12 今さら
神仙寺さんのバーを出て、駅に向かった。アリスと美咲は反対側のホームだったので、階段の前で別れた。あたしは一旦はホームの椅子に座り、健介にラインをした。
『今日そっち行っていい?』
返事はすぐにきた。
『ええよ。今どこ?』
『三ノ宮駅』
『わかった。直接おいで』
あたしは駅員さんに言って改札を通してもらい、健介の家へと向かった。まあ、手ぶらでいいだろう。健介は、スウェット姿で出迎えてくれた。
「危なかったな。寝るとこやってん」
「そっか。タイミング良かったわ」
健介に、さっきアリスと美咲と一緒に神仙寺さんの店に行ったことを話した。それから、翔とセックスしたことも。
「友達の彼氏に手ぇつけたんか」
「誘ってきたんはあっちからやで?」
「悪い女」
ソファであたしたちは激しくキスをした。今度は下だけ脱いで、床でセックスをした。健介はいつも新しい楽しみをくれる。
終わって、ベランダでタバコを吸いながら、あたしは尋ねた。
「この前の子とやったん?」
「やったよ。でも、やっぱり蘭がええなぁ」
「あたしのどこがええん?」
「貪欲なとこ」
元彼と付き合っていた頃は、セックスなんて面倒なものだと思っていた。でも今は違う。もっと試してみたい。もっと見つけてみたい。健介となら、それができる気がした。あたしは言った。
「前はこんなんやなかったんよ? 健介がそうさせた」
「いや、違うな。蘭には素質があってん」
「素質?」
「男を狂わす素質」
健介はあたしの鼻先をつんとつついた。そして、あたしの瞳をじっと見て言った。
「もう、おれは取り込まれてしもた。蘭がもうええって言うまで、一緒におったるからな」
「うん。要らなくなったらポイするわ」
「それでええねん。蘭はそれができる女や」
ぐぐっと背伸びをして、健介は言った。
「そうや、神仙寺さんとこ周年やな。行くよな?」
「うん、行く。健介も仕事終わったら来てな」
「で? その後は?」
「当然、またここ来るわ」
シャワーを浴び、髪を乾かした後、あたしたちはベッドに入った。健介は疲れていたようで、すぐに眠ってしまった。あたしはなかなか寝付けず、彼の輪郭を目でなぞっていた。
スマホで時計を見た。夜一時だった。やけに頭は冴えてしまっていた。あたしは冷蔵庫の中から、ソファで勝手に缶ビールを出して飲んだ。
ふと思いついて、神仙寺さんのインスタグラムを探した。店のアカウントがあった。もうすぐ十五周年の投稿があった。
お酒を追加したおかげか、ようやく眠くなってきた。健介はいびきをかいていた。あたしは彼の隣にすべりこみ、ぴったりと体を合わせた。彼の鼓動の音を聞いている内に、意識が遠のいた。
「蘭。おはよう」
いつものコーヒーの香りだ。あたしは身を起こした。健介はすでに、あたしの分のマグカップをローテーブルに置いていた。
「いただきまーす」
こうして誰かと迎える朝はいい。一人暮らしにはすっかり慣れたが、こうして「おはよう」と言ってくれる相手が居るのはいいことだ。あたしは聞いた。
「今日は仕事?」
「せやねん。メシ食ったら出るわ」
あたしたちはロールパンを食べた。その後、健介の仕事場まで送りたいと言ったが、断られた。知り合いに見られると気まずいかららしい。それで、あたしが駅まで送られることになった。
「ほな、またな」
「健介、またね」
帰宅して、あたしはノートパソコンを立ち上げ、レポートを始めた。もうすぐテスト期間だ。語学の勉強もせねばならない。
ゼミはもう、決めていた。国文学のところにした。アリスと美咲も一緒だ。卒業するまで、あたしたちの関係は続くだろう。なおさら、翔とのことは秘密にしておかないと、とあたしは思った。
レポートが一段落つき、あたしはコンビニでサンドイッチとタバコを買った。一人、部屋で昼食を取っていると、ラインがきた。
『この前は本当にごめん。やっぱりやり直したい。連絡下さい』
元彼からだった。あたしは名前を削除しただけで、ブロックはしていなかったのだ。あたしは彼に電話をかけた。
「……蘭?」
「うん。何なんさっきのライン」
「そのまんま。やり直してくれへんかな?」
何を今さら。あたしは鼻で笑った。
「あたし、タバコ吸い始めてん。男もおる。セフレにやったら、したってもええで」
「蘭? なんでそうなってしもたん? オレのせいか?」
「せやで」
「オレにはやっぱり蘭しかおらへんねん。真剣に付き合ってほしい」
「嫌や。もうそんなんやったら連絡せんとって」
電話を切り、今度こそブロックした。可哀想だとは微塵も思わなかった。あたしは今、充実している。もう元彼になんてすがらなくてもいい。
ベランダでタバコを吸った。あたしはこの一ヶ月で変わった。もう元には戻れない。一途に元彼と過ごした日々の自分が可愛らしく思えてきた。
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