌なのだ。健介が言った。


「老人会の人が来て、震災の話とかしてもらったなぁ」

「あたしもそんな気がする。長田で火事が多かってんな?」

「そうそう。あそこもよう復興したで」


 それから坂を下り、二人で慰霊碑を探した。夜だとわかり辛いところにあった。ここが被害が大きかった地区なのだと、あたしは初めて知った。あたしと健介は手を合わせた。


「あたし、ここに住んどうくせに、よう知らんかったわ。教えてくれてありがとうなぁ」

「ええんよ。今から知ったらええ」


 健介はこんなことも教えてくれた。


「おれの家の近くに、止まっとう時計あんねん」

「山幹沿い?」

「せやで。五時四十六分。震災の起きた時間や」

「今度見てみるわ」


 あたしも健介も、まだ歩きたい気分だったので、ビオトープのある他の公園に行った。ザリガニでも釣れそうだと思った。八つの石で作られたモニュメントがあった。あたしは言った。


「ここでも人が亡くなったんやね」

「元々は家やったみたいやな」


 寒さが厳しくなってきたので、あたしたちは家に戻った。眠れなかった。二人で黙々と缶ビールを開けた。朝の五時になって、健介がテレビをつけた。


「ああ、やっぱりやっとうわ」


 東遊園地に、灯篭が灯されていた。こんな感想は不謹慎なのかもしれないが、とても綺麗だった。あたしは言った。


「うちの父親は、当時神戸離れとってんて。実家に連絡つかんくて、戻ることもできんくて、大変やったって」

「おれのお祖母ちゃんは、一階で寝とって、二階に押し潰されてもたって聞いとう。会ってみたかったな。震災さえ無かったらな」


 そのままあたしたちはテレビを見ていた。五時四十六分になった。あたしも健介も目を閉じた。健介は言った。


「さーて、タバコでも吸おか」

「せやね」


 震災の日を、健介と一緒に過ごせて良かった。あたしは何も知らないまま、この街で暮らしていた。とても住みやすい環境だと思っていたのだが、それが多くの犠牲により成り立っていたのだと思うと、複雑な気分になった。

 あたしはタバコに火をつけ、ゆっくりと煙を吐き出した。もう慣れ親しんだハイライトの匂いが、髪にまとわりついた。


「蘭、寝れそうか?」

「うーん、わからへん」


 ひとまずあたしたちはベッドに入った。健介が、あたしの髪を撫でながら言った。


「おれの親父、クソやったけど、親父が生きててくれたから今おれも生きてるんやと思うと、やっぱり感謝せなあかんなって思うわ」

「あたしも。父親のこと、そんなに好きやないけど、感謝はしとう」


 こんなことを話していたら、父親の顔を見たくなってしまった。お墓参りのことを思い出した。母親の命日はもう過ぎてしまったが、いつ行ってもいいだろう。今度、連絡してみよう。

 先に健介がうとうとし始めた。あたしはじっと彼の顔を見つめていた。健介は髪が伸びてきていて、前髪で目が半分隠れていた。あたしはそれを斜めに流した。

 規則正しい寝息が聞こえてきた。あたしはベッドを抜け出した。そして、ベランダでタバコを吸った。あたしは煙と一緒にため息をついた。


「はぁ……」


 どうしようもない気分だ。神戸の人間なのだから仕方ない。そして、やっぱりあたしはこの街を離れたくないと思った。白み始めた空を眺めた後、あたしは健介の隣に戻った。


「ありがとうなぁ」


 聞こえていないとわかっていて、そう言った。あたしはきっと、この夜のことをずっと忘れないだろう。

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