05 カンパリソーダ

 あたしは大学内の喫煙所に通い詰めるようになった。ここの大学には一か所しかなく、いつもぎゅうぎゅう詰めだった。女性の喫煙者は少なく、自分でも浮いているのを自覚していた。

 金曜日のお昼過ぎ、タバコをくゆらせていると、健介からラインが来た。


『今日、神仙寺さんの店行くけど、来る?』


 あたしは即座に返信した。


『行く』


 授業を終えて、食堂でオムライスを食べた後、あたしはあの店に行った。すでに健介がカウンター席に座ってビールを飲んでいた。あたしは彼の隣に座った。


「健介、待った?」

「ううん、そんなに。まだ一杯目」


 開口一番、神仙寺さんがこう言った。


「お前ら、やったな?」

「バレました?」


 健介は頭をかいた。


「バレバレやねん。蘭ちゃん、あかんでまったくもう」

「すんません。神仙寺さん、ビール下さい」

「はいよー!」


 あたしと健介はビールで乾杯した。神仙寺さんは電子タバコを吸いながら言った。


「蘭ちゃん、健介のどこが良かったん?」

「さあ、どこでしょうね」

「まあ、こいつ顔はええからな。女には不自由してないはずやで」


 健介の顔を見た。彼は口を突き出していた。


「おれ、そんなにモテませんよ?」

「まあ、中身が残念やからな。蘭ちゃん、こいつほんまに軽いで? ええんか?」

「はい。あたしも本気の付き合いとかもうええんで」


 元彼でもう懲りた。本気で恋愛をしたところで、所詮学生のお付き合い。崩れるときはあっという間なのだ。一人の男に縛られるより、こうして楽な関係を結んだ方がいい。若いのも今の内だ。しんどい思いはしたくない。気持ちいいことだけ選り好みしたい。あたしはタバコの煙を吐き出して言った。


「あたしも軽い女になります」


 そして、カンパリソーダを注文した。前に飲んだスプモーニというカクテルには、カンパリというリキュールが使われていることを調べてきていたのだ。真っ赤に染まったグラスを傾けていると、ぐっと大人になった気がした。健介が言った。


「蘭って、学部どこなん?」

「文やで」

「おれは経済学部出身。まあ、あそこで勉強したこと、なーんも役に立ってへんけどな」


 あたしは尋ねた。


「そういえば、健介って何歳なん?」

「二十六」

「ああ、そのくらいに見えるわ」

「そっか。若く見られること多いんやけどな」


 あまり健介のことを知りすぎても、辛くなる気がした。それでも最低限の情報は得ておいた方がいいとも思った。


「健介の実家ってどこなん?」

「北区やで」

「マジで!? あたしも北区やねんけど!」


 それから、あたしと健介はスマホを取り出し、地図アプリを開いた。あたしたちは声を合わせて叫んだ。


「近っ!」


 なんと、健介の実家はあたしの実家の隣町だった。学区が分かれているから、小中学校は違う。高校も別だったが、それもまた近くのところだった。健介が言った。


「セーター緑のとこやんな!?」

「そうそう! あれ着てたで!」


 神仙寺さんが言った。


「そこからやったら、大学通えそうやのに、何で一人暮らししとん?」


 あたしは答えた。


「うち、再婚家庭で、血が半分しか繋がってない弟が居るんですよ。仲もそんなに良くないし、あたしが家出たい言うたらすぐに許してくれました」


 新しい母親と、あたしはそりが合わなかった。良い人だが、気を遣われすぎるのである。あたしは彼女のことを頑なに「園子そのこさん」と呼んでいた。弟は小学生で、まだ手がかかる。園子さんは専業主婦をしていた。それで、常に家に居られるので、煙たかったのだ。健介が言った。


「おれんとこも、離婚してるんよ。父親は女作って出て行った」

「そうなんや。うちは母親が病気で死んでん。弟のこと嫌いにはなれへんけど、やっぱり遠慮してしまうわ」


 弟はすでに、あたしとのことを理解していた。それでもお姉ちゃん、お姉ちゃんと甘えてくるので、それも鬱陶しかったのだ。あたしが家に居ない方が、あの家庭は上手く回る気がしていた。実際そうなのだろう。一回生のとき、年末年始は帰らないと言ったときも、父親は何も言わなかった。

 そうだ、カウントダウンは、元彼とあたしの家で過ごしたのだった。あの頃はまだ、肩を寄せあいながら、睦まじくテレビを見ていた。あんな記憶ももう、消し去ってしまおう。あたしはカンパリソーダを飲み干して言った。


「神仙寺さん。何かガツンと来るもの下さい」

「蘭ちゃん、そんなに酒強くないやろ。ほどほどのやつにしとくで?」


 神仙寺さんが選んだのは、ハーパーというバーボンウイスキーだった。それをソーダで割って出してくれた。ウイスキーは初めてだったが、ちょっと甘味があって美味しかった。健介も、同じものを頼んだ。ニヤニヤしながら、神仙寺さんが聞いてきた。


「それで? 蘭ちゃん、またこいつとやるんか? んっ?」

「そうですね。やってきます」


 健介は咳込んだ。


「そんな堂々と言わんといてぇな」

「でも、したいやろ?」

「まぁなぁ」


 店を出るとき、あたしは健介の腕に手を絡めた。神仙寺さんがピイッと指笛を吹いた。

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