25 カトレア

 四日の夜七時過ぎに、神仙寺さんの店に入った。


「おう、蘭ちゃん! あけましておめでとう!」

「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」


 どうやらお客さんは、あたしが一人目だったようだ。神仙寺さんは、おしぼりを渡して言った。


「一発目のお客さんが蘭ちゃんか。幸先ええわぁ」

「ほんまですか?」

「男よりも女の子が来てくれる方が嬉しいもん」

「あははっ」


 ビールを頼み、三十分ほどすると、玲子さんが現れた。


「あら、蘭ちゃん。あけましておめでとう」

「おめでとうございます、玲子さん」


 玲子さんはハイボールを注文した。神仙寺さんが言った。


「ちょっと、玲子さん。この子に手ぇつけたでしょ」

「うん。もうバレた?」

「まあ、蘭ちゃんは玲子さんの好みやろなぁって思っとったわ。こういう黒髪ロングのパッと見清楚な子」

「せやで。タイプやねん。神仙寺くん、一杯飲みや」


 あたしたちは三人で乾杯した。話は神仙寺さんの子供のことになった。彼は子供にテレビゲームを与えるのが反対派らしいのだが、お年玉で買いたいと言ってきたらしい。あたしは言った。


「うちの弟、小学三年生ですけど、普通にゲームしてましたよ?」

「俺あんなん嫌やねん。嫁が折れてまいそうになったけど、突っぱねたわ」


 玲子さんが言った。


「何かスポーツさしたら? 気ぃそれるやろ」

「色々やらしとうんやけどな。どれもすぐやめたがんねん」


 あたしはスポーツをしたことが無かった。先輩後輩の上下関係が嫌だから、文化部にすら入らなかった。実家では、幼い大樹の相手をして過ごしていたから、暇だとは思わなかった。あたしの二杯目のビールが尽きたのを見て、玲子さんが言った。


「蘭ちゃん、何か飲みや」

「えっと、どうしようかな。玲子さん決めて下さい」

「せやなぁ。神仙寺くん、スクリュードライバー二つ」

「はいよー!」


 オレンジのカクテルが二つ揃った。あたしは玲子さんと乾杯した。


「頂きます」

「うん」


 他のお客さんもやってきて、店内が一気に騒がしくなった。小さな声で、玲子さんが言った。


「どうする? またしたい?」

「はい」


 あたしは玲子さんとまた、ラブホテルに行った。まずはタバコを吸ってから、ねっとりとしたキスをした。前と同じように、風呂場で身体を洗い合った。無駄な肉付きのない彼女の肢体は、やはり美しかった。彼女は丹念にあたしを攻めてくれた。


「ねえ、玲子さん。今度はあたしがしていいですか?」

「ええよ」


 拙いながらも、精一杯玲子さんの身体を触った。彼女にされたことを思い出しながら、ゆっくり、丁寧に。彼女の嬌声が漏れた。あたしは熱が上がるのを感じた。もっともっと、続けていたい。しかし、あたしがくたびれてしまい、交わりは終わった。


「なあ、蘭ちゃん。私のものになる気はない?」


 裸のまま、紫煙を吐いた後、玲子さんが言った。あたしはキッパリと言った。


「すんません。あたし、男も好きなんで」

「決めた男はおるん?」

「いません。今はまだ、遊んでいたいんです」


 玲子さんは、あたしの髪をときほぐしながら言った。


「そっかぁ、残念。でも、いつでも私んとこ来てもええんやで?」

「ありがとうございます」


 それから、玲子さんは語り始めた。


「蘭ちゃんは、これからもっとべっぴんさんになるわ。私が保証する。なあ、蘭の花って、色んな花言葉があるの、知っとう?」

「いえ、知らないです」

「蘭ちゃんは、カトレアやわ。蘭の女王。魅惑的、とか、成熟した大人の魅力、っていう意味があるんよ。蘭ちゃんはそういう女になる」


 あたしの名前をつけたのは、生みの母親だとは聞いていた。一体どういう理由で、蘭と名付けたのだろう。今となってはもうわからない。しかし、そう名付けられたことで、あたしの性格は定まってしまったのだろうか。ごうのようなものを感じた。玲子さんは続けた。


「これからがほんまに楽しみやね。蘭ちゃんみたいな子と出会えて良かったわ」

「あたしも、玲子さんと出会えて良かったです」


 玲子さんはあたしを抱き締めてくれた。彼女の実年齢は知らないが、生みの母親が生きていたら、このくらいの歳だったのだろうか。あたしは涙を流していた。


「蘭ちゃん、どうしたん?」

「あたし、生みの母親とは死に別れてるんです。玲子さんくらいの歳やったんかなぁって思うと……」

「そっか。私もはよ子供産んどったら、蘭ちゃんくらいの歳やったかもしれへんな。そっか、そっかぁ……」


 玲子さんはポンポンとあたしの背中を叩き、あたしの気が済むまでそうしてくれていた。

 服を着て、ベッドに横たわって手を繋ぎ、あたしたちは見つめ合っていた。玲子さんのまぶたがぴくんと動いた。そして、眠ってしまった。あたしは彼女の短い髪を撫でた。

 幸せなひとときだと思った。玲子さんはあたしに、自分のものにならないかと言ってくれた。それもまた、幸福の一つだろう。

 けれども、世界にはまだまだ愉しいことが溢れている。あたしはそれを知りたかった。この身体で感じたかった。

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