03 明くる朝
翌日、健介の家で目覚めたあたしは、コーヒーのいい匂いがするのに気付いた。マグカップを持ち、ソファに座っていた健介が言った。
「おはよう。蘭も飲むか?」
「うん」
「砂糖とかミルクとか無いけど」
「ええよ。あたしブラック好きやから」
あたしはソファに座った。キッチンに行った健介は、ドリップコーヒーの袋を開けて、ポットで湯を注いだ。マグカップを手渡して、彼はあたしの隣に座った。
「美味しい」
「そっか」
ソファの前にはローテーブルがあり、あたしはその上にマグカップを置いた。大きなテレビと、レコーダーも見えた。健介が言った。
「蘭ちゃん、日曜日やけど今日の予定は?」
「何にもないよ。あたし、バイトとかもしてへんねん」
「俺も休み。どうしよか……」
今さらながら、初めて会った男の家でセックスをしてしまった自分の軽薄さに驚いた。酒とタバコの勢いがそうさせたのだろうか。コーヒーを飲み終わり、あたしたちはベランダでタバコを吸った。もっと健介と一緒に居たい気分だった。あたしは言った。
「なあ、何か映画観ようよ。後味悪いやつがええな」
「後味悪いやつ? よっしゃ、あれにしたろ」
健介は一本の洋画を選んだ。霧の中から怪物が出てくる映画だった。主人公たちはスーパーマーケットに逃げ込んだが、一人、また一人と怪物に殺されていった。そうして迎えたラストは、実に悲しい結末だった。
「うわぁ、あたし、二度とこれ観たくない」
「やろ? でもおれ、これ好きやねん。五回くらい観てる」
「ようやるわ」
あたしは健介にキスをせがんだ。舌を絡め、ねっとりと長く。元彼は、こんなキスをしなかった。互いに童貞処女を捧げた相手だった。それに比べ、健介はこういうことに手慣れていると感じた。それで良かった。彼はあたしの耳を舐めた。
「くふっ」
「蘭、耳弱いなぁ」
そのまま、なだれ込むように互いの服を脱がせ合った。すっかり裸になった後、ベッドに移動し、セックスをした。
「しんどない? 大丈夫?」
「うん。こうしてるの、好き」
元彼とのセックスは、とりわけ気持ちいいものでは無かった。彼もそのようだった。それで、段々距離が離れたのである。あたしは自分の身体が悪いのかと悩んでいた。しかし、健介はうっとりと目を閉じ、満足そうにしていた。あたしは聞いた。
「気持ちいい?」
「うん。めっちゃ気持ちいい」
健介が達すると、あたしたちは荒い息を吐きながらベッドに横たわった。また、汗をかいてしまった。あたしたちは髪を濡らさないようにシャワーを浴びた。服を着た後、ベランダでタバコを吸った。あたしは紫煙を吐き出して言った。
「やった後のタバコ、美味いな」
「まだ吸い始めて二日目のくせに」
「あたし決めた。二十歳やし、堂々とタバコ吸うわ」
「タバコ吸う女にはろくなん寄ってけぇへんで?」
「健介みたいにな?」
あたしは健介の頬をつんとつついた。彼は言った。
「うん。おれ、ろくな男とちゃうで?」
「ええねん、それで」
お腹が空いてきた。健介はラーメンを食べに行こうと言い、そのまま連れて行ってもらった。彼は大盛のラーメンにチャーシュー丼までつけた。よく食べる方らしい。その割に、無駄な肉付きがなく、すらりとした身体だった。あたしは昨夜の熱を思い出した。
「ここ、美味いやろ? 一人でよう来るねん」
そう言って健介はスープを飲んだ。あたしは言った。
「うん、美味しい。ありがとうね。あたし、元彼とはラーメンなんかほとんど行かへんかったから、新鮮やわ」
「ほな良かった」
ラーメン屋を出て、あたしたちは駅に向かった。改札口で、健介が手を振った。
「蘭、またな」
「うん。またね」
電車に揺られながら、あたしは手を組み合わせた。身体中に、健介の感覚が残っていた。これを失くしてしまいたくないと思った。でも、好きになんてなりたくなかった。付き合えば、いつか別れが来る。ならば、このままあの男とは遊んでやろうじゃないか。
帰宅したあたしは、まず元彼の着替えをゴミ袋に入れて行った。クリスマスにペアで買ったネックレスも、そのまま放り込んだ。一年間という期間は、大学生のあたしにとっては長かった。それを無駄にしたのだ。
「はぁ……」
あたしはベランダでタバコを吸った。もう、復縁を申し込まれても、目の前で喫煙してやろうとすら思った。それから、明日からの授業のことを考えた。一限目から、必修の語学があった。女友達からは、どんな誕生日を過ごしたのか聞かれることだろう。憂鬱だ。
もう先手を打っておこう。あたしは三人のグループラインを開いた。グループ名は「蘭飲み」だ。あたしの部屋でしょっちゅう飲み会をする女友達、
『彼氏と別れました』
すぐに既読が一件ついた。送ってきたのは、アリスだった。
『マジで!? どういうことなの!?』
あたしはこう返した。
『詳しくは明日話す。宅飲みしよう』
美咲からも返信がきた。
『蘭、大丈夫? 明日は話いっぱい聞くからね』
あたしは掃除機をかけることにした。彼女たちには、もう全てぶちまけてしまおう。
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