06 痕

 健介の部屋の玄関で、靴も脱がずに、あたしたちは長いキスをした。彼はあたしの胸をまさぐってきた。あたしも負けじとかれのうなじを撫でた。初めて飲んだウイスキーのせいか、酔いが回っていた。あたしは囁いた。


「ねえ、激しくしてよ」


 あたしの要望通り、健介は前より乱暴にあたしを抱いた。あたしはこうも言った。


「痕つけて」


 健介はあたしの肩に吸いついた。それから胸、脇腹、太もも。いくつもの証が刻まれていった。とうとう終わった後、風呂場にあった鏡を見て、あたしは苦笑した。


「あーあ、しばらく銭湯とか行かれへんわ」


 健介が聞いてきた。


「銭湯行くん?」

「たまにね。近所にあるねん」


 本当に健介は長髪の女が好きなのか、ゆっくりと丁寧に洗ってくれた。そして、終わった後、洗面所にドライヤーがあるのに気付いた。


「買ってくれたん?」

「そうやで。蘭のためにな」


 あたしはにっこりと笑って、健介に抱きついた。そのドライヤーを使い、髪を乾かした。そして当然、ベランダに行った。タバコに火をつける彼の横顔が、愛おしく思えた。だから、あたしは言った。


「あれしたい。シガーキス」

「ええ? 別にええけど」


 自分のタバコを健介のタバコの先に近付けた。なかなか上手くつかなかった。何度かやってみて、ようやく火がついた。そうして吸った煙は、いつもより香ばしいように感じられた。今夜もここに泊まる。しかし、前と違い、時間がまだ早かった。あたしは提案した。


「何か映画観ようよ」

「うん。今度は後味ええやつにしよな?」

「嫌や。今日も悪いやつがええ」

「趣味悪いなぁ」


 健介が選んだのは、刑事ものだった。殺人事件を追う二人の刑事が主人公だった。オープニングの音楽から、あたしはわくわくさせられた。カッコいい。七つの大罪をモチーフとしており、殺人現場の描写も凄惨なものだった。最後は刑事の妻が殺されていた。うん、後味悪い。


「最悪やったけど、音楽とか良かったな」

「アメリカのバンドやで。CD持ってるけど聴く?」


 健介はクローゼットから、CDとコンポを取り出した。彼はそのバンドがミュージシャンの中では一番好きなのだと言い、ほとんど全てのアルバムを持っているとのことだった。最も有名だとされるアルバムを彼はかけた。ずっとカチカチ、シャカシャカといっていた。男性ボーカルの声は、荒げているのに、なぜか心地よく感じられた。


「これ、ええなぁ。何てジャンルなん?」

「インダストリアル・ロック。おれ、この辺の洋楽めっちゃ好きやねん」


 あたしは洋楽は聴かない。流行っている邦楽をサブスクで聴くだけだ。CDなんかも、買ったことが無かった。健介の趣味に染まるのも、別に悪くはないだろう。その洋楽を聴きながら、あたしたちは獣のようにセックスをした。

 こんなに刹那的な交わりをしているのに、虚しさは無かった。健介があたしの身体を求めてくれること。それには何とも言いがたい生への充足感があった。

 終わった後、健介はあたしの髪に鼻を近付け、匂いをかいだ。


「蘭、ええ匂いするなぁ」

「シャンプーは健介と一緒やで?」

「蘭自体の匂いがするんや。花の匂いみたい。ええわ。ほんまにええわ」


 あたしは健介の腕の中で深い眠りについた。目覚めて香ってきたのは、またコーヒーの匂いだった。


「飲むやろ? 淹れといた」

「ありがとう」


 こくこくとホットコーヒーを飲んだ。じわり、とお腹が温まっていった。健介がトーストを焼いてくれたので、それを食べた。今日も何の予定も無かった。あたしは聞いた。


「健介は仕事無いん?」

「実は昼からあるよ。それまでゆっくりしよか」


 あたしたちはソファで何度もキスをした。彼が仕事に出た後、今日は何をしようかとあたしは考えていた。アリスも美咲も、おそらくバイトだろう。あたしも何か始めればいいのかもしれないが、十分な仕送りがあるし、お金には困っていなかった。

 健介はスーツに着替え始めた。白いシャツに青いネクタイ。もう、今日はセックスはできないだろう。まだ足りないのか、と自嘲した。昨夜はあんなに熱っぽい夜を過ごしたのに。最後にベランダで喫煙した。健介は言った。


「次は蘭の家行かせてや」

「ええよ。しょっちゅう友達くるから、片付いとうし」

「そうなん?」

「うん。宅飲みしてるよ」

「ほな、おれともしようや」

「そうしよ」


 元彼の着替えはとっくに燃えるゴミの日に出した。あの男の痕跡はもうどこにも無い。あとはあたし自身が記憶を消し去るだけだ。そのために、健介を利用しよう。神仙寺さんの口ぶりからすると、彼も遊んでいるのだろうし。さっぱりした関係を続けよう。

 昼前の三宮の街を健介と一緒に歩いた。土曜日。人が多いように感じられた。彼は駅まで送ってくれた。前と同じように、にこやかに手を振ってくれた。


「蘭、またな」

「うん、今度はあたしの家来てな」


 家に帰る途中、あたしはコンビニでコンドームを買った。それから、ベッドで下着姿になった。健介につけられたいくつもの痕を、指でつうっとなぞった。

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