13 達己

 神仙寺さんの店の十五周年記念。あたしは夜八時頃に訪れた。店内は満員だった。詰めてもらって入ったボックス席にあたしは座った。あたしの隣には、二十代中盤くらいの黒髪の男性がいた。あたしはとりあえず挨拶した。


「こんばんは」

「こんばんは。ここの常連さん?」

「そうなりますかね。蘭っていいます」

「俺は荒田達己あらたたつき。東京から来たんだ」

「えっ、東京!?」


 達己さんは、東京でバーテンダーをしているとのことだった。神仙寺さんとは懇意で、周年記念になると、観光がてら神戸に来るとのことだった。


「神仙寺さん、ノリは軽いけど腕は本物だからな。ここは本当にいい店だよ」

「あたし、ここに来てからまだ一ヶ月くらいなんですけどね。いいお店ですよね」


 それから達己さんは、名刺を取り出した。「Rainingレイニング」という店の名前が書かれていた。


「東京に来ることあったら連絡して。一杯サービスするよ」

「わあっ、ありがとうございます!」


 シャンパンを持ってきた神仙寺さんが言った。


「これ、達己が開けてくれたやつ。まあどんどん飲みや」

「はい! 達己さん、頂きます」

「どうぞどうぞ」


 他にも、色んなお客さんが来た。年齢も性別も様々だ。神仙寺さんは、こんなにも多くの人に愛されているのだと、改めて思った。何度か席を交代している内に、カウンター席で中島さんと隣になった。


「おう、蘭ちゃん。飲んどう?」

「はい、飲んでます!」

「健介の奴は?」

「仕事終わったら来ると思います」


 そのとき、デニムのポケットに入れていたあたしのスマホが振動した。


『仕事でトラブった。神仙寺さんに詫びいれといて』


 なんだ、来られないのか。あたしは神仙寺さんにスマホの画面を見せた。


「何ぃ? 健介のくせに、来られへんやと?」


 今夜の神仙寺さんはとても酔っていて、語気が強かった。中島さんがまあまあとなだめ始めた。

 トントン、と後ろから肩を叩かれた。達己さんだった。


「俺、そろそろ出るね。蘭ちゃん、ありがとう」

「待って下さい。あたしも出ます」


 会計を済ませて店を出て、あたしは達己さんの隣に並んだ。


「達己さん、どっかホテル取ってるんですか?」

「いや、サウナ行こうと思ってた。どうして?」

「あたし、もっと達己さんと話してみたいです」

「そっか。そしたら、他のバー行こうか」


 連れられて行ったのは、ウイスキーのボトルがカウンターにまではみ出した店だった。そこには三十代くらいの男性マスターと、アルバイトだろう、二十代くらいの女の子がいた。達己さんがマスターに言った。


「お久しぶりです」

「おお、達己くんやん! 神戸来てくれたんや!」

「神仙寺さんとこ行ってました」

「そっか、今日周年やもんな」


 あたしは達己さんの話を聞いた。彼はシュウさんというマスターの下で働いているらしい。初めは客だったが、店に通いつめる内に、アルバイトとして入るようになったとのこと。


「うちの店は、すっげーわかりにくいところにあるの。シュウさんがそういう方針でね。紹介じゃないとまず来ないよ」

「そうなんですか」

「迷うと思うから、もし蘭ちゃんが本当に来るんなら、事前に連絡ちょうだい。迎えに行くよ」


 達己さんは、ウイスキーをロックで注文していた。あたしはカンパリソーダだ。彼の長い前髪からちらつく黒い瞳が、とても綺麗だと思った。あたしは言った。


「達己さん、モテるでしょ」

「蘭ちゃんこそ」

「まあ、ぼちぼち遊んでますよ」


 あたしが笑うと、達己さんは額に手をあてた。


「俺とも遊ぶ?」

「そう思って店出ました」

「本気にするよ?」

「あたしは本気ですよ?」


 神仙寺さんから仕入れたラブホテルの情報が役に立った。あたしたちは落ち着いた内装の所に入った。達己さんは慣れた様子でパネルを押した。部屋に入り、あたしは言った。


「達己、って呼び捨てにしてもええ?」

「いいよ。おいで、蘭」


 達己は優しくあたしを抱き締めた。そして、ついばむようにキスをしてきた。いやらしい音が部屋に響いた。ゆっくりと服を脱がせあい、セックスをした。


「そういえば蘭って何歳なの?」


 ソファでタバコを吸いながら、達己が聞いてきた。


「二十歳やで」

「うそっ、若っ。その歳で遊び歩くなんて、将来どうなるんだろうな」


 将来か。そんなこと、考えたこともなかった。あたしが文学部に入ったのは、国語の成績が良かったからで、その先の就職までは頭になかった。達己は続けた。


「まあ、一目見たときからヤバそうな子だと思ったよ。実際、ヤバかった」

「ふふっ、そうなん?」


 あたしもタバコに火をつけた。達己は言った。


「それ、俺の好きな子と同じ銘柄。それで余計に気になった」

「好きな子おるんや?」

「まあ、振られたよ。彼氏と別れたら奪いにいくけど」


 達己の肩に、あたしは頭を預けた。


「今夜はあたしのことだけ考えてな」

「うん、そうする。関西弁の女の子っていいな」

「せやろ?」


 もう四人目の男だ。達己とは、またしたいと思った。冬休みは、東京に行こう。勝手にそう決めた。

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