<第二十九話> 一難去って。

怒号と金属音が支配する。

砦の門前で、未だに争いは続いている。

喧騒と、叫び吠えと雄叫びが、とめどなく聞こえてくる。


「森の中が騒がしいな」


将軍は唸る。

眼前の出来事ではなく、安全であるはずの後方に。

よもや、敵の増援か、はたまた兵を伏せられていたのか。

もしくは知らぬ抜け道から現れた敵兵の挟撃か。


いづれにせよ、後方にはあの死霊術師が控えていたはずなのだ。


副官コボルドは身を小刻みに震わし、それはだんだんと激しくなっていた。

そして副官はギラリと光る、狂狼将軍の犬歯を見て少し後づさる。

その低い声の意味に気付いて飛びあがり、縮み込んだ。


「は、はっ! 狂狼将軍!」

「それに、アンデッドコボルドどもの動きが……うん!?」


将軍の声が裏返る。

同時に獣臭い息が漏れ。


「あの骨ども、我が方をも攻撃しているではないか!」


将軍が細い目を吊り上げる。

副官は固まった。

だが、何とか言葉を紡ぎ出す。


「はい、敵兵も、我が兵も見境なしに攻撃しております!! どうしたことでしょうか!」


副官の声に将軍は。


「ええい、面倒な! あの死霊術師は何をしておったのだ!」

「は、伝令に……」


副官は艦がる前に動きつつ。

つまり副官が走ろうとするも。


「いや、無駄だ! あの使えないキャスターはしくじりおったのだ! そうに違いない! おのれあの愚か者!」


と、将軍は副官を止める。


「で、では……!」


がばりと振り返った副官。

その頭は耳を伏せて濡れていた。

陣営不利な予感をあっさり受け取る副官コボルド。

恐らく将軍ほどに事態を理解せず。

まあ、この副官も数いるコボルドの中でも賢い個体ではあるのだが。


「無駄だ! わが方は機会を逸した! 太鼓を鳴らせ、撤退するぞ! 無駄に兵を死なせるな! 急げ!」

「は! 狂狼将軍!」


 その呼び名と大きく違う、狂狼将軍の冷静な判断と指揮であった。

 将軍の取り巻きは知っている。

 一見知的に見える将軍が、いざ自分の血を見ると毎回敵味方問わず破壊的な行動に出ることを。

 だからこそ『狂狼』だ。


だから、副官の呼びかけはコボルドの群れに生気を吹き返す。


狼狽えていた旗下の妖魔コボルドたち。

突撃を命じられるのではないことに感謝したのか、落ち着きなく震えていた眼光がどこかへ消し飛び、その目に生気が戻る。


──普段の将軍は冷静で温厚なのだが……。


副官は犬顔をしかめた。

副官の戸惑いは、妖魔軍全体の戸惑いだ。


 そして、間髪おかず。

 部下のコボルドが急ぎ太鼓係に将軍の命を伝えに走る。

 と、言うよりも。

 命令を全て聞く前にコボルドの群れはアンデッドコボルドを置き去りに、自己勝手に逃走を始めていた。


 そして聞こえる陣太鼓。


 ──やや遅れ、逃げる彼らをせかす音。


それはコボルド軍の陣からの音だ。

将軍の命じ、副官が知らせた全軍撤退の合図であり、同時に『早く戦場を離脱しないと置いてゆくぞ』との知らせでもある。




●〇●



と。

ロランらの周囲の森がざわめいた。

音はどんどん近づいてくる。


やがて独特の匂いを乗せた、ぬるい風が辺りを覆う。

野獣の、獣の、生き物の──吐き気を催す腐臭にも似たよどんだ匂い。


それは先ほど倒した顔のスペルキャスターの匂いにも似ていて。

風はその獣臭を運び。

下映えを何かが大勢で駆け抜けてくる音と重なる。

そしてますます強くなるのだ。


ロランが振り返った時。


「コボルド! ……コボルド、コボルド! コボルド!!」


と、コボルドキャスターの死骸を挟んでエルフの声。

カイナリィ。

合成弓を持つ彼女の耳がぴくぴく動く。

そして、緩んでいた眼はキリリと真剣身を帯びてゆく。


「……敵、敵、敵!」


弓に矢をつがえ。


「ちょっと大勢過ぎるよカイナリィちゃん!」

「わかってるし、手伝って! 逃げるには遅すぎるよ!」


と、カイナリィの目線は大軍で現れた、息も荒いコボルドの群れに注がれて。

ピクシーのヴィーも弓に矢をつがえて引き絞る。


「うん、ヴィーもとんずらは無理だと思うの。カイナリィちゃん」

「え?」


と一瞬呆けるカイナリィ。

彼女たちの顔を見、振り返り、そしてさらなる異変か、ロランとアリアは周囲を見渡す。


後ろには犬顔の妖魔の群れ。


「ねえ、ヒュムの人たち手伝って!」

「だようだよう!」

「ね、仮面の人!」


と、可愛らしい妖精たちの加勢を求める声。

ロランは下唇を噛みしめ息を吐きだす。


「ちっ! 今頃!」


と。

そして妹のアリアを自分の背に隠しつつ、マスクのロラン。

自分の不覚を呪った。

妖精たちは味方、もしくは中立だろう。

タスクラン公子より聞いている。

『森の妖精族とは仲が良い』と。

ロランは前後左右を見渡して。


「味方も見つけたが……逃げ場が、ない?」


そう。


彼らの後ろも、右も左も異様な獣の匂い。

左右。

それはコボルド度は違う臭い……!


そう。彼らは何者かの集団に囲まれていたのである。


正体、その正体は!





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