02 健介

 神仙寺さんと健介さんは、なおもあたしの話を聞きたがった。あたしはここから三つ離れた駅で一人暮らしをしているということ、部屋にまだ元彼の着替えが残ったままだということ、どうやらラインをブロックされたらしいということを話した。健介さんが言った。


「三宮にはよく来てたん?」

「はい。元彼が焼肉とか寿司とか好きで。デートは大体三宮でした」

「ここのバーは初めてやったんやんな? 何でここにしたん?」

「適当です。看板見て、ええなって思ったんで」


 そう言うと、神仙寺さんが微笑んだ。


「せやろ?」


 健介さんは言った。


「でも、ここ普通のバーやないで。マスターが変やもん」

「俺は至ってまともやで? 客がおかしいねん」

「おかしい客呼ぶマスター自体がおかしいんすよ」


 あたしは吹き出した。健介さんのビールグラスが空き、彼はお代わりを要求した。あたしは尋ねた。


「健介さんはいつもビールなんですか?」

「今日はそんな気分。他のも飲むよ。ここ、マスター変やけど酒は美味いからな」

「また変って言った」


 神仙寺さんは健介さんにデコピンをした。彼は大げさに痛がってみせた。あたしはもっと健介さんのことを知りたくなった。


「お仕事何されてるんですか?」

「おれ? パチ屋の社員」

「パチンコ屋ですか」

「そう。キツいけど金はまあまあ貰っとうわ」


 健介さんはタバコに火をつけ、深く吸い込んだ。あたしは彼のタバコの銘柄を見た。ラッキーストライク。何となく、よく似合うと思った。それから、五人連れのお客さんが来た。彼らはボックス席に座った。神仙寺さんは、快活に声を張り上げながら、注文を聞いていた。やはり土曜日は混むのだろう。健介さんが言った。


「蘭ちゃん、三杯目は飲むん?」

「考えてなかったです」

「もう全部奢ったるわ。好きなん頼み」


 お言葉に甘えて、あたしはもう一杯スプモーニを注文した。病みつきになったのだ。健介さんは、ハイボールを頼んだようだった。デュワーズ、という単語が聞こえた。あたしと健介さんは、もう一度乾杯した。


「ご馳走になります」


 また、あたしはタバコに火をつけた。三本目だ。いくらか慣れてきて、苦味が心地いいとさえ思った。あたしがタバコを買った理由は単純。元彼がタバコ嫌いだったのだ。デートでの店も、必ず禁煙のところだった。だから、当てつけのようなものだ。あたしは言った。


「健介さんは、この辺住んではるんですか?」

「うん、山幹やまかん沿い」

「ヤマカン?」

山手幹線やまてかんせん。車運転せんかったら、ようわからんか」


 とにかく、この店からは歩いて行けるらしい。それで、ここに居ついてしまったのだと健介さんは笑った。三杯目であたしと健介さんは出ることにした。本当に財布を出さなくてよかった。神仙寺さんはあたしたちを扉まで見送って言った。


「ほな、蘭ちゃんまた来てや」

「神仙寺さん、おれは?」

「お前は言わんでもどうせ来るやろ」


 秋の冷たい風が吹いていた。酔っ払いだらけの騒がしい夜道を、あたしと健介さんは歩いた。電車はまだあった。


「駅まで送るわ」


 そう言う健介さんをあたしは制した。


「今から家行ったらダメですか?」


 健介さんは髪をかきあげ、眉根を下げて言った。


「おれはええけど。蘭ちゃんはええの?」

「はい。誕生日の思い出、下さいよ」


 そして、健介さんのマンションに入り、扉を閉めた途端に、あたしたちはキスをした。彼はあたしの耳を触ってきた。


「くすぐったいですよ」

「敬語やめて。健介って呼んで」

「うん。健介」


 もうやけくそだった。あたしたちはセックスをした。二十歳の誕生日の記憶を、書き換えたかったのである。元彼とはしばらくしていなくて、数えてみると半年ぶりのセックスだった。健介は丁寧にあたしを抱いてくれた。


「シャワー浴びよか」

「うん、ええよ」


 狭い風呂場で、あたしは健介の髪を洗った。彼は背が高いので、立ったままだとかなりかがんでもらうことになった。それから、彼はあたしの長い髪を愛おしそうに撫でた。ドライヤーは無いようで、タオルで丹念に拭いた。

 それから服を着て、二人でベランダに出た。一応、ここのマンションは禁煙らしい。ベランダで吸う分にはグレーゾーンだということだった。火は健介がつけてくれた。まだ乾ききっていない髪を夜風が通り過ぎた。


「ほんまに良かったん?」


 健介が聞いた。あたしは頷いた。そして、彼の瞳をじっと見て言った。


「また抱いてよ。彼氏にはせんけど」

「別にええよ。蘭がそれでええんなら」

「うん。恋愛とか、もう面倒くさいねん」


 部屋に戻り、あたしはスマホを操作した。友だち一覧から、元彼の名前を消した。そして、健介に言った。


「ライン交換しよう」

「おう」


 坂口健介さかぐちけんすけの名前が登録された。あたしはスマホを閉じた。それから、二人で狭いシングルベッドに寝転がった。彼のワンルームは、ひどく殺風景で、茶色のソファが存在を主張していた。あたしは言った。


「物、少ないんやね」

「映画くらいしか趣味ないからな。蘭は映画とか観るん?」

「全然知らへん」

「また面白いの教えたるわ」


 健介にぴったりとくっついて、あたしは眠った。酒とタバコの匂いが、あたしの新たな日々を予感させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る