<第十四話> 伯爵公子閣下の望み
ハルフレッドのテンションはまだまだ上がる。
ロランはそんな彼……実質的な主人の……姿と言葉をまるで別人を見るように、もしくは貴族とはこのようなものかと驚いて、ただ眺めていた。
「そして大々的な夜会を催して、晴れてお前も、お前の妹も社交界デビューだ」
「はあ? 無理言うな。ハルフレッド、お前が教育してくれるとはいえ、俺たち兄妹はどこまでいっても賤民は賤民だよ、犬猫が奇麗な服を着て、レスリングをするようなものだ」
そう、格闘大会ではボロを着ていないと、すぐに傷み破れるものだ。
だがハルフレッドは今のたとえが気に入ったようで。
「あはは! よく言った! だが、そうはなるまい。お前もお前の妹も、本当に必要なこと──生きるための本質──を学ぶのは巧いからな」
「そうか? 俺もアリアも失敗続きだ。ローラさんやサマンサさんに悪いぐらいだ。あんなに一生懸命に教えてくれてるのに」
そう。
ロランが強気に出れない理由。
それはいま彼が吐露したように、簡単にかみ砕いて手ほどきされて、教授し教えられたことを、思うように学ぶことができなかったから。
ライル老、ローラ、そしてサマンサ。
彼らは一生懸命にロランら兄妹にあれこれ教えてくれた。
しかし、だ。
ロランとしては、その教わった技を自分のものとして生かしきれているだろうか。
そう問われると、ロランは首をかしげて考え込むしかない。
ロランは戦闘術でライル老に勝てないし、座学でもメイドたちには悪いが眠くて仕方がない。
まだまだダメな生徒である。
そう。その通りなのだ。
そしてアリア。
もしかすると、ロランより行儀作法が身についてきたかもしれないが、夜会? ダンス?
何の冗談なのだろうと、人ごとのようにロランは思う。
「ああ、まあお前たち兄妹はローラたちにとって良い生徒とは言えないかもしれない」
ハルフレッドにも言われてしまった。実際そうだろうな、とロランは思う。
しかしハルフレッドは話を続けるのである。
「だがな?」
と。
「ん?」
だから、ロランは不審げに聞き返すのだ。
「でも、私はそうは思わない。ロラン、お前は私の影にふさわしいし、アリアは私のそばに控えさせておくのが一番いい。適任ともいえる」
「アリアも? 適任? あいつが……大丈夫なのか?」
「もちろんだ」
ハルフレッドは断言。
しかしロランは難しい顔。
ロランの頭に浮かぶのは、少々抜けた感じのする、ふにゃけたアリアの顔だけ。
「イマイチ想像できないが……」
「いや、彼女、アリアは良くやってくれてるよ」
「そして俺も……ライル爺には訓練や修練でやり込められるばかりなのに? ローラやサマンサからも教えを受けるたびに、厳しい視線とため息で返答されるのに?」
ハルフレッドが声を落とし、呟く語尾はどんどん小さくなる。
ロランは見る。
そのハルフレッドの両肩は、心なし落ちていた。
深いため息をハルフレッドはつく。
と、思えばその表情はすぐに消え、顔に笑みを形作っていた。
だが、どこか覇気がない。
それはロランが初めて見る、ハルフレッドの姿だったのである。
そして、次の言葉は意味深な小声なのである。
「貴族世界は狭いんだ。まして、友人と言えるものなど作りようも。だから……」
ロランは目を見開いて沈んだハルフレッドを見る。
ロランは思う。
ハルフレッド。
彼のこんな態度は……本当に、どうしたんだ、と。
「お前……」
ロランは呟く。
もう、鈍い彼でも悟った。
ハルフレッドの、どこか着飾った態度が消えているのに気づいたのだ。
今の彼、ハルフレッドは弱い。
「なあ……」
と、呼びかけるロランの声も細々く。
だが、そんなロランの声を聞いたハルフレッド。
彼は跳ねるように背筋を伸ばして形の良い顎を上に向ける。
その彼の目。ハルフレッドの瞳には、一瞬で光が宿り、花のような笑顔も返り咲いていて。
そして、そんな彼がロランに右手を伸ばし、その肩に置いた。
「まあそう言うな、『銀仮面卿』ことロラン。こう見えても私は友達が少ないんだ。お前たち兄妹とは、その友達以上の付き合いをしたいと思っている。まぎれもない本心なんだぞこれは?」
ロランが指摘する前に本人の口から吐露される。
「お、おう……」
貴族。
貴族には貴族の。
賤民には賤民の。
それぞれの立場で、それなりの苦労と煩わしさと、宿命を持っているらしい。
しかし、賤民の兄妹を友達にしようと思いつくなど、ロランとしてはやはり貴族様は変な思考回路をしているのであろうと、無理に自分に言い聞かせる。
そう、その変人の一人こそが目の前のハルフレッド。すなわちこの辺境伯領の、伯爵公子閣下様なのだということ。
ロランには、まだハルフレッドの言葉を信じ切れていない。
そして今。
ロランは賤民から貴族への身分が変わると告げられた。
冗談にしか聞こえないが、そうでもないらしく。
価値観の変革を迫られていた。
もっとも、当のロランやアリアたちに、そこまでの自覚はなかった。
いや、あえて言うならば。
そう。
まだ種まきを終えた三日後の、双葉すら芽生えていない、本の、本の小さな芽程度であろう。
「な? 私とお前、そしてお前の妹は友達。それも特別『マブダチ』ってやつだ。あはは! そして、『義兄弟』だぞ? 兄上たちともな!」
「……お、俺なんかが? 俺たち兄妹なんかが? 貴族様、それも城にお住みになっているような大貴族様が? 俺たち兄妹と、『マブダチ』? いや、『義兄弟』!?」
またしてもロランの思考は跳んでいた。
今までがせいぜい高い木の上だったのが、今度は雲の上まで飛びあがったかのよう。
そう。ハルフレッドはなんといった?
ロランら兄妹の貴族身分を保証する!?
そんなレベルをはるかに超えている。
ハルフレッド本人は良いとしても、他の貴族、士族、小間使い……彼らがロラン達を貴族として遇するだろうか?
いや、ありえない。
でも。
──でも。
「私の友になってくれ」
ハルフレッドは続けた。
ロランのこめかみと背に冷たい汗が。
そんなこと、こんなこと、一体だれが予想できようか?
雲の上の人間と、地べた、いや。地の底を這いまわっていた人間との差。
それこそ天と地ほどの身分差。
それが、なくなるというのである。
ロランはつばを飲み込む。
身分が身分が急激に上がること。
それは、不幸の始まりとされる、古の先達の例もあるが、このロラン、そしてその妹のアリアがそんな故事など知る由もなく。
本人たちは、ただただ戸惑うだけである。
「ふん、これだけ話してもまだ嘘だと思うか? いや、本当だと思ったか?」
ハルフレッドはただ笑う。
その言葉にロランは頭を殴られた。
そうだ、そうなのだ。
貴族様とはこういう人種。
身分の低いものを同じ人間として扱わない。
そうである。
村人にさえ賤民扱いされていたのだ。
まして貴族様。
とうていロラン達が貴族身分を得るなどありえなかったのだ。
ロランは呟く。
「なんだ、嘘かよ」
そして、泣いた。
安堵感と共に、じわじわ刺さる絶望感。
ロランは思う。
涙は頬を伝って。
そうだよな、そうに決まってるんだ、からかわれていただけ。
貧民のガキどもが、早々うまく貴族様なんぞに慣れるわけが──。
床にぽつぽつと涙の痕が刻まれる。
「と、言うとでも思ったか? この私、ハルフレッドは約束する。お前たち兄妹の貴族身分をな!」
はっはっは、とハルフレッド。
そして再びバクバクと鳴り出したロランの心臓。
そう、ロランの頭は再び大金づちで殴られたよう。
ハルフレッドはそんなロランの顔色の変化を楽しむように。
「面白いだろ? 人生は? な! お前たち兄妹はこれから貴族、貴族だぞ? らしく、振る舞えよ? 恥かくぞ?」
と、ハルフレッドはにやけ顔で片目を瞑る。
そして呆然と立つロランを置いて、ハルフレッドは上機嫌にも笑い声を上げながら、ロランにあてがった部屋を出た。
──で。 何が言いたいのかというと。
ハルフレッドは、ロランら兄妹という玩具を手に入れて、その遊び方──そう、いつ行われるとも判らぬ夜会の予定の算段だけで舞い上がってしまい、肝心な『銀仮面卿』への命令を伝え忘れていたのである。
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