01 傷心のショットバー
一年以上付き合った彼氏に振られた。
あたしはコンビニでタバコとライターを買い、ショットバーに入った。ここに来るのは初めてだ。看板は深い緑色で、「
真っ直ぐなカウンターが十席くらいと、奥にボックス席のある店だった。壁面には、ずらりと並ぶボトルと共に、赤い野球帽が飾られていた。
「いらっしゃい」
四十代くらいだろう。メガネをかけ、サイドを刈り上げた黒髪の男性マスターがおしぼりを渡してくれた。
「何にします?」
「ビールでお願いします」
他にお客さんは居なかった。あたしはカウンター席の真ん中に陣取った。そして、買ったばかりのタバコとライターを置いた。マスターは灰皿を出してくれた。
そして、サーバーからビールをグラスに注ぎ、余分な泡を長いスプーンですくい取ったあと、コースターの上に置いてくれた。
「どうぞ」
「いただきます」
傷心の身体にアルコールが効く。あたしはビールを一口飲むと、マスターを見上げた。彼は言った。
「ここ、初めてやんね? 若く見えるけど、大学生?」
「はい。二回生です」
「二十歳なったとこ?」
「ええ」
あたしは思っていた。何も誕生日の日に振らなくてもいいじゃないかと。彼とは確かに冷めきっていた。決定的な言葉を吐いたのは向こうからだった。一人暮らしのあたしの部屋には、まだ彼の着替えが残っていた。それについてラインをすると、こう返ってきた。
『捨ててええよ』
『ほんまに?』
既読はつかなった。おそらくブロックされたのだろう。あたしはぐいっとビールを飲み込み、タバコに火をつけようとした。なかなかつかなかった。見かねたのか、マスターが言った。
「もしかして、タバコ吸うの初めて?」
「は、はい」
「息、吸い込みながらつけるんやで」
言われた通りにすると、あっさり火がついた。あたしは煙を肺にいれた。不味い。
「何かあったんやろ。名前は? 何て呼んだらええ?」
「
「蘭ちゃんな。可愛い名前やん。俺は
「シンセンジ? 珍しいお名前ですね」
「神に仙人に寺で神仙寺やで。覚えて帰ってな」
神仙寺さんは口角を上げた。いかつい風貌だが、笑顔は素敵だった。さすがショットバーのマスターといったところだろう。あたしが話し出そうとしたとき、お客さんが来た。
「こんばんは」
「おう、
ケンスケと呼ばれた二十代中盤くらいの背の高い男性は、あたしを見ると、一つ席を離して座ろうとした。神仙寺さんが言った。
「健介、この子の隣座りや。まだ大学生やって」
「ほな、失礼します」
健介さんは、スーツ姿だった。少し長めの黒髪で、前髪をサイドに流していた。目鼻立ちはくっきりしており、ニッコリと微笑む表情から、人懐っこそうな印象を受けた。
「この子、蘭ちゃん。初めてタバコ吸ったんやって」
「ええ? このタバコ、女の子には重くないっすか?」
「そうなんですかね? 適当に買いました」
タバコの銘柄というと、父方の祖父の吸っていたハイライトしかあたしは知らなかったのだ。軽いや重いといったこともよくわからない。本数は二十本あるようだった。果たして吸い切れるだろうか。健介さんが言った。
「神仙寺さん、おれもビール。あと、何か飲んで下さいよ」
「はいよ。いつもありがとう。いただきます」
健介さんもタバコを取り出した。彼も喫煙者なのなら、気兼ねがなくていい。神仙寺さんは、健介さんのビールとは他に、グラスに氷を入れ、何か透明な液体を作り出した。作り終えると、神仙寺さんは言った。
「乾杯しよか」
あたしたちはグラスを打ちつけた。神仙寺さんはゴクゴクとグラスの中身を飲んだ。ウイスキーか何かだろうか。健介さんが尋ねてきた。
「何で蘭ちゃんはタバコ吸おうと思ったん?」
「彼氏と別れたんですよ。あたし、今日誕生日だっていうのに」
神仙寺さんが笑って言った。
「ほんまか。そら災難やったな。健介、二杯目奢ったり」
「はぁい」
それからあたしは、もはや元彼と呼ぶことになるあの男のことについて話した。
「最初から合わへんなぁとは思ってたんですよ。ボンボンやから、金銭感覚とかおかしかったし。奢ってくれるのは良かったんですけどね。ええとこは連れてってもらってました」
健介さんが聞いた。
「同じ大学の子やったん?」
「違うとこです。同じじゃなくて良かったです。気まずいですから」
あたしのビールが尽きた。健介さんは空いたグラスを指すと言った。
「誕生日なんやろ? 十月四日か。おめでとう。ほんまに一杯奢るわ。何がええ?」
「何でもいいです」
「ほな、あれにしよ。神仙寺さん、スプモーニ作ったって」
「かしこまりましたぁー!」
神仙寺さんは、グラスに氷を入れてかきまぜた。それから、赤い液体の入ったボトルを取り出すと、何か器具を使ってグラスに注いだ。それから、ジューサーでグレープフルーツを絞り、その果汁をグラスに入れた。最後に透明な水のようなものを少しだけかけて、氷をひっかけるように混ぜ、出してくれた。
「はい。これがスプモーニ」
「ご馳走になります」
オレンジ色のカクテルは、果実とは他に、少し薬のような味がした。あたしは健介さんに聞いた。
「何でこのカクテルにしたんですか?」
「蘭ちゃん、可愛いから」
「可愛くないですよ」
「可愛いって。黒髪ロングの女の子、おれ好きやわ」
神仙寺さんが、健介さんの頭を掴んで言った。
「まーたこの男は口説こうとして。蘭ちゃん、こいつ悪い奴やから気ぃつけや」
「おれはそんなに悪くないですぅー」
実はショットバー自体にも初めて入ったのだが、こんなにも気安いのか。あたしはもう一本、タバコに火をつけた。
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