17 浩太

 テスト期間が終わった。単位は間違いなく取れただろう。あたしは学業には真面目なのだ。そして、以前から約束していた通り、あたしとアリス、美咲は、浩太さんのマンションにお呼ばれされた。


「いらっしゃい」


 扉を開けてくれた浩太さんは、ニットを着ていてもわかる筋肉美の持ち主だった。すでにいい匂いが部屋に充満していて、あたしたちはダイニングテーブルにかけて夕食を待った。浩太さんは言った。


「お酒も買っとうよ。先に飲んどき」


 あたしは言った。


「いえいえ、浩太さんが揃ってからにしましょ。そんなにかからへんでしょ?」

「せやね。ほなもうちょっとだけ待っててな」


 浩太さんの部屋は、黒を基調としたカッコいいところだった。大きなテレビボードの上には、ゲーム機が置いてあった。さすがシェフといったところか。キッチンはとても広く、三口コンロだった。あたしの部屋の狭いキッチンとは大違いだ。ろくに料理をしないから、困ったことはないが。


「ほい、できたで」


 パエリアを浩太さんが持ってきてくれた。それから白ワインも。グラスもとても品が良い。あたしたちは乾杯した。パエリアと白ワインの相性は抜群だった。やっぱり魚介にはこれでないと。四人とも上機嫌で会話を進めた。浩太さんが言った。


「蘭ちゃん、彼氏はおらんけど男はおるんやて?」

「そうなんです。もうええんです、恋愛なんて」

「オレとしては真面目に誰かと付き合ってほしいけどなぁ。可愛いのに勿体ないわ」


 この先、真面目に付き合いたいと思える誰かと巡り合えるのだろうか。でも、翔のように、簡単に彼女を裏切る男だっている。それがわかってしまったから、恋愛なんてもうしたくないとあたしは思っていた。けれど、アリスと浩太さんの仲の良さに妬けてきたのは事実だった。彼らはこのまま結婚するのだろうか。あたしは言った。


「アリスとの結婚式には呼んで下さいね」

「おう、もちろん」

「浩太、私ドレスも着物も両方着たいんやけど!」

「アリスはどっちも似合いそうやな。よっしゃ、そうしよか」


 結婚については、美咲も思う所があるようだった。彼女は言った。


「わたしは断然、チャペルでやりたいなぁ。まあ、翔くんには言うたことないけど」


 アリスは言った。


「スピーチは蘭やな。そういうの得意そうやし」

「ええ? あたし? 文章書くんは得意やけど、読むのは下手やで?」


 物心ついたときから、作文の類はよくできた。それで文学部を選んだのだ。今回のテスト期間も、語学は少々大変だったが、レポートは楽だった。しかし、スピーチとなると、人前に出ることになる。そういうのは嫌だった。第一、本当に美咲と翔が結婚したとして、このあたしが何を喋ればいいんだか。美咲が花のような笑顔を咲かせて言った。


「あー、やっぱり憧れるなぁ、結婚式。翔くんがどない思ってるんか不安やけど。金のかかる女やと思われたくないし」


 実際、美咲は金のかかる女だ。あたしはドラッグストアで売っている安い化粧品しか買わないが、美咲はデパートに行く。いわゆるデパコスというやつだ。持ち物もブランド品ばかりだし、立ち振る舞いからも、彼女が生粋のお嬢様ということが初対面のときから見てわかった。

 対して、アリスはけっこう庶民的だ。服もユニクロで売っているシンプルなものしか買わないのだという。しかし、元々目鼻立ちがくっきりしているし、そういった服装を着ても彼女は輝いて見える。今日も無地の黒いセーター姿だ。そんなアリスは言った。


「翔くんには、ええとこ就職してもらわなな。院には行かへんねやろ?」

「うん、普通に就活するって言ってた。わたしはどないしよかな。今時、共働きやないとあかんやろしなぁ」


 アリスも美咲も、普通の幸せを夢想している。そんな彼女らがまぶしかった。無性にタバコが吸いたくなった。あたしは思い切って浩太さんに言った。


「あのう、あたしタバコ吸いたいんですけど……」

「うーん、ここ、ベランダとかで吸ったら怒られるねん。ごめんやけど、近所の公園行ってくれるかな?」


 あたしは一人、タバコとスマホだけを持って、浩太さんのマンションの隣にあった公園に行った。無人の小さなそこには、ぽつんと一つのベンチがあった。あたしはそこに腰かけた。もうすぐ十二月だ。吹く風は冷たく、あたしは人肌恋しくなった。


『今日そっち行ってもいい?』


 健介にラインを送った。返事はすぐにきた。


『いいよ。何時くらいになる?』

『十時くらいかな』


 お酒もまだ飲み足りない。タバコも残り少ないし、コンビニに寄ってから行こう。あたしは浩太さんの部屋に戻ると、インターホンを押し、中に入れてもらった。浩太さんは言った。


「なんか懐かしい匂いやわ」

「そうなんですか?」

「オレ、シェフになる前は吸っとったからな。高校のときやけど」

「案外、ヤンチャしてはったんですね」


 それから、白ワインが尽きた頃に、あたしたちは解散した。三ノ宮駅に降り立ち、あたしは大きく息を吸った。あたしはアリスや美咲とは違う道を選んだ。この繁華街こそが、あたしの居場所だ。健介の家へと続く坂道を、息を弾ませながら上って行った。

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