15 好き

 学内の喫煙所で、翔と出くわした。あたしは彼の肩を叩いて言った。


「おめでとう」

「あー、もう美咲から聞いたん?」

「うん。ラインきた」

「そうかぁ」


 場所が場所だ。それ以上の話はしなかった。語学の教室に行くと、美咲だけが座っていた。


「おはよう、美咲」

「おはよう。アリス、風邪ひいたんやって」

「あ、ほんまや。ラインきとう」


 もうすぐテストだ。教授は範囲を発表した。アリスの風邪も、それまでには治るといいのだが。あたしは美咲と二限を受けた後、二人で食堂に行った。


「そうや。美咲、おめでとう」

「ありがとう。何か恥ずかしいなぁ」

「で、どやったん?」

「ここでは言われへんよ。アリスが治ったら、宅飲みしよ」


 あたしはアリスに、テスト範囲のことと、また宅飲みしようということを連絡した。それから、あたしだけ喫煙所に行った。すると、翔からラインがきた。


『今日家行ってもいい?』

『いいよ。場所わかる?』

『うん、もう覚えた。酒と食べ物買って行く』


 あたしと美咲は四限まで受け、解散した。帰宅し、掃除機をかけた。夜六時頃、インターホンが鳴った。


「よっ。たこ焼き買ってきたで」


 翔はたこ焼きをローテーブルに並べた。いい匂いだ。缶ビールで乾杯し、あたしたちはそれにかじりついた。あたしは言った。


「それで? 美咲とはどうやったん?」

「うーん、いかれへんかった」


 美咲とは、ラブホテルでセックスをしたとのこと。美咲は終始とても緊張していて、電気を消し、真っ暗な中でしたらしい。


「美咲もそんなに気持ちようなかったんちゃうかな」

「最初はそんなもんやで。あたしかてそうやった」


 それから、あたしは元彼の話を始めた。何度かやってみたが、しっくりこなかったこと。半年が過ぎる頃にはお互い求めなくなり、冷めてしまったこと。翔は言った。


「俺は美咲とそんなんなりたないなぁ」

「これからが肝心やと思うで」

「蘭は今はセックス好きなん?」

「うん、好き」


 健介の話もした。彼は歳上で、手慣れているのだと。終わった後のタバコが最高だ、と言うと、翔はあたしの手を握って笑った。


「俺も美味いタバコ、吸いたいなぁ」

「ええで」


 あたしは翔に覆い被さった。それからしつこくキスをした。唇を離し、翔は言った。


「蘭。したいことあるねん」

「何でも言って。美咲にはできひんことやろ?」

「うん」


 翔はあたしを四つん這いにさせ、尻を叩いた。乾いた音が部屋に響いた。あたしは声を押し殺した。何度も強く、それは続いた。あたしも翔も、ひどく高ぶっていた。そのままあたしたちは交わった。


「……うん、美味い」


 タバコの煙を吐き出し、翔は遠くを見つめていた。痛みすら愛おしいということをあたしは知った。翔はあたしに向き直って言った。


「今日、泊まってええ?」

「うん、そのつもりやで」


 ベッドに入り、あたしは翔と抱き合った。美咲の顔が浮かんだ。彼女もアリスも、一回生のときからの付き合いだ。翔という彼氏ができたと聞いたときは、アリスと二人で飛び上がって祝福した。

 それが、今はこれだ。もう引き返せない所に居ることはわかっていた。しかし、秘密を抱えることは、こんなにも甘美なのだ。やめられない。やめるつもりなんてない。あたしは翔にキスをした。


「先に蘭と出会っとったら良かった」


 翔は呟いた。


「あたしは付き合わへんよ。恋愛なんか、もう面倒やねん」

「うん、そっか。あかん。俺、蘭のこと好きやわ」


 あたしは押し黙った。返事の代わりに、またキスをした。


「なあ、付き合わんでもええよ。蘭のこと好きでいてもええ?」

「うん。勝手にしぃ」


 好き、と言われると、ほだされてしまいそうな自分がいた。あたしは翔のことが好きなのだろうか? 好きって何なんだろうか? 元彼のことは確かに好きだったはず。でも、それすら思い出せなくなっていた。

 翔は涙を流していた。あたしは彼の茶髪を優しく撫でた。


「情けない男やなぁ」

「もっと言って」

「ほんまに情けないわぁ」


 そうしている内に、翔は眠ってしまった。あたしはベッドを抜け出し、缶ビールを飲んだ。考えたのは、健介のことだった。あたしは彼のことをどう思っているのだろう。彼から好き、と言われたことがないことに、ようやく気付いた。

 手持ちぶさたになってしまった。あたしは達己に連絡した。


『テスト終わったら冬休み。そっち行く。泊めてもらってもええ?』


 三十分くらいして、返事がきた。


『いいよ。日付決まったら教えて。池袋だよ』


 あたしは財布から、達己に貰った名刺を取り出し、彼の働いているバーを地図アプリで検索した。池袋駅から、十分くらい歩くみたいだった。口コミを見てみたが、星の評価はあったものの、文章での紹介はなかった。本当に隠れ家的な店なのだろう。

 翔がうなされはじめた。あたしは彼の広い額をゆったりと撫でた。彼は目を開けた。


「……蘭」

「ここにおるよ。今晩はずっとおったるよ」

「ありがとう。好き……」


 そして、今度は安らかな眠りについた。あたしもベッドにもぐりこみ、翔の体温を感じながら眠った。

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