<第三話> 少年だけが知る、山神様の真実

 ──そして、少年は思い出す。


◇◇◇


 呪文が聞こえる。

 発生源は白と赤の衣をまとった老婆だ。

 熱心に唱える、少年には意味不明な言葉の束。

 普段皆が村で使っている言葉ではない。

 そう、そんな言葉を操り、この部屋の空気を作り出すためには、巫女たるこの老婆のような存在が不可欠なのであろう。

 

 村人の集団を背に、老婆と焚かれる炎を前に、少年とその妹は座らせられている。

 少年少女雰囲気にのまれ黙していたが、ふと、少年が天井に目をやった。

 黒。

 煤の黒である。

 屋根を支える太い梁が見える。同じく黒い屋根と、それに付着した煤だ。

 木造家屋の背骨ともいえる柱。

 大きな部屋。いや、ここは木造の広間。

 大勢の大人子供が──そう、ほぼ村人の全員が集まって、息を殺している。

 そんな中、

 暗がりに焚かれた火。

 木の焦げる匂いの他に、香木の甘い匂いが漂う。


「ロラン」


 何度目だろうか。

しわがれた声が彼、少年を呼ぶ。

ロランと呼ばれた少年は、いつものボロではなく、しっかりとした造りの、決して豪華ではないが、作る者の祈りがこもった服を着せられていた。


少年は、ただ下唇を噛んで押し黙る。

その顔を、パチパチと弾ける祭壇の炎が強く、弱く照り。

少年の端正な顔を揺らめきながら照らしていた。


ほりの深い、まだ子供びた顔立ち。

そして、瘦せっぽちだが筋肉質の体。

そして、その小さな体に隠れるように。


そう、忘れてはいけない。

彼の、少年の愛する妹が、白い顔を炎で赤に染め、その背中に隠れていた。


そう。何のことはないのだ。

山間の、辺境の、山深い人の里では繰り返し行われてきた儀式。


儀式と名を打った、『口減らし』のための神事。


「ロラン、アリア」


しわがれた声は、二人、このまだ幼き兄弟の上に降る。


「おめでとう、先日の託宣の折、この焼いた亀の甲が示しているように、二人は山神様から選ばれたのじゃよ?」


年老い、しわがれた声。

皺だらけの顔の老婆が、純白の動きにくそうな服を引き摺り二人に近づく。


少年は、アリアと呼ばれた妹が彼の服の背中を引っ張るのを知る。

それは弱弱しく。

だけど、彼女がめったに表に出さない感情、それは勢いのある必死さを感じるもので。


「山神様……に?」


少女の小声。

一斉に集まる周囲の村人たちの黄色い目、目、目。


「お兄ちゃん?」


ロランは思う。

山神様。この村の守り神。

子供にやさしい神様らしく、数年に一度、前の子ら、すなわち以前捧げられた子供らが大きくなり、大人になったころに改めて、次の子供らを自分のもとに送ってくれと、巫女の口を通じて村人たちに頼むらしい。


だけど。

ロランは思うのだ。


『森の中、深い森の中。森に魔物が住み着いたとき、山神様は魔の風に当てられ祟り神となり、あの冒険者たちに悪鬼と共に退治されたじゃないか! 山神様なんてもういないのに。俺だけは知っている。だって、あの黒肌の冒険者のお兄さんに教えてもらったんだもの!』


そう、それはロランが生で聞いた体験者の冒険譚。血沸き肉躍る、冒険者と怪物との死闘。


ロランは叫びそうになる。

だが、圧倒的な視線の圧力に負けて何も言えないでいた。


そしてその先にあった──『魔に魅入られた山神様の、自身を殺してくれと言う山神様直々の依頼』。


冒険者は依頼を受けたら断らない。

ロランは確かに聞いたのだ。


『俺たちパーティが山神の願いを聴き……いや、依頼され、魔に呑まれた元山神と、その眷属を退治した』と。


ロランは悩む。

ここで大勢の村人の前に、このことを言うべきか、言わぬべきかを。


言っても良いよな、反発しても良いよな、と脂汗を額に浮かべ、ロダンは思う。


村人らは毎日自宅に祀った祭壇に水と捧げものを欠かさない。

全ては村の安寧を与えてくれる山神様のため。


だが、ロランは経験的に知っている。

なにせ、ロラン達の庵には、山神様を祀るための祭壇など無く、当然お供え物もしない。そんなものがあったなら、自分たちで食べている。


山神様は見守るだけ。

村人の祈りには答えない。


──ただ、人知れず応じるだけ。


そして、山神様と、村人たちの間に奇妙な共生関係が生まれる。

森に山神様の眷属となるにふさわしい子供を放ったところ、数年来厳しかった凶作がピタリと収まり、その年からしばらくは豊作が続いた。


そんな事実があったらしい。

しかも何度も。

なので、今回もその故事にあやかり……。




そうなのだ。

ロラン達兄妹は余り者。


『そんなの偶然だ!』と、叫ぶか?

ロランは怯えて震えている妹を見る。

彼女が小さな手で自分の服の裾をギュッと握ったままなのに。

そして、首筋にかかる彼女の熱い吐息が、どんどん早くなっていることに気付き。


ロランは考える。

考える。

考える。


──でも。


未だ幼く経験もないロランには、ここを無事に切り抜ける手を思いつくこともなく。


ロランは思う。


ここで消えて……いや、俺は生きたいよ。それにアリアも死ぬなんてまっぴらだ。

山神様? 眷属?

ダメダメ! もう、そんな存在はいないというのに! 


だが、それを言って村人は納得するのか!?


『山神様』とその『眷属』は先の冒険者が皆殺しにした、と聞いたと叫んだとしても!


ロランは喉まで出かかった叫びに対し、逆にもう一度ロランは下唇をきつく噛みしめたのである。

とても、妹の顔は直視できない。


何故って?

だって、ロランも妹のアリアも、そんな悲痛な声を上げようと、二人でどちらともなく泣き出しそうだったから。




〇●〇



濃い緑の中を、村の男たちに担がれた籠に乗り。

ロランとアリアは特に騒ぐでもなく、ゆっくり揺られ。


二人の耳に入るのは、相も変らぬ男衆の不気味な唄声。


神域のあるという森の奥へ。

ロラン達は、真の行先など知らぬ。

だが、籠は森の奥へ奥へと向かっていったのだ。

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