22 しょうもない男
クリスマス・イブの夜は、外出する気が起こらなかった。それでずっと家に居た。アリスも美咲も、それぞれの恋人と甘い夜を過ごしたのだろう。あたしだって去年はそうだった。健介を誘っても良かったのかもしれないが、あんなに嫉妬を露わにされた後では、すぐまた会うのは嫌だった。
一人で缶ビールを開け、つぶれて寝てしまい、昼頃に起きた。ラインが来ていた。
『今日会える?』
翔からだった。あたしは少し悩んだ。どうせまた、会えばセックスをすることになるのだろう。健介につけられた痕はまだ消えていなかった。しばらく放置することにして、冷凍のパスタを食べた。ベランダでタバコを吸いながら、あたしは返信した。
『いいよ。うち来る?』
『うん。何時頃ならいい?』
『何時でも。お酒買ってきて』
夜の七時くらいに翔が来た。
「お酒、たっぷり買ってきたで」
「ありがとう」
ローテーブルに缶を並べ、あたしたちは乾杯した。あたしは尋ねた。
「美咲とは昨日どうしたん?」
「大阪までイルミネーション見に行ったで」
「夜は?」
「そのまま帰った」
「で? 今日はあたしんとこ来たわけ?」
「そういうこと」
翔は缶ビールをぐいっと一気にあおった。そして、ぽつぽつと語り始めた。
「最近な、美咲とおっても楽しないねん。年明けにディズニー行くけど、それも憂鬱や。並んでる間、何喋ったらええんかわからへん。そこまでして、美咲と一緒におりたいんか、って考えると、違う気がしてな」
あたしは慎重に言葉を選んでから言った。
「ただの倦怠期ちゃうかな。美咲と一緒におることに慣れてしもただけちゃうん?」
「そうなんかなぁ」
そうではないだろう。あたしはわかっていた。もうとっくに、翔の心は美咲から離れているのだ。でも、あたしは彼らに付き合っていてほしかった。だから、教えなかった。あたしは無言で新しい缶を開け、翔に突き出した。
「ありがとう」
また、ぐびぐびと飲むと、翔は大きなため息をついた。
「翔、タバコ吸う?」
「吸おか」
外は雪が降っていた。父親が小さい頃は、神戸でも雪がたくさん積もり、雪だるまを作れたのだという。父親は生粋の神戸の人間だった。あたしはまだ、就職のことなど考えてはいなかったが、住み慣れたこの街を離れたくはないと漠然と思っていた。翔が言った。
「今日、泊めてもらってもええ?」
「どうせそうやと思ってたよ」
部屋に戻り、翔はあたしの服を脱がせた。痕に気付き、卑劣な言葉で罵ってきた。そしてまた、尻を叩かれた。彼の怒号が部屋に響き渡った。あたしは可笑しかった。彼に見えないように、こっそりと笑った。
「……なんで蘭のこと、好きになってしもたんやろ」
ベッドに座り、頭を垂れて、翔が呟いた。あたしは彼の肩を抱いた。さっきまでの勢いが嘘のようだ。あたしは彼がいじらしかった。
「しょうもない男」
あたしはそう言って、翔の額に口づけた。そして、繰り返し彼のさっきの行動を責めた。そうしてやるのが、彼にとっての慰めだとわかっていたからだ。彼はとうとう泣き出した。あたしは我慢できなくて、声をあげて笑ってしまった。
「ほんまに悪い女や、蘭は」
涙を拭きながら、翔は睨みつけてきた。あたしは目をそらさなかった。そうして見つめ合った後、翔はあたしにキスをした。弱々しいキスだった。
「なあ、翔。あたし、翔のもんにはならへんよ。けど、こういうことやったらいくらでもしたる。それで美咲と上手いこといくんやったら、あたしにとってもメリットはあるわ」
「メリット?」
「うん。だって、あたし、美咲には幸せになってほしいもん。大事な友達やからね」
自分で言っていて、倫理観が破綻していることには気付いていた。けれど、それがあたしの新しいやり方だった。みんなが幸せになれる方法。あたしの見つけた方法。古い生田蘭はもう捨てた。これでいいのだ。翔はまだ、歯向かってきた。
「俺、美咲と別れて蘭と付き合えるんやったら、そうしたい」
「あかん。別れるなんて許さへん。それに、別れたって付き合わへん。さっきも言ったやろ?」
あたしは翔を押し倒した。覆いかぶさり、何度もキスをした。彼はあたしを払いのけてきた。
「俺は蘭の気持ちが欲しい。身体だけは嫌や」
「あたしはもう、誰のことも好きにならへんよ。翔だけやない。誰のこともな」
それでも、まだあたしには、小さな期待があった。本気で好きになれる人と、巡り会えていないだけではないかと。それなら、こうして、身体を重ねてみるまでだ。翔のことは、やっぱり美咲の彼氏としか見れなかった。美咲の幸せを繋ぎとめるための存在だと思った。
「蘭。そんなん、悲しない?」
「ううん。あたしは幸せやで。翔とこうしてるんやって、めっちゃ楽しいもん」
あたしは翔の頭を撫で、あやすようにして、そのまま眠った。
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